2014年2月25日火曜日

世界に広がる神の祝福*ローラ インガルス ワイルダー4

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世界に広がる神の祝福*ローラ インガルス ワイルダー4


ローラたち家族が、新しい地で、初めての畑の収穫に喜んだ年のクリスマスの時のことだった。
ローラと夫のアルマンゾがいつも気にかけている二人の貧しい兄弟が訪ねてきた。
弟のスワイニーは、サンタクロースを信じていなかった。早くに両親を亡くした彼にはクリスマスプレゼントくれる人が一人もいなかったのだった。
それを知ったアルマンゾとローラは、ひとり娘 ローズのクリスマスプレゼント に作ってあった そりを、サンタクロースの手紙をつけて スワイニーにプレゼントしたのだった。
すると、愛されていることが分かったその少年は、「優しいサンタクロースに主の恵みがあるように。」と、神に祈ったのである。そんな話が大きな赤いリンゴの地という本の中にある。

やっとふりむいたスワィニーは、テーブルについているみんなをじっと見あげた。顔はうれしさで輝いている。涙がひと粒、ほっぺたを伝わってこぼれ落ちた。
「神さま、どうぞサンタさんにお恵みを、優しいサンタさんに…‥。」スワィニーは、しゃがれた声で言った。……
そして、みんな顔を見合せて、にっこりした。だれも何も言おうとはしなかった。でも、ローズは、だれもそういわなくても、これこそ、今までで最高にすばらしいクリスマスなのだとわかっていた。く新草原の小さな家シリーズ*ロジャー・リー・ マクブライド著*谷口由美子訳>

クリスマスの心とは何か?
ローラが母親キャロラインから受け継いだ、人を思いやるクリスマスの心。
その心は、私たちという罪人を救う為にイエスキリストを この世に贈られた、神の愛に感謝してる 心が基となっている。
イエスキリストこそ、神の最高のクリスマスプレゼントなのである。

2014年2月24日月曜日

世界に広がる神の祝福*ローラ インガルス ワイルダー3


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世界に広がる神の祝福 *ローラ インガルス ワイルダー3



父アルマンゾと母ローラ、そして、ひとり娘ローズとの新しい地での生活が書いてあるロッキーリッジの小さなという本の中にこういうのがある。

お母さんは、ガラスのパン皿を運び込んだ。お母さんとお父さんが、お互いにそれを最初のクリスマスに贈りっこしたのだ。
お母さんは、そのパン皿を丁寧に 暖炉の棚にたてかけて、見えるように飾った。
ドアから入ってくる 薄明かりが、お皿の縁をぴかっときらめかせた。
浮き上がった文字が見える。「今日も与えたまえ」が上に書いてあり、「必要な糧を」が下に書いてある。<新大草原の小さな家*ロジャー・リー・ マクブライド著*谷口由美子訳>

“必要な糧をきょうも与えたまえ”の言葉は、聖書の“主の祈り〃の中から取られたもので、「私たちにも祈りを 教えてください。」と、弟子のひとりがイエスに尋ねた時に、主イエスキリストが言われた言葉である。

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行われるように地でも行なわれますように。
私たちの必要な糧をきょうもお与えください。
私たちの負い目(罪)をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。」
(国と力と栄えは 、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。)

神は全知全能であるから、私たちの必要なものを、もうすでにご存知である。
しかし、私たちが祈ることを、神は喜ばれる。
神は、愛するために私たちを造られたが故に、私たちとのコミニ ケーションを喜ばれるのである。

2014年2月21日金曜日

世界に広がる神の祝福*ローラ インガルス ワイルダー2


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世界に広がる神の祝福 ローラ インガルス ワイルダー part2


父親 母親 兄弟など、家族は、基本的に互いに愛いそうとするものである。
しかし、隣人愛となるとどうなのかを、ローラは一人娘のローズにこう教えている。

「え、それじゃ、どの人もみんな好きにならなちゃいけないの?」
ローズは、学校の友だちはたいがいみんな好きだった。でも、なかには、みんなにいじわるをする男の子たちがいて、その子たちは、どうしても好きになれなかった。
「だれだって、会う人みんなを好きになんかなれないわよ。聖書がいっているのは、友達やお隣の人たちや、知らない人にも、できるだけ親切に優しくしなさいということなのよ。自分や家族に対するようにね。ほかの言い方で、こういうのがあるわ。あなたが他の人にしてもらいたいと思うように、他の人に対してしてあげなさい。」ー新大草原の小さな家シリーズ*ロジャー・リー・ マクブライド著*谷口由美子訳ーより。

このローラの最後の言葉は、ローラの信じていた神イエス キリストの言葉である。
”何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそうしなさい。” <マタイ7:12>

しかし、自分が相手にして欲しいように相手にすること。これは、なかなか簡単ではない。自分に余裕ない時は尚更である。
神に自分が愛されていることが分からないと、本当には私たちは人を愛することができないと聖書は言っている。

”神が私たちを愛され、私たちの罪のために、そのひとり子イエスを世に遣わされ、十字架で死んで復活されたとき、神の愛が私たちに示されたのです。”<第1ヨハネ4章>

その最高の神の愛で 私たちが満たされた時、私たちは愛することが苦痛ではなく、喜びに変わるのである。

世界に広がる神の祝福*ローラ ・インガルス・ ワイルダー

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世界に広がる神の祝福*ローラ・ インガルス・ ワイルダー


ローラの家族であるワイルダ一家が、新しい移住の地を求めてマンスフィールドに向かう途中のことである。

「そうね、では、わたしのとても好きなヘブライ人への手紙から最後の二、三章を読みましょうか。」
お母さん(ローラ)はそう言って、馬車から聖書をとってくると、そばにランプをともし、腰をおろして読み始めた。
<ロッキーリッジの小さな家*ロジャー・リー・ マクブライド著*谷口由美子訳>

ローラは、聖書の中でローラの好きなヘブル人への手紙を皆に朗読したのだった。その中でローラ が、チョイスして言ったのがこの御言葉である。
”信仰とは 、望んでいることがらを確信し、まだ見ていない事実を確認する事である。”くへブル11:1>


もうすでに起こっている事にも見ている事にも信仰はいらない。
まだ、そのかけらさえ起こっていないことにこそ、神への信頼が 必要になる。
自分を本当に愛してくれる者は、自分を裏切らないものである。
信仰の基本は、 神が自分を愛してくれていることを信じ切れているかどうかにある。

小さな事柄ではなく、 それが人生そのものに関わることであるならば 、本当に信頼しているかどうかが試される。

ローラが生きた時代の 開拓精神。その中では、ローラや ローラの家族の生き方そのものに神への信仰が必要だっただろう。

日曜日に教会に通い、イエスキリストを礼拝し、聖書の御言葉に親しむことは、困難な中にある不安や日常生活の思い煩いから解放し、安心感を与えてくれるのだ。

晩年、ローラたちは、マンスフィールドにある大きな赤いリンゴがたわわに実るロッキーリッジ農場で、心でも 生活でも 、神の愛と祝福が豊かにあることを実感したことであろう。
神は、ローラの信頼を決して裏切らなかったのである。


ローラ・インガルス ・ワイルダー
1867年に、アメリカのウィスコンシン州で、父チャールズ、母キャロラインの次女として生まれる。

大草原の小さな家シリーズといわれるローラの自伝的物語は、百年以上前のアメリカの開拓時代を、神と共に生き抜いたインガルス一家の物語である。
だから、ローラの本には、家族でキリスト教会に通う話や、父親チャールズのヴァイオリンと共に神を讚美している場面、また、聖書の話が登場するのである。
後半の何冊かは、夫 アルマンド ワイルダーとの出会い、結婚、またアルマンゾの少年の頃を書きつづっている。
私たちは、ローラの人生を通して、真の神イエスキリストと共に歩く人生がどういうものであるのかを垣間見ることができる。
心の中に愛も喜びも命も豊かにある。と思えるものが、ローラにはある。

ローラの作品には次のようなものがある。
<当ブログ2014.4月4.6.13日にも掲載*大草原の小さな家シリーズ1~8>
1*大きな森の小さな家
今から百年以上も前の、北アメリカのウィスコンシン州の大きな森の小さな丸太小屋の家での話。ローラの一番小さい頃が描かれている。
この話の中で、父親チャールズからローラは頻繁に、飲みかけのリンゴ酒の小瓶ちゃん。と呼ばれている。それがなぜなのか?その謎は、ロジャーリーブライド著の新大草原の小さな家シリーズに書かれている、ローラの娘ローズへの話の中で解けるのである。

大きな森には、狼や熊、ジャコウネズミ、ミンクやふくろうなどの動物がたくさんいて、ローラたちインガルス一家は、父チャールズが銃で仕留めた鹿や熊などが食糧だった。

大きな森の小さな家での日曜日のローラたちは、母キャロラインから聖書のお話や、動物たちの話を聞いたり、大きな聖書の絵を見たりして過ごしていた。
ローラは、その中で、アダムが動物たちに名前をつけている絵が一番好きだった。

小さい子どもは、じっと座っているのが、誰だって苦手である。ローラも日曜日がいやになり、癇癪を起こしてしまう。
そんな時、父チャールズはローラに、おじいちゃんの小さい頃の話をおもしろおかしく話して聞かせたのだった。そうやって、ローラを励ます父チャールズ。
ローラのおじいちゃんは小さい頃に、日曜日の午後、父親が居眠りをしているすきに、家を抜け出した。
信仰問答集を読んで座ってなければならなかったが、作ってあった新しいそりに乗りたくてたまらないおじいちゃんたち三人兄弟は誘い合って、そりで滑りに行ったのだった。
三人兄弟は、たった一回滑るだけなら、父親が目を覚ます前に戻って、ずっと椅子に座っていたふりをすればいい、と考えたのだった。
しかし、そりで雪の上を滑るうちに大きな黒いぶたを拾い上げて一緒に滑ることになってしまった。
大きな声でぶたがキィキィ鳴きながら、そりで滑り降りて行くと、家の前に父親が立って、しっかり三人兄弟を見ていた。父親に、ちゃんとばれていたのである。

夜には、ローラとメアリーは、ベッドの中で眠りながら、父チャールズがバイオリンを弾きながら歌う讚美歌に耳を傾けていた。

「千歳の岩よ、わが身をかこめ
裂かれして脇の、血潮と水に
罪も汚れも、洗いきよめよ」

たぶん、父チャールズが歌っていたのは<讚美歌260番>だと思われる。
この曲は、イエスキリストの十字架による永遠の救いを歌っている。

救い主イエスは、救いの岩と言われ、私たちの心の飢え渇きを満たされる方である。
また、救い主イエスという岩の上に、人生の基盤を置く者は、人生の中で嵐が来ようと洪水が押し寄せようと決して倒れることがない。
イエスが十字架の上で、尊い血潮を流されたがゆえに、雪のように白く、すべての罪も汚れも洗いきよめられるのである。
そして、イエスを信じる者には、永遠の命が与えられる。
なぜなら、救い主イエスは、十字架にかかられ死んで葬られたが、三日目に墓の中から、よみがえられたからである。

やがて、ガチャガチャという音がして目が覚めると、母さんが、ストーブの前に立って、朝ごはんの支度をしている。月曜日の朝だ。
日曜日は、あと丸々一週間たたなきゃ、来ないのだ。<ローラインガルスワイルダー著*こだまともこ・渡辺南都子訳>
Saving grace * 日本語訳「大切なものはわずかです。」の本を書いたローラにも、こう言いたい時があったのだった。

父チャールズが毛皮を町に売りに行き、その帰りに熊に出会ってしまう。ローラとメアリーはドキドキしてその話を聞いている。
その熊は、父さんをとうせんぼして、後ろ足で立って、じっとにらんんでる。いちいち逃げてたら森からは決して出られない。父さんは、母さんやローラたちが待つ家に、なんとしても帰らなきゃいけないのだ。
父さんは覚悟を決めて、大きな重い木の枝を拾うと、熊めがけて振りかざした。と思ったら、雷が落ちて焼けた木の株だった。
「なんせ、熊に出くわさないかと恐れて、びくびくしていたもんだから、その木が熊に見えたんだろうな。」と、父さんは言う。
でも、父さんは勇敢だ。たとえ、本当の熊でも立ち向かって行ったのだから。そう、ローラは思った。
やっと、父さんが帰って来て安心したローラとメアリーは、寝る用意をして、ベッドの側に膝まずいてお祈りをした。

「主よ、私は、今、眠ります。
私のたましいは、主の御手のあります。
目覚める前に、もし、私の命が終わるなら、
主よ、私の魂はおささげします。」<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>

ローラとメアリーは、こう祈ってから安らかに眠った。
ローラたちは、生きている時も、たとえ死んで天に召される時も、愛なる主の御手の中に自分たちがあり、安心できると信じていたのである。
このお祈りは、プラムクリークの物語の中にも書かれているので、ローラとメアリーは毎日寝る前にこのお祈りをしていたのだろう。


2*大草原の小さな家
大きな森は、人が多くなりすぎたので、ローラの父親チャールズは、新しい地、大草原へと家族で移住しようと旅立つ。
父チャールズは、自然が豊かで野生の動物たちが自由で安心して住めるような所が好きなのだった。
そこで、長い旅を続け、インガルス一家は大草原に小さな丸太小屋を作って住むことになる。ローラが6才から9才くらいの話である。
大草原は、木々のない平らな土地で草原が広がっている所である。まだ、アメリカ人が住んでなく、インディアンだけが住み、野生の動物たちが自由に歩き回っていた。

インガルス一家は、新しい土地を目指して長い長い旅をする。
毎日、毎日、馬車の旅を続け、夜には新しい場所でキャンプの準備をするのだ。
ローラたちは、いくつもの川を渡り、大きな森の小さな家があったウィスコンシン州から、インディアンテリトリーのオクラホマ州までたどり着いたのだった。
大きな森の小さな家にいた時からローラの良い友達である飼い犬ジャックも、いつも馬車の下にいて、走り続けて旅をして来たのだ。
そして、見渡す限りの大草原に、インガルス一家は家を建てて住むことになったのである。

父チャールズは、家と馬小屋を建てる為に、何日もかけ丸太を運んで来る。
そして、なるべく早く家を建てようとしている。野生の狼に襲われるのが心配なのだ。
家の基礎は父チャールズだけで作ることができたが、壁の丸太を積み上げる時には母キャロラインも共に懸命に手伝うことになる。父チャールズひとりでは、高い所に丸太を組むことができなかったのだ。
しかし、母キャロラインの足に丸太が落ち、ケガをしてしまう。
そんな時現れたのが、なぜかテネシー生まれの山猫の異名を持つ愉快なエドワーズだった。その異名の理由は、エドワーズさんが山猫の真似がうまいのか?。それとも、父チャールズがエドワーズさんが山猫に似ていると思っているのか?のどっちかである。
良き隣人であるエドワーズの助けによって、家も馬小屋も素早く建てて行くことができたのである。

大草原の小さな家の物語では、インガルス一家とエドワーズやスコットとの良き隣人関係が中心となって、ローラたちの生活は進んで行く。
ある時は、家の屋根を打ち付ける為の釘を、エドワーズが父チャールズに使って欲しいと言ってきかない。父チャールズは、エドワーズのその愛を受け取る。
しかし、ある時は、井戸を掘っている時に、溜まっていた悪いガスでエドワーズが気を失っているのを、父チャールズが命掛けで助けに行ったのだった。
そんな中で、インガルス一家にとっても、エドワーズにとっても、お互いがなくてはならない存在になって行くのである。

また、スコットさんという良き隣人がいる。
インガルス一家がおこり熱(マラリア)にかかり全員が寝込んでしまった時に、家を通りかかった黒人医師のドクター•タンが助けてくれ、その後にインガルス一家の面倒を見に通ってくれたのがスコット婦人である。
彼女は、インガルス一家だけでなく他の家々の人々を助ける為に、寝る暇もないほど働き続けていた。
インガルス一家が回復した時、母キャロラインがスコット婦人にお礼を言うと、「こんな時に助け合うのが近所付き合いってものですからね。」と言う。

父チャールズが町に買い出しに行き留守の時には、家を守っている名犬ジャックに「今にも噛みついてやるぞ。」と脅されながらエドワーズさんは、インガルス家の男手がいる仕事を、毎日手伝いに来てくれる。
したがって、毎日エドワーズさんは、ジャックに薪の山の上に追い上げられることになるのだ。そうすると、今度はジャックが、母キャロラインにエドワーズさんを守る為に家の中に押し込められることになる。したがって、毎日ジャックも、母キャロラインに家の中に押し込められたのだった。
エドワーズは、もともと、とても頼りになる隣人なのである。

