2013年5月30日木曜日

主はエデンのように潤される

いのちの泉の源なるイエスキリスト

 
 
                                 abcdz2000
 
   イエスキリストが再臨された時、主の宮から湧き水が流れ出て、生き物が生息できない死の海も、荒野や砂漠のように渇ききった所にも命の水が流れ、すべてのものが生きる。又、その時はエルサレムの回復の時であり、ユダヤ人イスラエルの回復の時でもあります。
   御自身の命を捨てるほどに人類を愛され、十字架で私たちの罪を負われ、死んで復活されたイエスキリストこそ、永遠のいのちの源なのです。
 
  
その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。

 私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。

 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。 

 これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。

 その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海(死海)に、他の半分は西の海(地中海)に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。

 主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名はただ一つとなる。

 全土はゲバからエルサレムの南リモンまで、アラバのように変わる。〈ゼカリヤ14:3-9 
 
 
  アラバの別訳は、平地で『エデン』を意味していると思われます。
『エデン』ヘブル語でエデンとは優美・楽しい・喜ばしいの意味ですが、本来はシュメール語で「平地」を意味します。エデンと言うアッカド語のエディヌと同じだとされています。

〈ヨエル3:18〉の主が再臨される時の御言葉では、主の宮から泉が湧き出でシティムの渓流を潤すと書かれています。

 シティムは、イスラエルの民が40年間、荒野を放浪し、約束の地カナンへの入国直前に最後に宿営した場所で、神の恵みを受ける不毛の荒野の象徴とされています。シティムは、ヨルダン川を挟んでエリコの対岸にあたります。

 ヨシュア率いるイスラエルの民が、シティムを出発しヨルダン川を渡る時、全地の主の契約の箱が先頭に立ちました。

 イスラエルの民が約束の地に入っていく時、主が先頭に立たれたのです。

 その時期ヨルダン川は岸いっぱいに溢れ簡単に渡ることがてきない季節なのですが、全地の主である主の契約をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせき止められました。

 そして、上から流れ下る水はつったって、はるかかなたの町アダムのところでせきをなして立ち、イスラエルの民はエリコに面するヨルダン川を渡って行ったのです。

 主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川のかわいた地にしっかり立つうちに、イスラエル全体が、かわいた地を通り、ついに民は約束の地に入って行ったのです。

 イエスキリストが再臨される時、神の民イスラエルへの平和と繁栄の全ての霊的祝福が成就します。

 神が、キリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって、イスラエルを祝福され、エルサレムの町は世界の国々の間で、主にとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなります。 

 私たち異邦人も、神のイスラエルとして〈ガラテヤ6:16〉、イエスキリストにあって天にあるすべての祝福をもって祝福されています。〈参照エペソ1:3 

まことに主はシオンを慰め、

そのすべての廃墟を慰めて、

その荒野をエデンのようにし、

その砂漠を主の園のようにする。

そこには、楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。〈イザヤ51:3

 

 

 

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