イサク
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イサクの名の意味は「笑う」である。
アブラハムに現れた主
主がアブラハムに現れ、「あなたの妻サラによって、あなたにひとりの男の子(イサク)を与えよう。」と仰せられた時、アブラハムはひれ伏し、そして、笑った。
アブラハム百歳、サラ不妊の不妊の女、九十人の時であった。
サラを顧みられた主
サラがひとりの男の子を産み、アブラハムがサラに自分に産んだ子をイサクと名づけた時、サラは言った。
「神は私を笑われました。聞く者は、みな、私に向かって笑うでしょう。」
サラの喜びは計り知れない。
笑いで満たされる主
〈詩篇126:1-4〉には、こう書かれています。
終末の時代には、主がシオンの捕らわれ人、すなわちイスラエルの残りの民を救われた時、私たちの口は笑いで満たされ、喜びの叫び声を上げると書いてあるのです。
“主がシオンの捕らわれ人を帰されたとき、
私たちは夢を見ている者であった。
そのとき、私たちの口は笑いで満たされた。
そのとき、国々の間で、人々は言った。
主は彼らのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。
主がネゲブの流れのゆうに、
私たちの捕らわれ人を帰らせてください。”〈詩篇126:1-4〉
イサクとリベカ
イサクが、アブラハムによってモリヤの山でささげられた頃、アブラハムにリベカが生まれた事が伝えられている。
イサクとリベカが結婚した後、アブラハムは全財産をイサクに与えた。
そして、アブラハムの死後、神はイサクを祝福された。
【イサクへの誓い】
“主はイサクに現れて仰せられた。
「わたしはあなたと共にいて、あなたを祝福しよう。
それはわたしが、これらの国々を全て、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。…
こうして地のすべての国々はあなたによって祝福される。」”〈創世記26:2-4〉
主はイサクに、インマヌエルの神を示されたのだった。
インマヌエルとは「神共にいます。」の意味である。
(イエスの公生涯の宣教は、父なる神がいつも共におられたものであり、聖霊なる神のダイナミックな力によってなされたものだった。そのイエスが今いつも私達と共におられる。)
そして、アブラハムに誓った祝福の契約を、イサクに果たされることを約束された。
ダビデが、神の契約の箱を天幕の中に安直した時、このように言っている。
“覚えよ。主の契約をとこしえに。…
その契約はアブラハムと結んだもの。
イサクへの誓い。” 主はヤコブ(イスラエル)のためにそれをおきてとして立て、
イスラエルに対する永遠の契約とされた。〈Ⅰ歴代誌16:15-17〉
イサクへの神の祝福
神によってイサクは、カナンの地に滞在し、その地に種を蒔いた。
イサクは、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったからである。
こうして、この人は富み、ますます栄えて、多くの羊と牛の群れを所有し、非常に裕福になった。
ネゲブの流れのように
イサクは、カナンの地のネゲブの地、ベテル・シェバに上った。 イサクは、アブラハムの時代に掘った井戸を再び掘った。
そして、イサクは、そこに湧き水のでる井戸を見つけた。
そこで彼は、その井戸をシブア(7・豊かの意味)と呼んだ。
それゆえ、その町の名は今日に至るまでベテル・シェバ(7つの井戸・誓いの意味)ていう。
“あなたがたは喜びながら
救いの泉から水を汲む”〈イサク12:3〉
イスラエルにはマイム・マイムという歌がある。イスラエルの民が、救いの井戸からマイム、すなわち水を汲むのである。
終末の時、イスラエルの民が、真の湧き水の泉であるイエスキリストから水を見つけるのだ。
そして、ほふられた子羊として十字架につけられたメシヤであるイエスを仰ぎ見るのである。
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