父チャールズが家を留守にし、ローラもメアリーも不安で眠れない夜、母キャロラインは揺り椅子に座り、ゆっくり揺らしながら、歌い始めたのだった。

「はるかかなた、遠い地に
幸せの国、あるという
聖者はみな栄光に満ち、
日光のごとき輝きたもうとか。
ああ、天使の歌声を聞け
主には栄光、王にはー」
ローラは、いつの間にか眠ってしまったらしいのです。まばゆく輝く天使たちが、母さんと一緒に歌い始め、その、この世のものとは思えない歌に聞き惚れてうっとりしていたローラが、はっとして目を開くと、暖炉の前に立っている父さんの姿が見えました。
ローラは「父さん!父さん!」と叫びながら、ベッドから飛びだして行きました。<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>

母キャロラインが歌ったこの曲は、プラムクリークの土手での物語で、ローラとメアリーが初めて教会に行く日、みんなで馬車に乗りながら歌った曲でもある。
天国は幸せの国で、聖者(イエスを信じる者)はみな、救い主イエスの再臨とともに栄光の姿に変えられ、光の子として太陽のように輝くのだ。と聖書に書かれている。
天国には、もはや死もなく、悲しみも苦しみもないのである。
恵み深い全地全能の神と、救い主である王なるイエスこそが、永遠に栄光と賛美を受けるにふさわしい方なのである。
そして、天使たちも、神のひとり子であるイエスを崇め、神を賛美しているのである。


大草原の小さな家でのクリスマス
この年のクリスマスは雪がなく、雨が降り続いていた。
クリーク(川)の水かさは増し凄まじい音を立てて流れている。
せっかく、みんなで一緒にクリスマスのごちそうを食べようとエドワーズさんを招待していたのに来れそうもない。
母キャロラインは、たったひとりでエドワーズがクリスマスを過ごさなければならないのは気の毒だと言っている。でも、父チャールズは、今あのクリークを渡るのは命掛けだからとても無理だと言う。
ローラたちは、他の事も気にかかっていた。これではサンタクロースがクリークを渡れそうもない。
ローラたちは気が晴れないまま、うかない顔でお祈りをして眠りに着いたのだった。
ちっともクリスマスらしくないのだ。
父チャールズもいつものようにバイオリンを弾く気にならないと言う。
しかし、母キャロラインが突然立ち上がり、「ローラたちのクリスマスの靴下を下げておきましょう。何か起こるかもしれないからね。」と言い出すのである。
そして、母キャロラインは、暖炉のはしにローラとメアリーの靴下を吊るしたのだった。

クリスマスの朝、ローラが目を覚ますと、「お宅のおちびちゃんたちの為に、どうしてもクリスマスをしなけきゃな。」エドワーズのそんな声が聞こえて来た。

エドワーズさんは言うのでした。クリークの水かさがひどく増えているのを見て、サンタクロースには、とても渡れないだろうと思った、と。........
エドワーズさんは、サンタクロースは、まず、「こんにちは、エドワーズ!」と言ったと言うのでした。......
それから、サンタクロースはこう言ったのです。「あんたは、今、ヴァーディーグリス川の近くに住んでいるようだね。そのあたりで、メアリーとローラと言い名の、小さい女の子に会ったことがおありかね?」
「ええ、よく知ってますとも」エドワーズさんは答えたのです。
「実は、まことに気がかりなのだが」サンタクロースは言うのです。「ふたりとも、まことに優しい、可愛い、良い子たちなのだし、ふたりともわしを待っているに違いない。.....エドワーズ、今年一度だけでいい、どうかこのプレゼントをふたりの所まで届けてくれまいか」サンタクロースは言ったのです。
「おやすい御用です。喜んで役に立ちますよ」<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>

エドワーズさんは、そうサンタクロースに約束し、ローラとメアリーにクリスマスプレゼントを預かって来たと話したのだった。
エドワーズは、クリークで濡れて凍えた体を暖めながら、ローラたちのベッドの床に座りながらそんな話をローラとメアリーにしてくれた。
そして、母キャロラインに言われて、暖炉の靴下を見ると、キラキラ光るカップや紅白の縞をしたクリスマスのキャンディ、ハート型のお菓子、そして、ピカピカの1ペニーが入っていたのだった。
ローラとメアリーは、喜びのあまり、はしゃいで朝ご飯が食べられないほどだった。
でもそのあと、みんなでお昼も夜もクリスマスのごちそうを食べ、暖炉の前で楽しい話をしたりして過ごしたのだ。
エドワーズのメアリーとローラを愛する心によって、その年のクリスマスは本当に素晴らしいクリスマスになったのだった。
母キャロラインの言った通り、何か良いことが起こったのである。

【クリスマスの喜びの訪れ】
これはローラたちの時代よりもっと昔に本当にあった話である。東方の博士たちは、ひときわ輝く明るい星を目指して進んで行った。
彼らは、救い主イエスを探していたのだ。
東方の博士たちは、エルサレムまでたどり着くと、こう言った。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか?私たちは、東の方でその方の星を見たので、拝みにまいりました。」....
すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子イエスのおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
そして、その家に入って、母マリヤと共におられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。
そして、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
すると、主の使いが彼らの所に来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体の為にすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょう、ダビデの町で、あなたがたの為に、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。....」
すると、たちまち、その御使いと一緒に、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
「いと高き所に、栄光が神にあるように。
地の上に、平和が、
御心にかなう人があるように。」<聖書のマタイ2章、ルカ2章より。>

父チャールズと母キャロラインやエドワーズさんから、この年クリスマスにたくさんの愛を受け取ったローラは、これから年を重ねるごとに、クリスマスの本当の意味とその愛の心を母キャロラインから学ぶことになって行くのだった。

ローラ インガルス ワイルダーは、クリスマスイヴの聖夜にひとり娘のローズに、救い主イエスキリストの誕生の聖書の話をしていたと、<ロジャー・リー ・マグブライド著*新大草原の小さな家シリーズ>の本の中に書かれている。
クリスマスの良き訪れの本当の意味を、ローラは娘ローズに聖書の話から伝えたのである。

3*プラムクリークの土手で
インガルス一家は、大草原の小さな家を出て、プラムクリークの土手に扉が付いている不思議な家に住むことになる。
この物語は、ローラが8才から10才くらいの頃の話である。(もしくは7才くらいの頃の説もあるらしい。)
大草原の小さな家のインガルス一家は、インディアン居留地にあった為に追い出されてしまったのだ。

この物語の中では、ローラが両親との約束を破って、プラムクリーク(川)でひどい目にあった、小さい頃のローラの大失敗が書かれている。
学校で教師を務め、夫 アルマンドの良き妻であり、ひとり娘 ローズの良き母であったローラにもそういう時があったのだ。
プラムクリークは、ローラのイタズラシーズン真っ盛りの物語である。
また、プラムクリークの土手の家では、大きな牛ピートのせいで、家の中にいながら、なぜか星空の下で寝ることになる。

この物語の中では3回クリスマスが出てくる。その一度目のクリスマス。
ローラの母キャロラインのクリスマスの心
ローラは、クリスマスのサンタクロースについて、母キャロラインが教えてくれたことをこの本に書いている。

母さんは、そのあと、サンタクロースについて、もうひとつ新しいことを教えてくれました。サンタクロースはどこにでもいるだけでなく、いつでもいるのだということを。
誰でも、自分のことより人の ためをまず第一に思う気持ちになれる時、いつもそこにはサンタクロースがいるのです。
クリスマス・イブというのは、みんなが人のためを思う時なのです。その夜こそは、だれもかれも、みんな自分勝手を忘れ、他の人たちの幸せを願うからこそ、サンタクロースがあらゆる所に現れるのです。母さんは、そう話しました。
「もし、誰もかれもが、いつでも、他の人みんなの幸せを願っていたら、いつでもクリスマスなの?」ローラが聞くと、母さんは言いました。「そうですよ、ローラ」<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>
クリスマスに、イエスは、エルサレムのダビデの町で生まれた。
それは私たちを、全ての悩み、苦しみ、飢え渇きなど、今生きている中で起きる問題から救い出すばかりではなく、また、死の苦しみや恐れからも救い出すためである。
クリスマスは、その神の愛に心を留め、感謝する時なのである。だからこそ、他の人を愛する愛が世界に満ちるのだ。
クリスマスのサンタクロースを通して、母キャロラインはローラたちに、人を愛するということを教えたのだった。
素晴らしいのは、愛があるところが、いつでもどこでもクリスマスである。という母キャロラインの教えである。

そして、ローラは、小さい頃に、母キャロラインから学んだ、人を愛するクリスマスの心を、生涯大切にして生きたのである。

ローラとメアリーのお祈り
この物語の中で、ローラとメアリーが、クリスマスイブにお祈りをする。

「主よ、私は、今、眠ります。
私のたましいは、主の御手の中にあります。
目覚める前に、もし、私の命が終わるなら、
主よ、私の魂はおささげいたします。
そして、とうさん、かあさん、キャリー、そして、みんなを祝福したまえ。
私をいい子にさせたまえ、いつまでも、いつまでも、アーメン」
<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>
ローラとメアリーは、こう祈ってから、安らかに眠った。
キリスト教は、天国へ入る道が、はっきりしている。
生前の行いによるのなら、天国に入れるのかどうかが、自分で自信を持つことができないのではないだろうか?
キリスト教では、天国に入れる条件は、イエスキリストを信じているのかどうかだけである。すなわち、救いは信仰によるのである。
ローラとメアリーの祈りは、イエスキリストを信じているから、天国に行けることことを確信している祈りなのである。

大きな森の小さな家の物語の中でも出てくるので、ローラたちは、小さい頃から眠る前には、必ず、このお祈りをしていたようである。

ローラとメアリーの初めての教会
ローラとメアリーが初めて教会に行くシーンがこの物語の中にある。
ローラは、家族みんなでこの歌を歌いながら、教会に向かった。

「はるかかなた、遠い地に
幸せの国、あるという。
聖者はみな栄光に満ち
日光ごと輝きたもうとか」<恩地三保子訳>
天国では、みんなが幸せで、聖者すなわち、救い主イエスを信じる者たちは、光の子どもとして、太陽のように輝くのである。と聖書に書かれている。
つまり、天国には、暗闇がなく、もはや、死も、悲しみも、苦しみもない、幸せな国である。と歌われているのである。
教会に着いた小さいローラは、日曜学校で、聖書の中でモーセのお話を聞き、暗唱聖句の宿題(聖書の御言葉を覚えて来ること)を出される。ローラは、もっと長い聖句もとっくに知っていると不満だったようだが、その聖句は、たった三つの言葉、"God  is love"( 神は愛である。)だったと言われている。
ローラは短い聖句に不満だったと子どもの頃の思いをユニークに自然体で書いているが、ローラの人生を思い浮かべる時、神御自身が暗唱聖句の時を通してローラに、この聖書の言葉を与えたかったのだと思うのだが…。

ローラが日曜学校で聞いたと書いている聖書のモーセの話
昔、エジプトの国で行った出来事。エジプト王は、エジプトの国にイスラエルという民族が増え広がり、力を持つのを恐れて、イスラエル人を奴隷とし、イスラエル人の女性が子どもを男の子を産むと、殺していたのだった。
モーセの母親は、モーセを産んだ時殺されることを恐れて、瀝青と樹脂を塗って沈まないようにしたパピルス製のかごにモーセを入れ、ナイル川の葦の茂みに置いた。
男の子の姉が、どうなるかを知ろうとして、その男の子の行方を、見守っていた。
ナイル川のその場所は、エジプト王パロの娘がよく水浴びをしている所だった。
パロの娘は、葦の茂みにかごがあるのを見て、召し使いをやってそれを取って来させた。
中を開けて見ると、子どもがいた。なんと、それは男の子で泣いていた。
彼女は、その子がイスラエル人の子どもだと気づいたが、憐れに思い、自分の子として育てることにしたのだった。
その時、男の子の姉が王の娘の所に行き、「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるために、私が行って乳母を呼んでまいりましょうか。」と言った。
パロの娘が「そうしておくれ」と言ったので、男の子の姉は母親を呼んで来た。
パロの娘は彼女に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」それで、その女(母親)は、その子を引き取って、乳を飲ませた。
その子が大きくなった時、女はその子をパロの娘の所に連れて行った。その子は王女の息子になった。
そこで、彼女は、男の子をモーセと名づけた。<出エジプト2章より>

この日、日曜礼拝の中で皆が、歌った?いや歌おうとしたのは、「黄金の地、エルサレム」だと書いてある。これは、今でいう「黄金のエルサレム」という曲かもしれない。
ローラは、その曲をわずかな人しか知らなかったので、席に着いた時にホッとしたと書いている。
ちなみに、「黄金のエルサレム」とは、新天新地、すなわち天国のことを指している。

ある日、イナゴの襲来の時を向かえてしまう。
イナゴがあちこちに卵を産み付け、来年の収穫さえ望みがないほどである。

そこで、ある日曜日、母キャロラインが、昔にあったイナゴの襲来の話<旧約聖書出エジプト記10:14.15>の話を、ローラたちに読んできかせる。

"いなごの大群はエジプト全土を襲い、エジプト全域にとどまった。実におびただしく、こんないなごの大群は 、前にもなかったし、このあともないであろう 。
.それらは全地の面をおおったので、地は暗くなった 。それらは、地の草木も、雹を免れれた木の実も、ことごとく食い尽くした。エジプト全土にわたって緑色は木にも野の草にも少しも残らなかった。"<出エ10:14.15>

この聖書の話は、モーセが率いるイスラエルの民が、エジプトの奴隷状態から脱出し、約束の地カナンを目指して、エジプトの国から出て行く前に、神がエジプトの国で起こしたイナゴの襲来の出来事である。
当時のエジプト王は、エジプトの国にイスラエル人が多くなりすぎるのを恐れて、イスラエル民族を奴隷とし、苛酷な労働をさせた。そればかりではなく、イスラエル人の女性が子どもを産むたびに、それが男の子なら殺していたのであった。
その苦しみの中で、イスラエルの民が神に助けを叫び求めた時、神は、モーセを遣わし、イスラエルの民をエジプトから解放したのである。が、エジプトの王パロの心がかたくなで、なかなかイスラエルの民がエジプトから出て行く事を良しとしなかったので、エジプトの国の全土にイナゴを襲来させ、エジプトの力を弱めエジプトのパロ王の気をくじくために、神がイナゴの襲来を用いられたのである。

ローラは、何もかも聖書に書いてあるイナゴの襲来の出来事の通りだと思う。
しかし、母キャロラインは、そのあと聖書に何と書かれているかも、ローラたちに話して聞かせるのである。

「これをかの地から導きのぼって、良い広い地、乳と蜜の流れる地に至らせよう」<出エジプト記第3章8節>
「まあ、どこなの、そこは、母さん?」メアリーは聞き、ローラも聞きました。
「乳と蜜が地面を流れるなんて、そんなことあるの?」ローラは、ミルクと蜂蜜がながれてベタベタしてる所を歩くことを考えると、さぞ大変だろうと思ったのでした。
母さんは、厚い聖書を膝にのせたまま 、しばらく考えていましたが 、やがて、言いました。‥...「ミルクをたくさん出す良い乳牛が、この土地に育つ草を たくさん食べたなら 、その牛はきっとたくさんミルクを出すでしょう 。そうすると、 この土地には ミルクがあまるほどになり 、"地にあふれて流れる"し、ミツバチが、この土地の野の花の蜜をみんな集めれば、 ここには"蜜があふれて流れる"でしょうからね」<恩地三保子訳>

神が、エジプトの国の奴隷状態から脱出したイスラエルの民を導いた先が、乳と蜜の流れるところ、約束の地カナンであった。
これは、神がイスラエルの民に約束された新しいカナンの土地が、神の豊かな祝福がある土地であることを表している。
どこまでも、神に信頼を置くインガルス一家。
愛の神、イエスキリストを信じる者は、希望を失うことがないのである。
彼らは、神が必ずや、自分たちの新しい安住の地を祝福してくださると信じ続けたのだった。

その年のクリスマスの素晴らしい出来事。2度目のクリスマス

「父さん、ねえ、あれ何の音?」とローラが聞くと、父さんは言いました。
「新しい教会の鐘の音だよ、ローラ」......そろって教会に入って行きました。......
ぎっしり人が座っているベンチの前に、一本の木が立っていました。.......
そして、木の枝からは、色つきの紙で包んだ紙包みがさがっているのです。....
木の下には、いろいろなものが立てかけてありました。真新しいピカピカの洗濯板、木のたらい、バターづくりに使う攪乳器、新しい板でできた橇、シャベル、干し草をすくう長柄のフォークなどがローラには見えました。......
それが何なのか教えて欲しくて、母さんの顔を見上げます。
母さんは、微笑みながらローラに答えてくれました。「あれがクリスマス・ツリーというものなのよ。きれいだと思う?」
ふたりは返事もできません。その素晴らしい木から目を離さず、ただうなずくだけでした。.......讚美歌を歌い終わると、タワーさんとビードゥルさんが、クリスマス・ツリーから色々なものをはずし、名前を読み上げました。....
その木についていたものは何もかも、誰かのためのクリスマス・プレゼントだったのです。....
誰かがピンクの蚊除け網の袋をくれました。思ったとおり、中にはキャンディが入っていて、大きなポップコーンのボールもあります。....メアリーも、やはり一つもらいました。キャリーも。....こんどは、メアリーがブルーのミトンをもらいました。そして、ローラは赤いのを。
母さんは、大きな包み紙を開けました。中には、暖かかそうな赤と茶の格子の大型のショールが入っていました。父さんは、毛のマフラーをもらいました。........
こんなクリスマスは、生まれて初めてでした。大がかりな、華やかなクリスマス、教会ぐるみの素晴らしいクリスマスです。....
ローラは、この立派で華やかなクリスマスが全部体の中へ入ってしまったようで、胸がいっぱいではち切れてしまいそうでした。
ミトンに、ちっちゃな金色のポットとカップの受け皿のついた美しい宝石箱に、キャンディにポップコーンのボールまで、みんなローラへのプレゼントなのです。
すると、出し抜けに、誰かが言いました。「これはあなたのですよ、ローラ」....
あの絹のように柔らかな小さな茶色の毛皮のケープとマフが、本当に自分のものになったかどうか確かめでもするように、ローラはかたくかたく抱きしめ続けていました。<恩地美保子訳>

さて、父チャールズが、イナゴの被害を受けたので出稼ぎに行っている時のことである。
火の輪が、まるで車輪のように転がりながらやって来た時に、ネルソンさんが手伝って危険な中から助けてくれたのだった。
母キャロラインは、「世の中で、良い隣人ほど素晴らしいものはないありませんよ。」と、ローラたちに言う。

ローラは、隣人愛ということについて、実際の体験を通して、父チャールズと母キャロラインより教えられている。
父チャールズも、母キャロラインも、できる限り隣の人や周りの人たちに親切にし、また、周囲の人たちもできる限りインガルス一家に対して、親切にしてくれていた。
お互いが愛し合うことが、彼らが厳しい開拓時代を通り抜ける為の一つの力となっていたのである。
"あなたがたは、互いに愛し合いなさい。"<ヨハネ15:17より>
これは、聖書にあるイエスキリストの大切な教えである。
また、聖書にはこう書かれているのである。
"私たちが互いに愛し合うなら、神の愛が完全に現れる。"と。<第1ヨハネ4:12より>

イナゴの襲来によって、インガルス一家が、非常に経済的に苦しかった冬、クリスマスの時に彼らを支えたのも、キリスト教会の神の家族としての人々の愛であった。

神の愛と、人々が互いに愛し合う愛が、ローラの自伝的物語には流れているからこそ、ローラの本を読む私たちを感動させ、また、夢中にさせるのではないだろうか。

ローラは、神を愛し、また、人を愛するということを本当に大切にして生きた人物だった。そのことは、同じくイエスを信じるアルマンゾと結婚した後も、夫婦ふたりで守り続けたものであった。
それが、ローラとアルマンゾのひとり娘ローズにも受け継がれていったのである。

インガルス一家は、教会に行くことができない日曜日(聖日)には、家族で日曜集会を開き、礼拝していた。
ローラとメアリーが覚えている聖句を暗唱し、母キャロラインが聖書の話や詩編から一節を読み、父チャールズのバイオリンに合わせて皆で歌っていたのだった。
インガルス一家が、まず、神を第一としていたことがよくわかる。
何よりも、彼らは、神を愛していたのである。なぜなら、神こそが、全ての源だからである。神によって、新たに生きる力が与えられ、また、人を愛する力も与えられるのだから。

「暗き雲の空にかかり、大地に影をなげるとも、
希望の光、我が行く道に照る、神は我が手を握りたまえば」
日曜ごとに、父さんは弾き、みんなは歌いました。
「神の御前に、喜び溢れ、
集う我が家の聖日は、
宮殿の集いにいやまさる、
楽しき集い、聖なる日」<恩地美保子訳>

3度目のクリスマス
吹雪の合間に、父チャールズが町に買い物に行くことになる。
しかし、彼が、家に着く前に吹雪が来てしまい、長い吹雪になってしまう。
夜になっても帰らない父チャールズのことを心配するローラ達。
母キャロラインが、吹き付ける吹雪の中、牛の乳絞りやエサやりに外へ出るが、吹き飛ばされそうになるくらい、強い風が渦を巻くように吹いている。
二日目になっても、三日目になっても、帰って来ない父チャールズ....
しかし、四日目のクリスマスの前日になって、雪まみれの毛むくじゃらの動物のような姿で父チャールズは、ローラ達が待つ家に帰って来たのだった。

ローラは、父さんが無事に帰って来るように一生懸命に祈っていたと、父チャールズに話しをしている。
ローラにとって、父チャールズが無事に帰って来たことが、この年の何よりのクリスマスプレゼントとなったのである。

4*シルバーレイクの岸辺で
インガルス一家は、鉄道の工事現場の工夫たちが去ったシルバーレイクのほとりにある測量技師の家で過ごすことになる。
そこには、なんと、冬の食糧も石炭も充分に備えられていた。そこに住みながら会社の備品を預かるだけで、それらを無料で使えるという。
母キャロラインは、「まるで、神の取り計らいによって、神によって備えられたもののように思える。」と言う。それが、インガルス一家の信仰であった。


この物語は、やんちゃなローラが、しっかりしている姉のメアリーの失明という出来事や、また、いつも一緒にいた老犬ジャックの死という出来事を通して、自分がやらなければならないことは、自分ひとりでやり通すという決意をするところから始まる。
ローラが13才の頃の話である。

姉メアリーの目となり、姉と共に生きようとするローラ。
ローラは、優しさと勇気を遺憾なく発揮する。

大きな森の小さな家で、ローラが出会ったドーシアおばさんの勧めで、父チャールズは、鉄道会社の店番と帳簿係の職を得て、ローラたちは西部に行くことになる。

父チャールズが先に西部に旅立ったので、母キャロラインと子供たちだけで、初めての汽車の旅をする。そうして、インガルス一家はプラムクリークの家を出て、シルバーレイクのほとりへと移住するのである。

西部の始まるシルバーレイクのほとりに、冬を過ごせる為の充分な備えがあった。
姉メアリーが猩紅熱によって失明した時には、父チャールズとローラを除く全員が病に侵されたので、父チャールズには医師への支払いの当てもないほどだった。
そんな彼らにとって、父チャールズが職業に着け、その上、石炭も食糧も万全に備えられている、しっかりとした家で冬を越せることは、まさに、愛なる神が備えられたものとしか言いようがない。

楽しい冬の夕べに、父チャールズのバイオリンの音色に合わせて、家族揃って歌う。

「いざ立てよ、神の兵。
使命に燃ゆる勇者、汝。
かたき団結を守りつつ、
行かん自由の旗のもと、
平和、平安勝ち取らん」<恩地三保子訳>

イエスキリストの十字架の十の字、その縦は神と人の平和な関係を表し、横は人と人との平和な関係を表していると言われる。そこには、豊かな心の平安がある。
救い主イエスの十字架のみわざは、私たち人間を死と死の恐れから解放し、自由にするものであった。
神の勇敢な兵士として、十字架の平和と、永遠の命を伝える使命の為に立ち上がろう。とローラたちは歌う。
そして、この時、インガルス一家が歌ったその事は、今や現実のものとなっている。
神は、ローラインガルス ワイルダーを通して、世界中の人々に、神の愛と聖書の御ことばを届け続けているのである。

この日、インガルス一家は、歌ったり踊ったり、笑いながら楽しい時を過ごすことができたのだった。

このシルバーレイクの物語には、ローラが、ひとり立ちとつけたページがある。
すなわち、自分はしっかりしなければならない。と書かれているわけである。
もう、あのやんちゃなローラは見られないのか、と思っていたら、ローラは決して期待を裏切らない。
ちゃんと、月夜の晩に、ローラとキャリーのふたりだけで、凍ったシルバーレイクの氷の上を滑りに行き、光る月影をたどって行って、大きな2匹の狼に出会って帰って来る。
ローラが、家に慌てて帰ってその話をすると、「おまえらしいな!」と、父チャールズ。

次の日、父チャールズが、大きな狼2匹のことにかたをつけに行って、新しい良い土地を見つけて帰って来る。

そして、その年のクリスマスに、家族でささやかな礼拝とお祝いをしたのだった。
父チャールズの陽気なバイオリンの音が、楽しいクリスマスの曲を奏で、それから、讚美歌を家族そろって歌った。

「輝く日は明け、良き日は来たれり。
世界は目覚めぬ、黄金の暁に。
あらゆる国びと集いきたる、神の御山にのぼらんと。
神は教えたもう、神の道を、
その御跡を歩まん、いざもろびと」<恩地三保子訳>

クリスマス・イブ(前夜)の輝く夜は明け、エルサレムのベツレヘムで、イエスキリストの誕生されたクリスマスの日を迎える。
世界は、夜明けの東の空に黄金色に輝く太陽に目を覚まし、あらゆる国の人々が、エルサレムの神の山に礼拝するために集まって来る。
神は、神による救いの道はイエスキリストにあると教えられた。
さぁ、全ての人々よ、そのイエスキリストの御足の跡に従いつつ歩んで行こう。

「あたたかき日光は草に、
朝露はうなだれた花に、
命をよみがえらせん。
瞳あかるく光を見つめ、
秋の日は明けゆく。
されど、優しき言葉、
まことの微笑みこそ、
夏の日にましあたたかく
露にまさりて輝かん。
自然のたくみの優れし技も
この世のすべてにはあらず、
黄金も玉も、心を満たさじ。
されど、神のみもとにぬかずき、
優しき言葉、あたたかき微笑みもて
人みな集う時、ああ、この世は美しきかな!」<恩地三保子訳>

暖かい太陽の光と朝露が、うなだれた草花をよみがえらせるように、イエスキリストも復活の命によって、私たちを新しい命によみがえらせるのである。
どれほど巧みな自然の技も、この世のすべてではない。また、金、銀、宝石も、私たちの心を本当には満たすことはできない。
しかし、愛である神の御もとにひざまずいて、人々が集う時、そこには、謙遜な人々の優しい言葉と温かい微笑みがある。
その時、この世界が心から美しいと思えるのである。

讚美歌を歌い終わる頃、メアリーが、人が来る気配に気づく、そこで、ドアを開けると
ボースト夫妻が訪ねて来ていた。
そして、彼らと一緒に、クリスマスの神への讚美を捧げたのである。

「メリー、メリー・クリスマス!
空から鳴り響く、楽しい歌声。
クリスマスの鐘、クリスマス・ツリー、
その風にのってやって来るクリスマスの香り。

感謝を込めて、喜び歌う、心に溢れるこの幸を。
見よ、栄光の日はのぼる、大地をあかく染めつつ。

迷える者の心を照らす灯、
くじけし者への慰めもて、
主は導きたもう、手をとりて、
永久の平和に、信ずる者を」<恩地三保子訳>

救い主であるイエスキリストは、世の光である。
主イエスは、信じる者の手をとり、永久の平和へと優しく導いてくださる。
主は、この世の人生の旅路を迷う私たちの心を光で照らし、愛で満たしてくださる方なのである。
だから、クリスマスおめでとう!と、私たちは主に感謝し、喜びながらクリスマスをお祝いするのである。

ある日曜の夜、インガルス一家とボースト夫妻が、みんなで安息日の歌を歌っていた。

「我ら良き家に楽しく集い、
喜びの歌、家に満ち溢れるとき、
寂しくひとり住む人の
頬につたう涙を思うことがあろうか?
差しのべよ、我らが手を....」<恩地三保子訳>
突然バイオリンの音が止んだと思うと、外から力づよく歌っている声が聞こえて来た。

「力つき、弱りはてし者に、
差しのべよ、その手を、巡礼の道にある者に」<恩地三保子訳>
すると、オルデン牧師と、若いスチュワート牧師が立っていた。

みんなで夕食を囲んだ後、オルデン牧師と母キャロラインの話があった。

「インガルスさん、メアリーの受けた苦しみを、心から同情いたします。」
「ありがとうございます、オルデンさま」母さんは沈んだ声で言いました。
「時には、神の御心に従うことの辛さを感じます。私たちは、あのプラム・クリークの家で、家じゅうが猩紅熱にかかりまして、しばらくの間は、本当に苦しい日が続きました。けれど、子どもたちが、みなこうして残されたことを、私は感謝しております。メアリーは私にとっては、大きな慰めなのです。オルデンさま。あの子は、ただの一度も、不平がましいことを言ったことがありません。」
「メアリーは、たぐいまれな魂の持ち主で、われわれみんなにとっては、生きた教えなのです。」オルデン牧師は言いました。「神は愛する者をこそ試したもう、ということを忘れてはなりません。そして、勇気ある精神は、あらゆる苦難を、かえって善きこととするということも。」<恩地三保子訳>

オルデン牧師は、盲目者の為の大学があることを話し、その後メアリーと長い間、話込んでいた。

オルデン牧師は、…さわやかな飲み物として、一緒にお祈りの集いをしようと言いました。みんながそれぞれ椅子のそばにひざまずき、オルデン牧師は、みんなの心を、秘めた想いを知りたもう神に、その場に集う者に目を向け、その罪をゆるし、あやまちなく過ごせるよう力をかしたもうよう願いました。
ローラは、自分が、日照りにあえぐ土まみれの草のように、暑くからからに乾いていて、その静けさは、涼しく、優しく降り注ぐ雨のような気がしました。
オルデン牧師の言った通り、それはさわやかな飲み物のようでした。
すがすがしく、力がみなぎって来るのを感じながら、ローラは、もうなんのくったくもなくなり、どんなに辛い仕事も喜んでするし、自分の欲しいもの、自分の希望などすべて捨ててもかまわないという気持ちになっていました。メアリーが大学に行けさえすれば。<恩地三保子訳>

そして、その後寝る前に、ローラは、メアリーに約束したのだった。メアリーが大学に行くために、一生懸命に勉強をして、学校で教えられるようになって、少しでも役に立てるようになることを。

神は、その人自身に合った 出会い方をされる。また、神から人への語られ方も様々である。ローラに合った方法で、神はこの時、ローラの渇いた心を豊かに潤されたのである。

この物語は、ローラが、いずれ人間はひとり立ちしていかなけれならないことに気づいたことに始まる。しかし、この時のローラは、ひとりぼっちのように思うと書いている。
オルデン牧師が神に祈った時、これから先のローラの人生に、いつもイエスキリスト共にいてくれることに、ローラは目を留めることができたのかもしれない。
そして、その事が、ローラを新しい力にみなぎらせ、嫌なことにも立ち向かう勇気に奮い立たせたのかもしれないのだ。

シルバーレイクの町の最初の礼拝
次の日、朝食の後、月曜日の朝ではあったがみんなで礼拝をすることになった。
父チャールズがバイオリンを弾き、みんなで讚美歌を歌い、スチュワート牧師が「皆の尊い努力に、神の導きがあるように」と祈り、その後、オルデン牧師のメッセージがあった。
そしてその後、父チャールズの美しいバイオリンのしらべに合わせて、再び、みんなで賛美をささげたのだった。

「はるかかなた、遠い地に、幸せの国、あるという。
聖者はみな栄光に満ち、日光のごと輝きたもうとか。
ああ、天使の歌声を聞け、主には栄光、王には....」<恩地美保子訳>
その後オルデン牧師は、馬車の支度ができると行ってしまったが、オルデン牧師の言葉は、みんなの心に希望と喜びを残したのだった。

さて、父チャールズは、気に入った土地の払い下げの申請に出かけることになる。
早く行かなければ、誰かに先に取られてしまうかもしれない。
四日目の夕方、父チャールズが帰って来た。気に入った土地が取れたことを話そうとする父チャールズに、待ちきれずにせきたてて話を聞こうとする"おはねちゃん!"
父チャールズは、この頃、ローラをこう呼ぶのを気に入っていたらしい...。

父チャールズは、テネシー生まれのヤマネコ、エドワーズさんの死にものぐるいの助けによって、一番欲しかった土地を手に入れ、インガルス一家はそこに住むことになるのである。

この時、父チャールズの親切心から、土地の払い下げ申請に行く人々に、夕食と朝食を出し泊めることになる。
父チャールズが払い下げ申請に行っている間に、あまりの大変さに、母キャロラインとローラ達は料金を取ることにする。
そのお金は、後にメアリーの盲目者の大学に行く為に、取って置くことになる。
しかし、彼らに出した食糧のほとんどは、もともとは測量技師の家に備えられていたものを、インガルス一家が自由に使って良いことになったものだった。
ここに来て、母キャロラインが「この事は、神の取り計らいによって、神に備えられたものだと思う。」と言った言葉が、再び、生きて来るのである。

5*長い冬(この物語に関しては、別version でも当ブログの2014.4.6日に掲載)
<長い冬ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>の本の中に、ローラから来た「親愛なる日本の子供たちに」というローラが自ら書いた手紙がのっている。
最初に日本で、ローラの本長い冬を訳した石田アヤさんが、ローラに手紙を書き、日本の子供たちへのメッセージをもらってくれたものらしい。
その中には、やはり、神と共にアメリカの開拓時代を生き抜いたローラならではの誠実な言葉が書かれていると思う。

長い冬の物語は、ローラが14才の頃の話である。

この物語の中で、ローラが「鳥の翼が私にあれば」と聖書の詩編の聖句を思い出している。これは、ダビデが書いた詩編だと思う。”ああ、私に鳥の翼があったなら、自由に飛んでいけるだろうに...〃
長く厳しい冬が来る兆候があり......ジャコウネズミの巣は、例年になく分厚く厳しい冬に備えている。父チャールズは、もし、自分が鳥だったら、さっさとここから逃げ出すだろうと言う。
また、親切なインディアンが、凄い雪が何ヵ月も続くと警告しに来る。
そこで、父チャールズは、家族で町に引っ越すことを決心する。
ローラには、父さんの言うことがなんとなくわかったのだった。
穏やかな天候の空の下に潜んでいる不穏な感じ、それが父チャールズにもローラにもわかったのだ。
もし、鳥の翼が自分にあるなら、飛んでいきたい。それが、その時のローラの思いだった。
ローラはまだ小さかったから、聖書の詩編の言葉を使うことによって、自分の心の中や思いを表現したのだろう。
聖書の詩編には、私たち大人とっても、自分に表現しにくいような心の中や感情にぴったり来るものがよくある。人は、自分の感情を表現できるだけでも楽になる時がある。
また、昔から同じようなことで悩んだり、苦しんだりした人物がいてるだけでも、励まされるものである。

年寄りの親切なインディアンの忠告により、長く厳しい冬に備えて、父チャールズは町に引っ越しすることにする。
町に落ち着いた時、学校帰りの生徒を見て母キャロラインは、ローラとキャリーを次の日から学校に行かせることにする。
知らない人に会うのが怖くて学校に行きたくないローラは、メアリーは学校の先生になりたがっていたのに、代わりに自分が学校の先生になる為に学校に行かなくちゃならないなんて不公平だと思いつつも、恐れてはならないと勇敢に立ち向かうことを決意する。

緊急して前の晩よく眠れなかったローラとキャリーが学校に着くと、ローラに気がついたひとりの少年が明るい笑顔でローラにボールを投げて来た。キャップ・ガーランドだ。ボールがカーブしながらローラの所へ飛んで来る。ローラは、思わずナイスキャッチ。すると、「わぁー!」と男の子たちから歓声が上がった。
話しかけてくれた女の子たちと一緒に教室に入ると、先生が声をかけてきた。先生の名はフロレンス・ガーランド、さっきボールを投げて来た少年キャップ・ガーランドの姉さんだった。
先生は、授業を始める前に聖書を開くと読み始めた。その日の朝は、詩編23編だった。

ローラはもちろんそれを全部覚えていた。でも、23編のことばをもう一度聞けるのはとてもうれしっかった。
最初の「主は羊飼い。私には何も欠けることがない」から、最後の「命のある限り、恵みと慈しみはいつも私を追う。主の家に私は帰り、生涯そこにとどまるであろう。」まで。
読み終わると先生は聖書を閉じ、生徒たちは教科書を開いた。授業が始まったのだ。
ローラは、日ごとに学校が好きになっていった。

ローラは、学校に行った初日に詩編23編の聖書の御ことばを、もう一度聞けて良かったと書いているが、再びローラは、この聖書の御ことばを大草原の小さな町の中で書いている。

<聖書の詩編23編>
"主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私と共におられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え、私の頭に油を注いでくださいます。
私の杯は、溢れています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。"

ローラはいつも、父チャールズが、牛の世話や馬の世話をどれほど愛情を込めてやっているのかを、小さい頃から目にして育って来た。
ローラが大きくなってからは、ローラ自ら牛や馬と親しみ、楽しみながら世話をしていた。
(聖書では、救い主イエスを羊飼いにたとえ、イエスを信じる者が羊にたとえられている。)
小さな頃からローラには、羊飼いである主が、深い愛情と繊細な気配りをもって私たちという羊の面倒をみてくださっていることが、分かりやすかったのではないだろうか。
羊は、弱い動物で、一度転ぶと自分ひとりでは立つこともできない。
私たちは、羊のように弱くとも、そんな時こそ主によって強くされる。
だから、私たちは勇敢になれるし、どんな時でも主によってリラックスできるのである。

ローラもキャリーも月曜日が待ち遠しいほどに学校が好きになっていた。
ところが、ある日授業を受けている時だった。学校の校舎を嵐のようなもう吹雪が打ちつけたのだ。
フォスターさんと言う男の人が迎えに来てくれたので、一緒に先生も生徒も家に帰ろうとするが、吹雪の中でまったく前が見えず、迷子になりそうになってしまう。その時、ローラの肩が町の本通りの一番北の端にある建物の角にかろうじてぶつかった。この先には、雪を避けることができない大草原が広がっているだけだ。
ローラが知らせる為に叫んだ声を聞きつけて、ホテルに避難し、なんとかみんな助かったのだった。
これが、厳しく長い冬の始まりだった。

この日、ローラとキャリーが家に帰ると、家族のみんなが気を使い、ふたりを暖かい所に座らせ、母キャロラインが熱い生姜入りの紅茶を作って飲ませてくれたのだった。
その時ローラは、風と寒さから逃れて、安全な家の中にいられる、この幸せ。心配ごとのいっさいない天国とはこういう所なのではないのかと書いている。<長い冬*谷口由美子訳>

もはや思い煩いもなく、何の心配もないく、そして、家族がみんないるところ。
"主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。"<聖書・使徒の働き16:31>
天国は、神の家族が誰ひとり欠けることなく、みんなで一緒いられるところである。
こんな話がある。天国は、この世の人生において、どれほどみんなに自分が愛されてきたのかが、よくわかる所である、と。
天国は、神の愛と、神の家族たちの愛に満ちているところなのである。

さて、町の北にロイヤル・ワイルダー飼料店があった。店の奥では、アルマンゾ・ワイルダーがそば粉のホットケーキを焼いていた。
アルマンゾは、母親が腕前を認めるほどにホットケーキを焼くのがうまくなっていた。
焼き上がったホットケーキと、塩づけ豚肉と、熱いコーヒーのにおいが漂っていた。
ホットケーキに糖蜜をかけて食べながら、二人はインディアンが言った厳しい冬のことを話していた。
「もし、汽車が止まってしまったら、俺たちは春まで持ちこたえられないぞ。」
「もし、汽車が動かないことになったら大変だぞ。町の人たちが石炭や小麦粉や砂糖を買いに来てもすぐになくなってしまうよ。」
「でもいいか、僕の種小麦は何があっても絶対に手をつけさせないからな。」
そんな話をしながら、アルマンゾはホットケーキをひっくり返していた。
「ところで、ホットケーキはもう焼けたかい?」とローヤル。
アルマンゾはローヤルの皿にホットケーキをのせながら言った。「21枚目だぞ。」
「食べているうちは、俺たちは皿洗いをしなくていいからな。」と、ローヤルは言った。

ある時、揺り椅子に座りながら、ローラとメアリーが大学の話をしていた時だった。
急に太陽が暗くなり、ゴーという音と共に吹雪が襲ってきて 家がぐらぐらと揺れた。
父チャールズは、危機一髪で家に帰って来ることができた。その夜は厳しい寒さが家の中まで押し寄せた。そして、小さな町は、広大な大草原の中で孤立し、白い雪の世界に閉じ込められてしまったようになってしまう。

猛吹雪が続き、外は零下40度の日が続き...。学校や、牛や馬の家畜の世話をするために家の外に出ただけでも、猛吹雪で迷うと命の危険がある。
そんな生活の中で、父チャールズはバイオリンで讚美歌を弾き、ローラたちはバイオリンにあわせて、午後はずっと賛美歌を歌った。

「はるかかなたに
仰ぎ見る御国よ......」
「イエスは辛いこの世の岩
辛いこの世、ものうい世
イエスは辛いこの世の岩
嵐の時の隠れがよ」
「嵐よ、吠えろ
吠えて、のち止む
我ら、嵐を乗り越えて
やがて着くのだ。幸せの地へ」<谷口由美子訳>

凍りつくような猛吹雪の嵐に負けじと、この世の人生のいかなる荒波も乗り越えさせ、嵐からも守られる救い主イエスを賛美するローラたち。賛美をするうちに、嵐をも乗り越えることができる勇気が湧いて来るからだろう。賛美とは、そういうものである。
イエスキリストは、救いの岩として聖書に書かれている。
海での船の航海の時、荒波や嵐から船が流されない為に、イカリをおろす。救い主イエスキリストという堅固な岩に結ばれている者は、何があっても流されることがない。
また、山や森の中で嵐が来ると、小鳥や少動物は大木や岩の陰に身を隠すことによって守られる。イエスキリストにある者たちは、いかなる嵐が来ようと、救いの岩であるイエスキリストによって守られるのである。
ローラたち一家は、はるかかなたの御国を仰ぎ見た。御国とは、Kingdom のことで、救い主イエスが王である国である。これが、天国の本当の意味である。
ローラたちは、やがて、天にある幸せの御国に安らかに住むことを思いつつ、この現実の厳しい状況の中でも、今の新しい地でも幸せである為に、勇気と忍耐をもって、日々戦い抜いたのである。

この時、他にもう1曲歌ったとローラが書いている母さんお気に入りの讚美歌は、「大草原の小さな家」「プラムクリークの土手で」「シルバーレイクの岸辺で」の物語の中で登場する讚美歌だと思われる。その歌を「プラムクリークの土手で」の物語の中では、ローラが初めて教会に行く時に家族で歌ったのだった。

長い冬のメリークリスマス
猛吹雪の日が多く、なかなか汽車を駅まで通せない。クリスマスが近づいてもクリスマスの計画すら立てにくいインガルス一家。
そんな中でローラたちは、お金を出しあって父チャールズに、小さな赤い花が刺繍してある青いズボン吊りをクリスマスプレゼントにする。
その年は誰も、靴下を吊り下げようと言わなかったくらいに、クリスマスプレゼントを用意するのが難しい年だった。
それでもローラは、こっそり他の家族へのクリスマスプレゼントを思案する。
ローラはキャリーへのクリスマスプレゼントに、銀色の台紙に青い花を刺繍した額縁の中に、青と白の服を着た良き羊飼いである救い主イエスが、雪のように白い子羊を抱いている絵のカードを入れ、テーブルの上のキャリーのお皿の上に置いたのだった。
それを見たキャリーは、「本当にきれい」とうっとりしていた。
良き羊飼いである救い主イエスキリストが、雪のように白い子羊を抱いている。
私たちを雪よりも白くされる方が、イエスキリストである。
雪めくらという言葉がある。父チャールズが汽車を通そうと、切り通しで働いた時に、あまりの眩しさに目を痛めてしまった。それほど、降り積もった雪に太陽の光が当たると輝くのだ。
それくらいに、救い主イエスを信じると全ての罪がきよめられ、輝く雪のように白くされるのである。

「ああ、なんてすてきなクリスマス!」キャリーがため息をついた。
ローラもそう思っていた。何があろうと、いつだってクリスマスは楽しいメリークリスマスになるのだ。<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

猛吹雪で汽車が止まってしまい、町の店では食料品や燃料の値段がつり上がり、インガルス一家には買うだけの余裕がない。それでもメアリーが大学に行く費用には手をつけたくないインガルス一家。
そんな中で、グッドアイディアを出し合い、必要な物が欠けていても見事に父チャールズ始めインガルス一家はのりきって行く。
ストーブの石炭が底を着いた時は、干し草を固くよじり結び目を作って木の棒のようになった物をストーブの燃料にする父チャールズ

「干し草の棒とは!」母さんが声をあげて笑った。「次は何を考えつくのやら。チャールズ、あなたは道さがしの名人だわ」
「おまえこそ、その道の名人だよ」父さんは母さんに微笑みかけた。<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

今度は小麦粉が底を着いた。父チャールズが店に買いに行くが、小麦粉はもはやなかった。そこで、粉にひいていない粒のままの小麦を買って来る。

「....この小麦をどうやって料理するか考えるとしよう。どうするね、煮るとか?」....
「粉ひきならありますよ」そう言って、母さんは戸棚の上に手を伸ばし、コーヒーひきをおろした。....そして、腰をおろすと、...ハンドルをぐるぐる回し始めた。....
父さんがたずねた。「これでパンが焼けるかな?」
「もちろん、焼けますよ。でも、お昼にパンを焼くなら、このままひきつづけていなくてはだめですよ」<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

灯油ランプがつけれなくなった時は、母キャロラインがボタンランプを思い着く。

母さんは、....ボタンを包むように布を持ち上げてまとめ、上を糸できっちり縛った。....
それから、ほんの少しの車軸油を上の方までこすりつけてから、受け皿の油の上に、包んだボタンを置いた。....
その小さな炎は、まるで暗闇の中の一本のろうそくの炎のようだった。
「キャロライン、おまえは素晴らしいよ。ほんのわずかな明かりだが、あるのとないのとは大違いだ」父さんがほめちぎった。<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

凍りついた機関車を出そうとしていた鉄道会社が春まで除雪作業をあきらめ、機関車が完全に氷の中に取り残された。
町には食糧もなく、まきや石炭も底をついて行く。
その中でも、希望は神にあると、インガルス一家は力強く讚美歌を歌う。
母キャロラインが柔らかな声で歌い始めるとローラも一緒に歌い出す。次にキャリーが歌うと、そこにメアリーのきれいなソプラノの声が加わっていく。

「おお、カナン、輝くカナンよ。私は向かう......
ああ、嵐のヨルダン川の岸辺に立ち、あこがれの目を向ける。
カナンのきらびやかな楽園に、私の大切なものがあるところ
ああ、カナン、輝くカナンよ
私は向かう、カナンの幸せの国に.......」<長い冬*谷口由美子訳>

カナンの地は、神による新しい約束の地を指す。新しい天と地、すなわち天国を意味する。
ローラが、初めて教会に行った時に歌った黄金のエルサレムも、新しい約束の地カナン、天国を指している。
これは、アブラハムから始まったイスラエルの民が、新しい約束の地カナンの地を目指したことに由来する。
神が、イスラエルに約束された新しい地は、神の祝福がとても豊かな所である。
新しい安住の地を探し、希望を決して失わず、忍耐し続けたインガルス一家の力の源は、救い主イエスキリストであった。
なぜなら、イエスキリストの十字架の御業を通して、永遠の命が与えられ、新しい約束の地へと、私たちは入る者とされるからである。

長い冬の厳しさは、極限を迎え、父チャールズは家族を励まそうと家族に本を読む。が、ローラは集中力さえなくなっていて本の内容が耳に入らない。そこで、ローラは、父チャールズにバイオリンを弾いて欲しいと頼むのだが、弾いてはみたものの父チャールズの手は、厳しい寒さの中での作業のせいで、バイオリンを弾くことができない。
そんな時、姉のメアリーが、妹のグレイスを膝に抱き、こんな歌を歌っている。
「あの美しい国の歌を聞かせよう
たましいの住むところ
吹雪とは無縁の、日の輝くかの地
永遠の時が静かに流れていく」<谷口由美子訳>

冬が長く、なかなか春が来ない中で、四日間の猛吹雪に見舞われる。父チャールズでさえ、限界を迎えそうになる。
バイオリンが弾けたらこんなに辛くはないのにと言った父チャールズの言葉に、ローラはみんなで歌うことを提案する。
ローラは、父チャールズの為に何かしたかったのだ。
「我らはみんなここにいる。」その時ローラの思いに浮かんだのは、自由を得た人々の歌だった。

「歌えばいいのよ!」そして、メロディーを口ずさみ始めた。すばやく父さんが顔を上げた。「その通りだ、ローラ。....」
ローラはもう一度歌い出した。まず、父さんがそれに加わり、それから他のみんなが加わって、みんなで歌った。
「ポールとサイラスが牢屋に繋がれた。
どうってことない恐れるな
ひとりは歌い、ひとりは祈った
どうってことない恐れるな

我らはみんなここにいる、我らはみんなここにいる。
どうってことない恐れるな
我らはみんなここにいる、我らはみんなここにいる
どうってことない恐れるな

もし、信仰がお金で買えても(そんな悪がはびこったとしても:筆者注釈)
どうってことない恐れるな
金持ちは生きながらえ、貧乏人は死ぬしかない
どうってことない恐れるな」
今や、ローラは立ち上がって歌っていた。キャリーも立ち上がり、グレイスは目を覚まして、口を大きく開けて歌っていた。
「我らはみんなここにいる、我らはみんなここにいる!
どうってことない恐れるな
我らはみんなここにいる、我らはみんなここにいる
どうってことない恐れるな」<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

この歌が、聖書の使徒言行録の話にヒントを得たアメリカ民謡と書かれているのは、聖書の<使徒の働き16:22ー39>にヒントを得たのだと思われる。
ローマ人としての市民権があり、ユダヤ人のパウロとシラスが捕らえられ、鞭で打たれてから、ふたりは牢屋に入れられ足かせをはめられる。
真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、他の囚人たちも聞き入っていた。
ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。目を覚ました看守は、見ると、牢の扉が開いているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
そこでパウロは大声で「自害してはいけない。"私たちはみんなここにいる"」と叫んだ。
看守は灯りを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏した。
そして、ふたりを外に連れ出して、「先生がた。救われる為には、何をしなければなりませんか」と言った。
ふたりは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。....<使徒の働き16:22ー39>
このパウロとシラスのふたりは、神に祈り、神を賛美していた。すると、大地震という神の力の介入があり、牢屋から解放され、自由の身となったのである。
神の介入は、それだけにとどまらず、看守とその家族の救いにさえ及んだのである。
そして、パウロとシラスを捕らえた長官たちは、ふたりがローマ市民であることを聞いて恐れ、自分たから出向いて来て、ふたりに謝罪したのである。

家族みんなで何曲か歌った後、しばらくして父チャールズがこの曲を歌い出す。
この曲は猛吹雪の中でも安心して家にいられることを感謝しているインガルス一家みんなの気持ちと一致していた。

「大いなる主、限りなく賛美されよ
神の都の、聖なる山で」 <聖書の詩編48より><谷口由美子訳>

偉大な神の都エルサレムにおいて、主は大いにほめたたえられるべき方である。
エルサレムにある聖なるシオンの山は、王の王、主の主である大王の神の都として知られ、そこにはエルサレムの宮殿がある。
イスラエルの王として名高いダビデは、「ただひとつである、私の願い求めることは。それは、命の日の限り主の家に住み、主を賛美することである。本当にそのただひとつだけだ。」と公言する。それほどに主は素晴らしく、麗しい方なのである。

"主は大いなる方。大いにほめたたえられるべき方。
その聖なる山、われらの神の都において。
高嶺の麗しさは、全地の喜び。
北の端なるしオンの山は大王の都。
神は、その宮殿で、ご自身をやぐらとして示された。"<詩編48:1.2.>

すると、今度は、母キャロラインがこの曲を歌い出したのだった。

「もしもわたしが、空の国に住めるなら
どんな恐れもかなぐり捨てて、涙もさっと振り払う」<谷口由美子訳>

イスラエルの国のエルサレムの都は、天上の黄金のエルサレムと、現在のエルサレム宮殿のある場所が、天と地が上下に繋がっているところである、と言われる。
"主はその聖座が宮にあり、その王座が天にある。"<詩編11:4>
天は、神の住まわれるところであり、地は神の足台である。
イエスキリストは復活した後、天に挙げられ、父なる神の右の座におられる。
そして時が来ると、新しい天と地である黄金のエルサレムの都へと、イエスを信じる者を携え挙げられるのである。

この長い冬、インガルス一家の心を支えたのは、神への賛美であり、賛美歌を歌う中で与えられた、聖書の御言葉の約束に信頼する信仰だったのではないだろうか。
インガルス一家は、長い冬を、神を賛美しつつ乗り越えたのである。

【黄金のエルサレム・幸せの国・天の国・カナンの地などが書かれている聖書の黙示録】
インガルス一家が、長い冬の間、歌った讚美歌のモチーフとなっている新天新地・黄金のエルサレム・カナン・幸せの国などが書かれている聖書箇所は<黙示録21.22章>である。
"また私は、新しい天と地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。........
神ご自身が彼らと(イエスを信じる者)と共におられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。
すると、御座に着いている方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」
.......都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。.......その城壁は純金でできていた。........
御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。
それは神と小羊(イエス)との御座から流れ出て、都の大通りの中央を流れていた。
川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。
また、その木の葉は諸国の民をいやした。...."<黙示録21.22章より>

6*大草原の小さな町
長い冬の後、厳しい冬を乗り越えたインガルス一家に春が来たような順調な日々が続く。
メアリーが大学に行き、ローラが学校の先生の免許を取るまでの物語

長い冬の間、ローラは厳しい冬が通り過ぎ、再び、払い下げ農地に帰り、春の大自然の中で家族で暮らせるのを待っていた。
そしてやがて、インガルス一家は農地の家に帰り、太陽が暖かく輝き、春の耕作も始まりだす。
メアリーとローラは、時々一緒に散歩をするようになるが、その中で、ふたりは心を割って話しをするようになる。

「姉ちゃんは、いつでも良い子になるように努力してたね」とローラは言った。....「あたし、そんなんじゃないよ」とメアリーが言う。「それはそうありたいと思ってやってはみるけど、あたしだって時々、凄く反抗的で意地悪な気持ちになることあるの。だからもしローラちゃんがあたしのお腹の中まで見ることができれば、あたしみたいになりたいなんて思わないよ。」....ローラは聞いてびっくりした。....
「あたしたちはみんな、どうしようもないほど、悪いのよ。そして、<<火の粉の上に飛ぶように>>悪に傾いているの」と、メアリーが聖書の句を引いて言った。「でも、そんなことどうだっていいよ。....それはね、あたしたちはね、自分が良いとか悪いとかって、そんなに自分のことばかり考えてはいけないって思うのさ」と、メアリーが説明した。....「あたしの考えていること、どう言ったらいいのかわからないけどね、そんなに考えることじゃなくて、―ただ心にわかることなの、神様の良さをはっきりと心の中にわかることなの。」....「神様は善である」ということは誰でも知っていることだが、メアリーには何か特別な方法で、そのことが心にはっきりわかっているように、ローラには思えた。....
「エホバは我が牧者なり、我、乏しきことあらじ。エホバは我を緑の牧場に伏させ、いこいの水際に伴いたもう。....詩編の中で一番これがきれいな句だと思うよ。...」<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

神は絶えず最善に私たちを導いてくださる。と、信じ切ることは難しいかもしれない。
メアリーが一番きれいな句だと言った詩編は、ダビデが書いた詩編である。
ダビデは、幼子のように自分自身を主に委ねることができた人物だった。主の愛に信頼していたのである。
ダビデは、自分が良い時も悪い時も、神が決して自身を見捨てず愛してくださるということを経験からも知っていた。
もちろん、聖書から主イエスが愛に満ちた方であり、罪を赦す方であることを知っていることはとても重要である。
しかし、ダビデはバテシェバと姦淫の罪を犯した時に、ダビデはそれを隠さずに神の前で告白し、罪を赦されたのである。
その相手バテシェバとの間に、その時できた子は死んでしまったが、結婚した後に、ダビデとバテシェバとの間にできたその子ソロモンは、イスラエルの国の王ダビデの子として王位を継承することとなった。
その時、ダビデは、自分が良い時も悪い時も変わらずに神が愛してくださること、また、それにも関わらず最善をなしてくださる神の恵みをより深く知ったのである。
メアリーは、人にはどう見えても、自分自身の心の中が良い人間とばかり言えないものがあることを知っていた。自分自身の中の原罪を自覚していたのだった。
しかし、それにもまして主イエスが自分を愛してくださり、最善をなしてくださることも知っていた。
メアリーもダビデのように、絶えずありのままの自分を隠さずに神と向き合っていたのだろう。それが、メアリーが心で神をわかった要因の一つだったのかもしれない。
そして、その時からメアリーは、自分が良い人間か悪い人間かを悩むよりも、どんな時にも自分を愛し、最善に導いてくださる神を賛美するようになったのである。

メアリーが一番きれいだと言った聖書の<詩編23編>
"主は私の羊飼い。
私は乏しいことはありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私と共におられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え、
私の頭に油を注いでくださいます。
私の杯は、溢れています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。"
このく詩編23編>は、長い冬の物語の中で、ローラとキャリーが初めて学校に行った時に、先生が聖書を開き読み上げたが、ローラはこの詩編の言葉をもう一度聞けるのがとても嬉しかったと言っている。

独立記念日
その年の独立記念日に、父チャールズとローラとキャリーが町に出かけた時のことである。
父チャールズが歌い出し、次から次へと皆が歌出したのだった。

「我がゆかしき自由の国よ
我は歌う―
永遠に輝け、聖なる自由に
我が王、神よ!
護りたまえ。」<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>
この時、ローラは、出し抜けに、今までになかったまったく新しい考えが湧いて来たと書いている。
「神こそアメリカの王である」と。
その時、ローラは自分の心全体がパッと明るくなったように感じたと言っている。

「我らの父、我らの信じる神、自由の造り主―。」
神の法則こそが、自分たちに自由を与えることができる唯一の法則だと、ローラは言う。

"真理は私たちを自由にする"<聖書>
イエスキリストは、真理であり、道であり、命である。
神は、私たちをかたぐるしい規律で縛ろうなどとは考えておられない。むしろ、私たちに自由と解放を与えるために、神のひとり子イエスはこの世に来られたのである。

もちろん、法律を犯し、他の人に害を与えるようでは自分自身も、自分の周囲の人間も不幸であり、自由ではない。しかし、私たち人間は、どうしても自分自身では制御することができないような罪による欲望を覚えることもある。
救い主イエスの十字架は、そんな私たちの内にある罪の問題から解放し、私たちを自由にするための神の御業だったのである。
神を認めないということは、自分自身だけが自分の全てを自由にできると思っているということである。が、その時私たち人間は、自分中心に世界が回っているという間違った考えに陥りやすい。それが、自分が自分の王であり神であるということである。

しかし、ローラは言う。救い主イエスが自分の王である時こそ、私たち人間は本当に自由なのである、と。

金曜の夜の文芸会
ローラは、もう勉強に飽き飽きしていた。そんな時、金曜の夜に町の学校で楽しい文芸会が始まる。インガルス一家は、みんなで出かけて行く。
スペリング競争やジェスチャーゲームが行われ、父チャールズはスペリング競争では一番となり、ジェスチャーゲームではユーモアのある父チャールズのセンスは抜群だった。

新しい教会の日曜日
ちょうどその頃、町の教会の建物が出来上がり、理由は怪しいがローラはブラウン牧師のメッセージさえ、楽しんで聞いていた。
家に帰ると、父チャールズはローラとキャリーに、その日のメッセージの聖書の御ことばを尋ねるのだった。

ローラは、最も良いのは、メッセージの後に歌う<讚美歌18番>だと書いている。

最も良いのは、讚美歌18番だ。オルガンの音が響いてきたかと思うと、みんな元気に歌い出す。
我が杖を手に、我らは進む
見知らぬ国の、荒れし砂漠を
我が信仰は光輝き
我らの希望は強くたくまし、
「イエスの道」ぞ、我が旅のうた。
そして次に、響き渡るオルガンの音よりももっと大きく、声を揃えて力一杯歌う。
「イエスの道」こそ、我が祖父の道
神に導く、人の世の道
これぞ他になき、明るき世の道
踏みて行かん、我が「イエスの道」<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

イエスキリストの足跡にしたがい、私たちが道を進んで行く時こそ、
私たちの神に対する信頼は光輝いて、
希望が私たちの心の中で強くたくましくなって行く。
イエスキリストにある道こそが、暗い夜も明るく照らす人生の旅路なのである。

日曜学校と朝の礼拝と、....また夜、教会に行くことで、日曜日は毎週、まるで飛ぶように過ぎていった。そして、月曜日にはまた学校がある。金曜日の文芸会が待ち遠しく、近づくにつれてますますそわそわしてくる。....
これでもまだ足りないかのように、婦人援助会は、教会の費用への一助として、大がかりな感謝祭のお祝いを計画した。....
教会の中の壁に取り付けてあるランプは、みんな灯がともされていた。ひとつのテーブルのまん中に、トビ色に蒸し焼きにされたブタが、見事な赤いリンゴを口にくわえて立っていた。....
ローラもキャリーもこんなにたくさんの食べ物を見たのは、まったく生まれて初めてだった。テーブルは二つともぎっしりだった。....一番素晴らしいのはあのブタだ。....
これはみんなローラには初めての経験だった。<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

また、金曜日の文芸会では、父チャールズインガルスが、やってのけた。
彼は、友人たちとぼろぼろの服を着て真っ黒に顔を塗り、まん中の男がタップダンスを披露し、他の四人は口琴を弾く者、ハーモニカを吹く者、骨をカスタネットのように打ち鳴らす者、また、最後のひとりは手拍子足拍子を取る者だった。
歓声が上がり、みんな興奮と笑いで盛り上がったのである。
父チャールズは、骨を指の間に入れて 調子外れにカタカタ鳴らしていた黒人だった。

宗教強調集会
少しずつ大人になってきているローラは、この頃、町での色々な催しを思いっきり楽しんでいる。教会での催しもクリスマスの集会や祈祷会も楽しんでいた。

ローラたち家族は、宗教強調集会に出かけた。教会は混んでいて、ランプの明かりと人混みで、暑いほどにストーブが効いていた。
ブラウン牧師が讚美歌154番と言うと、牧師婦人がオルガンを演奏し、みんなで讚美歌を歌った。ローラたち家族は、激しい口調のブラウン牧師の説教よりも、オルデン牧師の静かな口調の方が好ましいと思ったが、それでも讚美歌は楽しんで歌っていた。

讚美歌154番
九十九は、安らかに
囲いの中に、いこうれど
群れをなし、子羊ひとつ
優しく賞ずる、飼い主はなれ
黄金の問より、はるかなる
草一つなき、荒れ山深く
丘をさまよう。
喜び祝え、主はその羊を、連れ帰りたもう!
<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

救い主イエスは優しい羊飼いとして、囲いの中に安らかにいる99匹の羊を待たせておいてでも、いなくなった1匹の羊を探される方である。そして、喜び祝いながらその羊を肩に乗せ連れ帰られるのである。
この讚美歌は、次の聖書の<マタイ18:11ー14>をモチーフとしている歌である。

"人の子(救い主イエス)は、失われている者を救うために来たのです。
あなたがはどう思いますか。もし、誰かが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九を山に残して、迷った一匹を探しに出かけないでしょうか。
そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。
このように、この小さいものたちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。"<マタイ18:11ー14>

ブラウン牧師の長いお祈りに、ローラは目を閉じ頭を下げて静かに聞いてはいたものの、お祈りが終わって、みんなが立ち上がり、踊りたくなるような元気な感じの讚美歌を歌い出した時にはホッとしたと、ローラは書いている。

さわやかに明ける光に種まきて
照りつける真昼の野辺に種まきて
薄れゆく入日惜しみつ
おごそかに更けゆく夜半に種まきて
ああ、刈りいるるは何ものぞ―お
ああ、刈りいるるは何ものぞ。<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

この讚美歌は、ソロモンが書いた次のく伝道者の書11:6>がモチーフになっていると思われる。

""朝のうちに種を蒔け。夕方も手を放してはならない。
あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか知らないからだ。
二つとも同じようにうまくいくかもわからない。<伝道者の書11:6>
涙と共に種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取りの日を迎える。
風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている人は刈入れをしない。
慎重なばかりでは、時には恐れている時と同じ結果しか生み出せないかもしれない。
時には大胆に一歩踏み出してみること、あれもこれもやって見ることが必要な時もあるかもしれない。もしかすると、全て成功するかもしれないのだ。

「宗教強調集会が歌うことばかりだったら、ローラは大好きになったろう。」<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>
これが、宗教強調集会に出たローラの本心である。

「さあ、行こう!」父ちゃんはグレイスを抱いて通過を戸口の方へと歩いて行った。....
ローラが自分の外套の袖に手がかけられているのに気がついたのは、「お送りしていいですか?」と言う声がしてからだった。そう言ったのはアルマンゾ・ワイルダーだった。
<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>
彼が、後にローラの夫となったアルマンゾ・ワイルダーである。

7*農場の少年
後にローラの夫となったアルマンゾの少年時代の物語。
今から百年以上も前のニューヨーク州北部のマローン農場でのアルマンゾが9才の頃の話である。
アルマンゾには、兄のローヤルと姉のイライザ・ジェインとひとつ年上の姉アリサがいた。
アルマンゾは馬が大好きな少年だが、まだ小さいので馬には近づかせてもらえない。もし、子馬や調教前の若い馬をおどしたり、からかったりすると悪い癖がつき、そうなるとどんなに調教しても良い馬にはならないからだ。馬の調教は、アルマンゾの憧れだった。

アルマンゾは学校から帰って来ると、兄のローヤルと一緒に牛や羊の世話をした。古い干し草をどけて、新しい干し草を入れてやる。おとなしい雌牛の乳絞りもすることができた。
アルマンゾの父親は、快活な青い目をした大柄な人で、立派な農場を持ち信用もあつかった。母親は、小柄でふっくらした、茶色の髪をした青い目の女性だった。

アルマンゾの母さんは、いつもたくさんの料理を作ってくれた。そして、食卓のすべてに母さんが気を配るのが終わると、やっとアルマンゾはテーブルにつけるのだ。それから、父さんの食前の感謝の祈りが終わると、待ってましたとばかりにアルマンゾは、たっぷり食べた。塩漬け豚にベイクドビーンズ、じゃがいもにハム、バターを塗ったパンに煮込みカボチャ、それから、プラムのプリザーブ、ぶどうのジェリィにピクルス、最後にカボチャのパイ。アルマンゾは夢中になってたいらげたのだった。
夕食の後は、アルマンゾは自分の履いているモカシンという靴に、牛や羊のあぶらを塗りこみ手入れをする。こうすると、水がしみこまないのだ。
その後は、兄のローヤルが、ポップコーンを作り出す。はぜトウモロコシを鍋に入れ火にかけると、パンとはじけ、ポンポンと次々にはじけて行く。アリスがバターをかけ、塩をふりかけながらよくかき混ぜると、美味しいポップコーンの出来上がり。みんな欲しいだけ食べていいのだった。
アルマンゾは、片手にリンゴ、すぐ脇にポップコーン、足元にはサイダー(リンゴ液)を置き好きなだけ食べた。

時計が9時を打つと、寝る時間だ。
アルマンゾが次に目を開くと、ロウソクが鏡のついたタンスの上で灯っている。アルマンゾは服を着替えると、乳絞りの桶を両手に飛び出して行き朝の仕事をする。
アルマンゾが朝の仕事を終えると、朝食はもうほとんどできている。
アルマンゾが急いで顔を洗い、髪をとかしつけ、みんながテーブルに着くと、父さんが食前の祈りをささげる。
アルマンゾは、金色をしたそば粉入のホットケーキに、ソーセージを添えて食べ、バターとメイプルシロップをかけて食べた。濃いクリームとメイプルシュガーをかけたオートミールも食べた。薄く切って炒めたじゃがいもに、プリザーブにジャムに、ドーナツも食べた。でも、中でも一番アルマンゾが好きなのは、とろっとした煮汁がたっぷり入りポロっと皮がはがれるアップルパイだった。

日曜日
「まあたいへん!八時じゃないの!さあ急がなきゃ!」....日曜日には、母さんは、他のみんなもせきたてるのだった。....父さんは、教会行きの服に着かえに家に入った。....アルマンゾは、素敵な日曜日の晴れ着を着た母さんをとても誇らしく思った。....
父さんの馬は、ニューヨーク州で、もしかすると世界中で一番良い馬なのだ。マローンの町まで5マイル(8km)あるのだが、父さんは、礼拝が始まる30分前では、絶対に出発しないのだ。2頭の馬は、その5マイルをいつもだく足で走り、 父さんが厩に入れて 毛布をかけ教会の階段に足をかけると同時に 鐘が鳴るのだった。
みんな慎んで礼拝堂へと入って行った。.....
そのあとは、説教が終わるまでただじっと座っているだけなのだ。....
牧師さんの厳しゅくな顔と、ヒョコ、ヒョコ動いている あごひげから目を離してはいけないのだ。
アルマンゾは、父さんが自分も牧師さんを見ているなら、どうしてアルマンゾが脇見をするのがわかるのか、不思議でならなかった。でも、いつも父さんにはちゃんとわかってしまうのだ。<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>

どうもやはり、小さい子どもはじっと座っているのが苦手である。アルマンゾも例にもれない。
しかし、大人になったアルマンゾは、<新大草原の小さな家シリーズ*ロジャーリーマグブライド著>の本の中でこう言っている。
「教会に行ったり、聖書の話を聞いている時は心が休まる」と。

8*この楽しき日々
ローラとアルマンゾ、本格的ラブロマンスへと発展!の物語
ローラが15才で学校の先生となり、色々な試練を通る中で、アルマンゾ・ワイルダーとの関係が深まり結ばれて行く。
ローラが18才でアルマンゾと結婚するまでの楽しい日々が描かれている物語

昨日まで学校で生徒だったローラが、明日には学校で先生として教える為に、町から12マイル離れたブリュースター家に下宿することになる。
家からは遠いので、今度ローラが父チャールズに迎えに来てもらえるのは、2ヶ月後だ。
しかし、そこで、ブリュースターの奥さんからとても不愉快な扱いを受けるローラ。
たまらなくホームシックになるローラだが、父チャールズが迎えに来ることを期待しないようにと自分に言い聞かせる。

金曜日の授業中、嵐が始まりそうなので、ローラは学校を早めに切り上げるかどうかを考えていた。
その時だった。風の音に混じって銀の鈴の音が聞こえて来た。
二頭の馬が窓の外を通り過ぎた。それは、プリンスとレディだった。
アルマンゾ・ワイルダーが、プリンスとレディに小型のそりを着けてローラを迎えに来たのだ。
ローラがそりに乗り込むと、銀の鈴の音が楽しげに鳴り出し、まるで翼で飛ぶように速いスピードで家に向けてアルマンゾの馬は走って行った。

その日曜日、友人のアイダ・ブラウンと久しぶりに会ったローラは、笑ってはなるまいとアイダの冗談に体を震わせながら、教会の席に座っていた。

「楽しきかな安息日の学び舎
我は懐かし、屋根丸き
麗しき宮にも勝りて
喜びもて、我が心はいつも
汝になびく、我が懐かしき安息日のふるさと。」
共に歌うということは、話をするよりはるかに良い。二人並んで、一つの讚美歌の本を広げて立った時、アイダって本当に良い人だとローラは思った。
「迷い多き、自己強き心に、
人の世のならわしの、初めて示されしは、ここ、
より良きものを初めて求めしはここ、
しこうして得ぬ、安息日のふるさと。」
確信に満ちた澄んだローラの声が、メロディを歌うと、アイダの柔らかいアルトの声がこれに和して、「安息日のふるさと」と響いた。そしてまた、二人の声が溶け合う。
「喜びもて、我が心はいつも
我になびく、我が懐かしき安息日のふるさと。」....
ローラは、今日の説教の題になっている聖句をしっかりと覚えて、うちに帰ってから、父ちゃんに聞かれても言えるように確かめた。....
彼女は、メアリーのいないことが、教会ではいっそう感じられて、いてくれたらいいのにーと、いつも思うのだった。....
今は、メアリーは大学に入ったし、ローラは学校の先生なのだ。彼女はブリュースターさんの奥さんのことや学校のことは努めて考えないようにした。....ローラは40ドル稼いでいるのだ。40ドルあれば、メアリーは必ず来年も大学にいられる。努力さえすれば、何事もきっとうまくいく。....
みんなは、頌栄歌を歌う為に立っていた。教会は終わった。<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>
ローラは、日曜日の午後を家族みんなで過ごす為に居間でくつろいでいた。
すると、通りの向こうから鈴の音が聞こえて来た。アルマンゾワイルダーだった。
ローラが乗り込むと全部の鈴の音が一斉に音楽をかなで、学校に向かって走り出したのだった。

初めての学校の先生の仕事を無事に終え、辛く苦しいブリュースター家の下宿生活から、やっと解放されたローラは、家に帰ることになる。
アルマンゾとの仲もこれまでかと思っていたローラだったが、日曜日の午後にアルマンゾが再び、プリンスとレディに小型のそりを着けてやって来る。
ローラは、アルマンゾと一緒に小型のそりでのドライブに行きたくなってしまう。
アルマンゾとローラは、ローラの気が変わり一緒にそりに乗っていることで、声を合わせて笑い、そして、軽快なスピードで走るプリンスとレディに着けた小型のそりのドライブを楽しんだのだった。

ローラが久しぶりに学校に生徒として戻った時だった。作文を書く宿題が出ていたことを知ったローラは休み時間のうちに作文をなんとか仕上げることになる。

『大望』
大望とは、物事の成就になくてはならぬものである。一つの目的を達しようとする大望なしには、何事もなされない。他の人々より秀で、己れ自身に優ろうとする大望なしには、高度の価値は存在しないであろう。....
大望とは良き召し使いであるが、これが主人となれば野心となる。私たちが大望を統御している間は、これは善であるが、もし私たちがこれに支配される危険ありとすれば、私はシェイクスピアの言葉を借りて次のようにいうであろう。
「クロムウェルよ、これはわしの命令じゃ、野心を投げ捨てよ。天使でさえ、この罪の為に天国を追われたのじゃ。」<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

天国を追われた天使とは、堕天使ルシファーのことで、神のようになろうという野心によって、天からこの地上へと突き落とされた。
それがサタンと呼ばれ、聖書の創世記にあるエデンの園での蛇だと言われている。
狡猾な蛇は、神によって禁じられている木の実を食べるようにイブを誘惑する。
木の実を食べてしまったイブが夫アダムにも与え、最初の人アダムが罪を犯してしまうことになった。
その時、蛇がイブについた嘘偽りが、「あなたがたは決してしなない。その木の実を食べると神のようになれる」であった。
それで、真実な神の言われたとおりに、この世界に死が入り、人々は肉体はもちろん死を迎えるが、霊的にも死ぬことになった。
したがって、救い主であるイエスキリストを信じる者は、永遠のいのちを与えられると共に、霊的にも新しく生まれ変わることになる。
私たちが何かを成そうとする時、その目的、心の動機、経緯において、そこに野心が混入していないかどうかの確認が必要となる。
そして、そのいずれかに野心があるならば、私たちはそれを自分で治めなければならない。それが、長い目で見て必ず、成功する鍵であるからだ。

教員二級免許
インガルス家の南の境界線のすぐそばにあるペリーの用地に学校が立つことになる。
父チャールズが学校建設の監督を務め、ローラにその学校で教えて欲しいという話が舞い込む。
ローラは、再び教員免許を取りに行き、好成績で二級免許を取ることに成功する。
ローラは喜びのあまり家に帰る時に、喜び勇んで踊ったり、笑ったり、大声を上げながら帰って行ったと書いている。
家に帰ってその事を報告すると、母キャロライン始め家族は大喜びだった。
そして、父チャールズが、教育委員会がローラに一ヶ月25ドルで3ヶ月雇うことになっていることを発表した時のことである。

グレイスの青い目は、まん丸くなった。そして厳かな畏敬の念を表して言った。
「ローラ姉ちゃんはお金持ちになるね。」
皆は、どっと吹き出して楽しそうに笑ったので、グレイスまで訳のわからないまま一緒に笑わずにはいられなかった。<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>
グレイスの言うことなす事には、笑わずにはいられないものがある。グレイスは良い味をしているな、といつも思ってしまう。グレイスを見ていると、神は私たち一人一人をユニークにまた個性的に造られたのだと思わずにはいられない。
その仕事で得たローラの給料75ドルと父チャールズの25ドルで、メアリーの為にオルガンを買うことになる。ローラにとって、メアリーの為に役に立てることは非常な喜びである。
新しい居間が作られオルガンが来た日のことである。

「見てごらん、ローラ姉ちゃん、見てよう。」と言って、グレイスはその椅子に腰かけてぐるっと回した。この椅子の座席のところはネジ仕掛けになっていて、グレイスが腰かけたまま、くるくる回すと低くなったり高くなったりした。....
「あっ、グレイス!」ちょうどグレイスとオルガンの椅子が一緒に倒れた時に、母ちゃんが大声を上げた。グレイスは、起き上がったが余りにびっくりして声も出せなかった。そして、ローラさえ身の毛がよだつ思いだった。というのは、その椅子が二つに壊れて転がっていたからだ。
その時父ちゃんが笑った。「いいんだ、グレイス、大丈夫。」と彼は言った。「おまえはただ最後までネジを回しちまったのさ。だが、」と彼は厳しい調子で言った。「これからはその椅子のそばに寄るんじゃないよ。」<ローラ インガルス ワイルダー*著鈴木哲子訳>
やっぱりグレイスは期待を裏切らない。やはり笑せてくれるのだ。

この頃には、アルマンゾとローラの日曜日の午後の馬車でのドライブは当たり前のことになって行った。

歌の学校
アルマンゾの誘いで夜は歌の学校に行くことになるが、脱走者の暴れ馬バーナムに馬車を着け通うアルマンゾとローラ。
いつも帰りには、バーナムは退屈していたのか、より暴れ馬になっている。ローラが乗り込んですぐ、アルマンゾを置き去りにしてバーナムが走り出し....
家に帰ると、父チャールズと母キャロラインが起きて心配して待っていた。
「あのワイルダーの暴れ馬夜でも大丈夫かい?」と父チャールズ
父チャールズいわく、生まれつきの馬使いアルマンゾを信頼しながらも心配せずにはいられないローラの両親であった。

歌の学校の最後の夜、ローラたちは、彼らは「みさかえ歌う、あまつみそら」という讚美歌を一つ歌った。

「みさかえうとう、あまつみそら
天地に満つ、神の御わざ
日ごと夜ごとに絶え間なく
明らかなり、その道から
もろもろのことばは語り
もろもろの声に聞く」<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

天は神の御栄えを歌っている。
天と地には、神の御わざが満ちている。
日ごと夜ごとに、絶え間なく、それは明らかである。
イエスキリストは、神のいのちのことばそのものである。
救い主イエスは、十字架の死と復活という神の御わざによって、永遠の命に至る道を開かれたのである。
そして、主イエスが全世界の私たち人間に語りかけておられるグッドニュース、すなわち福音は全世界に絶えず発信されているのである。

ローラたちが歌った、この「みさかえうとう、あまつみそら」という讚美歌は、聖書<詩編19:1ー6>がモチーフとなっていると思われる。

"天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。....
その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。"<詩編19:1ー4>

歌の学校が終わった夜、バーナムはおとなしくアルマンゾとローラを待っていた。
ふたりは馬車にのり、星空の中を家路に向かい、ローラは星を眺めながら、さっきの讚美歌を再び歌った。
すると、アルマンゾが『星の光の歌』を歌ってもらいたいとアルマンゾが頼んだのでローラが歌うと、アルマンゾは考え深げに黙っていた。大草原は静寂に包まれ、バーナムの草原を進んで行く足音以外は何もしなかった。

そして、(アルマンゾは)星明かりに白く光っているローラの手を取ると、彼の手を優しく重ねた。彼は、今までこんなことをしたことは一度もなかった。
「君の手って 小さいんだなあ。」と彼は言った。そしてまた沈黙、そして口早に言った。「君は、婚約指輪って好きかなって思ってたんですけどね。」
「それはくれる人によるわ。」とローラは話した。
「僕が上げるって言ったら?」とアルマンゾが聞いた。
「そうなるとその指輪によってよ。」と答えて、ローラは手を引っ込めた。
<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

次の日曜日に、アルマンゾとローラは、ヘンリー湖まで馬車でドライブし野ブドウを摘み、ヘンリー湖を眺めさざ波の音を聞きながら、彼らは甘酸っぱい実を食べていた。
夕暮れの中、彼らが家に帰る途中、アルマンゾはローラの手を取り婚約指輪をローラの人差し指にはめたのだった。
そして、ローラがその美しい指輪を指にはめたまま家に着くと、父チャールズのバイオリンの音が聞こえ、彼は歌っていた。それは、父チャールズが母キャロラインのために歌う曲だった。
ローラとアルマンゾの初めてのキスの後、アルマンゾは馬車で家に帰って行った。

ローラが部屋に入った時、父ちゃんはバイオリンを下に置いた。彼は、ランプの灯に照らされて光っている指輪のはまっているローラの手を見た。
「なるほど、決まったんだな。」....
「おまえさえ確かならね、ローラ。」と母ちゃんは優しく言った。
「時々ね、おまえが好きなのは、あの馬たちだと思うことがあるよ、馬のご主人さまよりもね。」
「だって、そのどっちかだけ取ることってできないもの。」とローラは、震えそうな声で言った。
すると、母ちゃんはにこにこしてローラを見、父ちゃんは荒々しく咳払いをした。
<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

ローラとアルマンゾが婚約した年のインガルス家のクリスマス
このクリスマスに印象的なのが、クリスマスの星である。

「大いなる広野の空に隊伍を調え、
まばゆきばかりの星軍が、
夜空を高く飾りし時、
星、ただ一つ、
我が罪多き日を捕らえぬ。
彼の星は、我が光、我が師、我がすべて、
暗きうれいを追い払い、
嵐と危険の綱を解き、平和の港に導く。
今、危険は去りて安らけき
港に憩いて、我は歌う。
夜の冠をいただきて、
永遠に、永遠に、
ああ、彼の星よーベツレヘムの星よ、と。」
<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

救い主イエスキリストは、ひときわ輝く明けの明星として知られている。
クリスマスに救い主イエスが生まれた時は、非常に星が印象的なのである。
東の博士たちは、東の方で、全世界の王として生まれたユダヤ人の救い主イエスの星を見たので、ユダヤのベツレヘムまで訪ねて行った。イエスを礼拝するためである。
また、救い主イエスが生まれた時、御使いと一緒に多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、
御心にかなう人々にあるように。」

明けの明星である金星は、夜明けの星として知られ、夜が白みかけた明け方に、ひときわ強く輝いている。また、明けの明星である金星は、夕暮れの時、これから、夜が来て暗闇が深くなろうとしている時にも、ひときわ明るく輝く星である。
救い主イエスの星である明けの明星は、他の星々を制圧するほどの輝きを持っているのである。それ故、救い主イエスは、星々さえも従える万軍の主としても知られている。
そのように、光そのものであるイエスキリストは、私たちの人生における悩みやうれいという暗い心を追い払い、平安な中に私たちを憩わせてくださる方である。
救い主イエスにあっては、嵐も危険も及ぶことがない。
平和の君であるイエスは、我らを平和の港へと導く方なのである。

この日、町の教会のクリスマスに雪の嵐父で行けなかったインガルス一家は、家でクリスマスを過ごすことになり、クリスマスイブのごちそうを前に、父チャールズはバイオリンと共に歌っていた。
父チャールズはこの時「クリスマスの星」を思い描いていたのかもしれない。
ローラとにとっても、アルマンゾからプロポーズされた日に眺めた星空は印象的だったに違いない。だから、この年のクリスマスに星がメインの曲は、ローラにも嬉しかったんではないだろうか。
そこに、冬をミネソタにいる家族と過ごすために帰っていたアルマンゾが突然訪ねてくる。思いもかけないアルマンゾの訪問に、ローラは嬉しくて信じられないほどだった。
翌日のクリスマスも、招待されたアルマンゾと一緒に過ごすことができたローラにとって、この年のクリスマスも良い驚きに満ちたクリスマスになったのである。

9*初めの四年間
ローラは18才でアルマンゾと結婚し、娘ローズをもうける。

10*我が家への道
ローラと夫アルマンゾとひとり娘ローズが、新しい地マンスフィールドを目指して進む旅日記

11*大切なものはわずかです。
ローラ インガルス ワイルダー29の知恵
<当ブログ2014.3月3日、4日に掲載*世界に広がる神の祝福・ローラ インガルス ワイルダーpart 5~part 13>

ローラ・インガルス・ワイルダー自身の著作の本は全部で11巻らしい。

*新大草原の小さな家・ロッキーリッジシリーズ<ロジャー・リー・マグブライド著>
(当ブログ2014.2.21.24.25日に掲載)

*ホームページ紹介*最後のアダムイエスキリスト*

2014年2月18日火曜日

心をいやす方

心をいやす方

ABCDS2000

モーセの紅海の話や、モーセの出 エジプトの話はよく知られている。しかし、モーセが信じていた神が、心も体も癒される方であることをご存じだろうか?

“私は主、あなたをいやす者である。”

神がモーセを通して、エジプトの国から イスラエルの民を解放されたのは、死の恐れや 苦しみから解放するためであった。

イスラエルの民は、長い間エジプトの国で奴隷状態に置かれていた。 それゆえ 、うめき苦しんでいた。
そのうえ、エジプト王は、奴隷の民イスラエルの力を押さえるために、 イスラエル人 が産んだ子供たちをことごとく打ち殺したので、イスラエル人たちの悲しみや苦しみは、頂点に達していた。
その時、イスラエルの民が神に叫び求めたとき、神はその祈りを聞かれモーセを解放者とし遣わされたのである。

神はモーセによって、イスラエルの民をエジプトから解放された後、エリムというひとつのオアシスに導かれた。そこには十二の水の泉と70本の なつめやしの木があった。彼らはその水のほとりに宿営したのだった。
このオアシスのなつめやしの木は、英語では フェニックス*不死鳥であり、復活 の力を現わしている。
途中、水の無い砂漠のような荒野を通らなければならなかったが、神は父親のようにイスラエルの民を保護され、そこでも豊かに水を与えられ、そして こう言われたのである。
“私は主、あなたをいやす者である。”<出エジプト15:26>

モーセが信じた神は、私たちの心を慰めいやす者として、救い主 イエス キリストを この世界に遣わされた。
そのイエスは、こう言われた。

「心の貧しいものは幸いです.。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は 幸いです 。その人たちは 慰められるから。
柔和な者は幸いです 。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。 その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです 。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は 幸いです 。その人たちは神を見るから。
平和を つくるものは幸いです 。その人たちは 神の子供 と呼ばれるから。
義のために迫害されてるものは幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」

救い主 イエス キリストの十字架は、私たちを 愛されるがゆえに、私たちの悲しみや心の痛み、失敗や罪責感、死の苦しみや恐れまでも背負われたものだった。
イエスキリスト を信じる者は、それらの事柄から解放され、心がいやされるのである。
救い主イエス キリストは、十字架で死んで後、復活された方である。
復活されたイエス キリストこそが、永遠の 命を与えることができ、死の苦しみと恐れから完全に解放し、平安な心を与えることができるのである。


心の癒し カウンセリングのホームページ紹介
 エリヤハウス・ジャパン www.ehj.jp





2014年2月15日土曜日

ネヘミヤ*可能になった夢


おもしろブログ特集

ネヘミヤ 可能になった夢  


ネヘミヤの名は、「ヤハウェが慰めてくださった」の意味である。
ネヘミヤの名前は、天地を造られた神が慰められる方であり、愛に満ちた方であることを現わしている。

BC430年頃に書かれた書物がネヘミヤ記である。

捕囚となり、ペルシア帝国の王•アルタシャスタの献酌官になっていたネヘミヤは、自分の故郷であるエルサレム の城壁はくずされ、その門は火で焼き払われて、荒れ果てた状況であることを知った。
そのうえ、捕囚から逃れて生き残った残りのユダヤ人達 が非常に困難な中にあること を聞いたのだった。

そこで、ネヘミヤは、自分の国や民族の事を思い、故郷エルサレムの復活を願って、天地を造られた 神に祈るのである。
「天の神、主。…いつくしみを賜る方。…主よ。どうぞ、 私の祈りと、あなたの名を 喜んで 敬うイスラエルの民の祈りに耳を傾けてください 。そして、どうか、あなたの幸いを見させてください…。」
そして、ネヘミヤはアルタ シャスタ王に、自分の故郷エルサレムへの帰国を願い出るのである。

ネヘミヤの故郷エルサレムは、救い主 イエス キリストが十字架の上で勝利を成し遂げられ、死んで 復活 されたところである。
救い主 イエス キリストの十字架は、神の最高の愛を現わしている。
だからこそ神は、ユダヤ民族によって、この聖地を守らせ続けて来られたのである。
”神は、独り子(イエス)を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。”〈Ⅰヨハネ4:9 〉

ネヘミヤの夢
ネヘミヤには夢があった。しかし、ネヘミヤには、当時のエルサレムやイスラエルの国の状況を考えると、成功することが難しい不可能な夢に思えた。
ネヘミヤは、エルサレムの門と城壁を再建したいと願っていたのだ。
ネヘミヤは神に、純粋で高潔な愛をささげ神に忠誠を誓いつつ、一匹の獣を連れてエルサレムへと旅に出かけた。
しばらく行くと、暗闇の中から黒い大きな門が現れた。
ネヘミヤは、つい愚かにも、門を巨人と錯覚し、どんなに恐れていても、その腕が疲れ果てるまで、正義の為に戦ってしまった。その夢を実現するために。
そんな失敗によっても、ネヘミヤの気高い意志と勇気は、少しもくじけることがなかった。
次は、城壁の再建だった。
ネヘミヤは、現実の世界に妨げられながらも、やはり、気高い意志と勇気は少しもくじけなかった。

だから何度も言けど、そんなことはメッゲナイト。そんなことは絶対にありません。
これじゃあドンキホーテじゃないか。
ドンキホーテの話はフィクションではあるが、彼は騎士道精神に夢中になり 風車と戦い、人々の物笑いとなり傷つきながら、不可能な夢を追い続けることに なってしまった。
しかし 、ネヘミヤの夢は、エルシャダイ*全能の 神によって可能になったのである。
だから真剣なことを書くと、

エルサレムの城壁と門の再建
アルタシャスタ王が即位して、20年目の事であった。
王の前に酒が出た時、ネヘミヤは酒を取り上げ、それを王に差し上げた。これまで ネヘミヤは王の前で しおれたことはなかった。
その時、王はネヘミヤに言った。「あなたは病気でもなさそうなのに、なぜそのように悲しい顔つきをしているのか 。きっと心に悲しみがあるに違いない。」
ネヘミヤは王に言った。「私の先祖の墓のある町が廃墟となり 、その門は焼き払われている というのに どうして悲しい顔しないで おられましょうか。」
すると、王はネヘミヤに言った。「では、 あなたは 何を願うのか。」
そこでネヘミヤは、天の神に祈ってから王に答えた。「王よ。もしよければ、私の先祖の墓のある町へ私を送って、エルサレムを再建させてください。」

アルタシャスタ王は、ネヘミヤをエルサレムへと快く送り出した。
神の御手がネヘミヤの上にあったので、王はネヘミヤの全ての願いをかなえたのである。
こうして、ネヘミヤはエルサレムに帰って来て、そこにとどまった。

ある時、ネヘミヤは夜中に起きた。
ネヘミヤは、神がネヘミヤの心を動かして エルサレムの為に彼にさせようとしておれることを、誰にも告げなかった。
ネヘミヤはその夜、1頭の獣を連れて行き、その獣に乗り、エルサレムの城壁と12の門がどうなっているのかを見に行った。
彼がエルサレムを調べると、その城壁は くずされ、その門は焼け尽きていた。

さて、ネヘミヤは、エルサレムにとどまっていたユダヤ人の人々に言った。
「私達は、困難に直面している。エルサレムは廃墟となり、その門は焼き払らわれたままである。さぁ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」
また、ネヘミヤは、彼に恵みを下さった神の御手のこと、また、アルタ シャスタ王がネヘミヤに話したことばをも彼らに告げた。
そこで 彼らは、「さぁ、再建に取りかかろう。」と言って、この良い仕事に着手した。

さて、ネヘミヤは、エルサレムのイスラエルの民と共に、城壁と12の門の再建に取りかかったが、再建に反対する敵がやって来て、イスラエルの民をあざけり、さげすんで言った。「おまえたちをしている このことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしてるのか。」
そこで、ネヘミヤは彼らに言葉を返して言った。
「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、私たちは再建に取りかかってるのだ。しかし 、あなた方には エルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ。」

エルサレムの城壁と 門の再建工事は、着々と進んでいった。
敵は、ネヘミヤたちが城壁を修復してることを聞くと、怒り、また 非常に憤慨して、ユダヤ人たちをあざけった。
「このあわれな ユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、焼けてしまった石をちりあくたの中から生き返らせようとするのか。」
他の敵もまた、「彼らの建てている城壁なら、一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう。」と言った。
ネヘミヤは、それには答えず、神に祈った。
「お聞きください、私たちの神。私たちは軽蔑されています。彼らのそしりを彼らの頭に返し、彼らが捕囚の地でかすめ奪われるようにしてください。彼らは建て直す者を侮辱したからです。」
こうして、城壁の半分までが建て直された。民に働く気があったからである。

ところが、城壁の再建に反対する敵は、エルサレムの城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めたことを聞いた時、非常に怒り、彼らはみなエルサレムに攻め入り、混乱を起こそうと陰謀を企てた。
しかし私たちは、私たちの神に祈り、敵に備えて日夜見張りを置いた。

エルサレムの城壁の再建に反対する敵が「彼らの知らないうちに、まだ見ないうちに、彼らの真ん中に入り込んで、彼らを殺し、その工事を止めさせよう。」と、どこからでも攻め込んで来た。
ネヘミヤは、イスラエルの民に城壁の後ろの空き地に剣や槍や弓を持たせて配置した。
そしてネヘミヤは、彼らが恐れているを見て立ち上がり言った。「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」

敵のたくらみがイスラエルの民に悟られ、神がそれを打ち壊されたということを聞いた時、ネヘミヤたちは皆、城壁に帰り、それぞれ自分の工事に戻った。
彼らはそのようにして城壁を再建して行った。

エルサレムの城壁は、奇跡的に52日後に完成した。
ネヘミヤとイスラエルの民の敵が、この事を聞いた時、イスラエルの回りの諸国民はみな恐れ、大いに面目を失った。
エルサレムの城壁の再建工事が、神によってなされたことを知ったからである。
主の御心であるエルサレムの城壁と門の再建というネヘミヤの願いは、不可能を可能にする 神によって成功し、最後まで実現したのである。

最後に。不可能な夢を 探求したドンキホーテの映画 の中で、ドンキホーテすなわち、ラマンチャの男が歌った
The impossible dream.という曲がある。

夢がある。不可能な夢だが。
そのために決して負けることない戦いをするのだ。
耐えられないようなや悲しみや後悔を乗り越えてでも、
勇敢な者さえも恐れるような所へさえ走る。・・・・
あの星を見て、あの星に ついていくことが私の探求である。・・・・

カトリック教の信者であり 司祭に愛されていたドンキホーテは、例えどんなに希望がなくても例えどんなに遠くても、あの一つの星についていくことが、私の探求であると歌い上げている。
ドンキホーテ の作者が言いたかったあの一つの星とは、明けの明星である救い主 イエスキリストを現しているのかもしれない。

”見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。〃<エレミヤ33:6>

2014年2月13日木曜日

聖書研究はディナーの後で*ソロモン


ラッパの曰・ソロモンの神殿奉献


 

 ラッパの日。エニタムの月、すなわち第7月の第1日に、イスラエルの人々は、ソロモン王のもとに集まった。 ちょうど、この日は新月の祭りの日と重なっていた。
 それは、ダビデの町シオンから主の契約の箱を、ソロモンが建設したエルサレムの神殿の至聖所へ運び入れるためであった。 

 ラッパの日は、ショーファール(角笛)を吹き鳴らしイスラエルの全会衆を、主のもとへと呼び集める日である。イスラエルの全ての人々を王のもとに集めるため、新年が始まる最初の日は、ラッパ の日であり、角笛が朝から夕方前で吹きならされる。
  (世の 終わりの日、王であるイエスキリストのもとに聖徒たちを集めるためにも、ラッパが吹きならされる。)

 こうして、イスラエルの長老たち全員が到着したところで祭司たち は 契約の箱をにない、エルサレム神殿の至聖所の ケルビムの翼の下に運び入れた。ケルビムは契約の箱の上に翼を広げた。

 そして、ラッパを好きならすもの、歌うたいたちがまるでひとりででもあるかのように一致して 歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパと シンバルと様々の楽器をかなでて 声を上げ、 「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主に向かって賛美した。そのとき、主の宮は雲で満ちた。主の栄光が神の宮に満ちたからである。

 それから王は振り向いて、イスラエルの全集団を祝福した。イスラエルの全集団は起立していた。

 そして、ソロモンは、前庭中央部の青銅の足台の上に立って、イスラエルの全集団の前でひざまずき、両手を手に差し伸べて、祈りをささげたのである。
 足台とは、王座に上るための踏み台を指す。地は神の足台と言われ<マタイ5・35>、終末的にはキリストの完全勝利、完全な敵の征服を現している<ヘブル10:13>。

 救い主である王なるイエスキリストは、私たちの心の中央、すなわち心の王座に着かれ人生を導き、祝福される。

聖書研究はディナーの後で。
 イスラエルのヘブル歴は、太陽歴(グレゴリオ歴)と異なっている。
 モーセの時代に過越の子羊をほふりエジプトの奴隷から解放した月を、主が最初の月とせよと言われた時から、春に新年が始まり、第1月となる。(春歴)
 しかし、ソロモン王のエルサレムの神殿奉献から後、もしくはバビロン捕囚以降は、ソロモン王の時代のエルサレムの神殿奉献の日である第7月の1日が最初の月となり、秋に新年が始まるようになったと思われる。 (秋歴)


 秋歴      春歴     太陽歴
ニサン アビブ      3-4
  過越の祭り14
イッヤルジブ      4-5
シワン          5-6
  五旬節の祭り(ペンテコステ)
タンムズ        6-7
アブ          7-8
エルル         8-9
チスリ エニタム     9-10月  
     ラッパの祭り1日
  大贖罪日10日
  仮庵の祭り21日 (収穫祭15-22日)

マルヘシュワン ブル10-11
キスレウ         11-12月}
  宮きよめの祭り(光の祭り)
テベテ          12-1
シェバテ         1-2月
  春一番の花アーモンドが咲き始める。
アダル          2-3
  プリムの祭り13-15






2014年2月12日水曜日

建てる者と壊す者

 

おもしろブログ特集

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建てる者と壊す者

 
 
 

イタリアの大聖堂に屋根をつけた男ピッポ。彼は、色々な発明をするので、 変わり者と言われていた。

大がかりな建築のイタリアの大聖堂は、土台も壁もできあがっていたが、どうしても屋根を付けることができなかった。
誰も屋根をつけることができなった大聖堂に、見事屋根をつけたのが、ピッポだった。

初めに、 イタリアの大聖堂の屋根をつける者の公募が行われた時には 、見事にピッポは落選した。しかし、その時 に当選した建築家の方法では、屋根を付けることは不可能だった。

イタリアの大聖堂の屋根をつけるために設立された 委員会の人々は、当選した 建築家の方法 では、あまりにも不可能だったので、 もはやうんざりしていた。

自分の方法によってしか屋根を付けることが出来ないと確信していたピッポは、その頃、大聖堂の模型を作っていた。あまりにも馬鹿にされ 落選したことが悔しかったのだ。
その大聖堂の模型に屋根をつけて、自分の方法こそが正しいと証明しようとしていたのだった。

そして、大聖堂のその模型を持って行き再び委員会に掛け合うと、なんと、大聖堂の屋根をつける建築家として認められたのだ。
イタリアの大聖堂が完成するまで何年もかかり、数多くの困難もあったが、とうとう ピッポはイタリアの大聖堂を 完成した。彼は建築として 、今なお 世界中に名を知らている。

大聖堂は、神を崇める為に建築された。
そんなピッポは、イタリアの大聖堂に屋根をつけ完成するまで建てる者として働いたので
ある。

屋根を壊し友人をイエスの所に運んだ者

一方 こちらは、友人を助けるために、屋根を壊した者たちの話である。<マルコ2:1ー12>
彼らは、屋根を壊してでも 、イエスのもとに友人をどうしても連れて行きたかったのだ。

その頃、イエス キリストは、病人たちをいやされ、 貧しい者たちを顧みられながら、イスラエルの各地を周っていた。
その話を聞いて、長い間病気で寝たきりなっていた男の友人たちは、"救い主イエスなら、この男もいやされるに違いない"と思い、この病人の友人をベッドに寝かせたままで、イエスキリストのところまで運ぼうとしたのだか、あいにくその家の中は満員で、中に入ることができなかった。
あきらめきれない友人たちは、その家の屋根を壊し、屋根から友人をベッドに乗せたままつり下げて、救い主 イエスのもとに運んだのだった。

イエスは言われた。「あなたの罪は赦された。起きよ。床を取り上げて帰れ。」
人の子が罪を許す .権威を持っていることがあなたがたにわかるようにと、その時イエスは人々にそう言われたのである。
その男は病気もいやされたうえに 、罪まで赦されたのだった。
そして、男は、起き上がって家に帰って行った。
彼らは神 を崇め賛美しながら、帰って行ったことだろう。

建てる者も壊す者も、神を崇め賛美するためにそれらの亊を行なったのである。

2014年2月9日日曜日

エステル記 ちょっとした学び


おもしろブログ特集

エステル記


エステル記は 神の摂理と神の御手の書簡である。
摂理とは統治することであり、キリスト教では 、世界の全てのものを支配して導く 神の意志、恩恵である。

さて、ここで一つのユダヤ民謡を紹介しよう。

時計屋と侍女


宝石 で飾られた帽子

ある曰、王妃は、町の大浴場に侍女を連れて出かけた。大浴場に着くと、王妃は服を脱ぎ、ルビーや真珠などの宝石で飾られた帽子を脱いだ服の中に隠した。
大浴場に入ると へちまで背中をこするよう侍女に言いつけた。
しかし、侍女は言った。「王妃様の服を見張っていなければなりません。盗まれるといけませんから。」
王妃はそれでも、背中をヘチマでこするように侍女に言いつけたので、侍女は言われ通リにやって、侍女は先に外に出た。そして宝石のついた王妃の帽子を取ると、自分の頭にのせ、その上から薄布を巻いて隠してしまった。
大浴場 から出た王妃は 帽子のないことに気づき「おまえは私の高価な帽子を知らないかい?」と侍女に尋ねた。
「知りません。だから、放っておいてはいけません と申し上げたではありませんか。大浴場はいろいろな人が自由に出入りしますから。」

王妃は城に帰ると、怒りながら王にその話をしたが、王は「長い間城に務めている あの侍女が盗ったとは思えない。しかし、 もし、お前が首にするのなら 、役人に言って売り飛ばそう。」こうして 、侍女は売り飛ばされることになったのだった。

「誰かこの女を買わないか。売るにはもったいないが、買った者も 悔後しよう。」
町の人々は皆、きみ悪がってこの女を買おうとはしない。
さて、町に一軒の時計屋があった。時計屋の 男は、 その売られている 美しい女にとても魅かれたのだった。
事の 成り行きを 、時計屋が役人に尋ねると、「侍女は城務めをしていたが売られることになったのだ。金200つぶの代金を払えば、誰であろうと この女を自分のものにできるのさ。」と言った。
それを聞いた時計屋は、ふところから金10粒を取り出し、それを役人に渡しながら、
「ここに10粒の金がある。残りの190 粒は、後で 夕方に家に取りに 来てくれ。」
そう言って自分の店にその女を連れて帰った。

時計屋 は侍女をそばに座らせ、仕事を始めたが、お昼時になったので、男は上等な食事を通リの売り子に持って来させ、二人で一緒に食べた。
その後、男は黙って仕事を始めた。

やがて、時計屋は深いため息をついた。 しはらくすると、時計屋は頭を垂れて泣き始めた。
しかし、今度は涙をふきながら、声をあげて たっぷりと笑っのだった。
侍女は驚いて見ていたが、男の心の中が知りたくてたまらなくなって言った。
「本当のことをおしえてほしいの。なぜため息をついて泣いたの?。それでいて 最後に笑
ったのはなぜなの?」
時計屋はその分けを言いたくなさそうだったが、女に再びせがまれて仕方なく話し出した。
「私は君に心を魅れて、君を買った。しかし 、先に役人に払ったのが 、私の有り金の全てだった。たとえ全財産をはたいても残りの19O粒は工面できない。だから、ため息が出たのさ。そして、君と別れなければならないのか と思う涙が出たんだ。でもね、 最後に私は
神を見上げたのさ。
「神は惠深く、隣れみに満ちた方だから、何とかしてくださるかもしれないと思うと笑えてきたんだ。神にあっては、希望も喜びも消えないからね。」
「私は王妃の侍女をしていたの。あなたが本当のことを言ってくれたので、私は結婚してあなたを助けるわ。」
そして、侍女は 頭にかぶっていた布の下に手を入れて、帽子から宝石を1つ取って時計屋に渡した。「これを市場に持って行き 、金職人の親方に会って売ってきて欲しいの。 でも金4千粒以下でを売ってはダメよ。売れたら市場で2頭の良い馬と水と食べ物とで、馬のくらを一杯にしてきて頂戴。それとふたりが着る 新しい服を買って来て。
そして貴方が戻ってきたら役員に残りの金19O粒を払い、 明日の朝 ここを出ましょう。」
それを聞いた時計屋は、喜びならさっそく町へ出かけて行った。

宝石を売ると、それはなんと4千粒以上で売れたので、彼女の言うとおりにして戻って来た。
こうして、男は役人に残りの金190粒を払うことができたのだった。女は残りの金の粒を馬のくらにしまった。

次の朝早く、ふたりは、イスラエルの神、唯一まことの主に祈ってから、馬に乗って町を出た。そして、ひたすら砂漠の中をかけ抜けたのだった。
2日も走りどおしだったので、ふたりは馬を休ませ、食事を取ることにした。
二人はとても疲 れていた。
時計 屋は妻に言った。「私の膝を枕にして眠りなさい。そのあとで 私も眠るから。」
妻は男の言うとおりにして 眠った。
男も眠りたかったが、馬をそのままにして番もせずに眠るわけにはいかなかった。
眠れなかった 夫は、妻の髪の毛でもすいてやろうと思い、そこで妻の頭にかぶせてある 薄いベールを取ったところ、その下から高価な宝石が散りばめられた 帽子が出てきたのだった。
時計屋は、「これほど大切なものをその辺に置いておくわけにはいかない。 汚れないように 木にかけよう。」と思い、立ちあがってその帽子を木にかけた。
それから 再び妻の頭の 細かい 砂ぼこりを取ってやった。

そのとき突然カラスがやってきて、木に掛けた 帽子を口ばしでくわえると飛び去った。
驚いた夫はカラスを追いかけたが、 カラスはますます空高く 飛んで行ってしまった。
男が戻ると妻ばまだ眠ったままだった。
男は妻に何と言って説明しようかと考えたが、こんな話は とても信用してくれない と思い、帽子が見つかるまで探しに行こうと決心した。
持ち物や食べ物は 妻のためにの残しておき、妻に黙って 男は馬に乗り、 カラスが飛んで行った方へと馬を走らせた。

狼が出る森の中で

ガラスが持ち去った 帽子を探し 見つからないまま、2日たってようやく男は町に着いた。2日、男は何も食べていなかった。そこへ、荷台に肉とコンロを載せて、焼肉屋がやって来た。
町の人々は、次々に焼き肉を買って行った。男はそれをずっと見ていた。店も終わり帰ろうと した焼肉屋の主人は、まだ立ったままでこっちを見ている男に目を止めた。
「お前さん。なんでそこに立ってこっちを見ているんだ?」
そう聞かれて 時計屋は「どうか、私に仕事をください。食べる物も寝るところもないのです。」
焼肉屋は、真面目そうな時計屋を見て雇うことにして、家にその男を連れて帰った。

焼肉屋は妻に、食べる物と寝るところを時計屋に用意するように言った。こうして、 時計屋は焼肉屋の見習いとなった。
次の日から、時計屋が一生懸命まじめに働くので、焼き肉屋はたいへん満足そうだった。
ある日、男は焼肉 屋の家にきた人々が、少しずついなくなっていることに気がついた。

男は焼肉屋にたずねた。「これはどういうことですか?」
「関係ないことにロを出すな」と話そうとしない 焼肉屋だったが、しつこく時計屋が尋ねると、
「この先に大きな森がある。私が先祖から受け断いだ森なんだが。残念なことに水が出ない。だから、水を探しに行くと言う者に、私は40曰分の食糧を持たせ、旅に出すのだ。
ところが、あの森は深く迷ったら出て来れない。おまけに 2頭の大きな狼が住みついていて、4O曰たっても水を見つけられなかった者は、 この狼たちに食われてしまうというわけだ。
もし、水の出るところを見つけた者には、金でも銀でも、宝石でもくれてやるんだが。」

それを聞いた時計屋は、水を探しに 無精に出かけたくなったが、焼肉屋は まじめに働くこの男を失いたくなかったので、承知しようとしなかった。
しかし、あまりにも時計屋がしつこく頼むので、焼肉屋は男の身体にロープをつけ、迷っても森から出てこれるように計って 4O曰分の食料を持たせた。
そして 、この男の幸運を願って、水が掘れるように と鍬と鋤きを持たせてやった。

時計は、森の奥深くへと入って行った。さんざん歩いて掘ってはみたが、何処でも必ず大きな岩に突き当たってしまい水を見つけることができなかった。

何日かたって、疲れた男は、大きな枝のつき出した木の根もとで、その夜は寝ることにした。その木の根元には大きな岩があった。
真夜中、時計屋は夢を見た。雪のように白いヒゲをはやした老人が夢に現れたのだ。
「この大きな岩を持ち上げると その下に七つの金の壺がある。
その金の壺の下に 湧き水が出る場所がある。そして、お前が探してる帽子はその大きな枝の上にある。」
時計屋は目を覚ますと 「なんだ夢か。夢じゃあ どうにもならない。」
その日も水を探して 掘ってはみるものの、すぐに岩につき当たる。時計は、 もはや諦めけそうになるくらいに疲れていた。

その曰も男は大きな枝のつき出した木の根元の大きな岩のある場所で眠りについた。
すると、再び、雪のようにまっ白いヒゲをはやした老人が現われて言った。
「その大きな岩を持ち上げて水を探し当てなさい。」
その老人の声に目を覚ました男は、 大きな岩を動かそうとしたが 何度やっても ビクともしない。
こんな大きな岩は、神の力なくして どうして動かせようか。
あきらめた男 は再び眠ってしまった。
「起きろ。 お前を探している帽子は その木の枝の上。 お前のさがしてる 湧き水は その岩の下。 最後まであきらめるな。」
雪のような真白いヒゲをはやした 老人のその声にびっくりして起きた時計屋は、今度は必死に岩を動かそうとした。すると、大きな岩が なんだか動いたように思った。
そして、力いっぱい持ち上げると 、なんと神様に しか動かせないようなの大きな岩が持ち上がった。
“このような 正直者と、あなたに、同じような神の祝福がありますように。"
岩の下には7つの金の壺があったのだった。
その下を掘ると、 なんと そこから綺麗な湧水の出る場所があった。そして、みるみるうちに水が湧き出てきたのだった。
今度は、男は急いで大きな木の 枝に登ってみると、あの帽子があったのである。
さっそく男 は、 その帽子を懐に入れ、身体についていた ローブをたぐりながら、焼肉屋の主人のところへ走って行き、大声で叫んだ。
「探していた水が出たぞ。」
それを聞いた焼肉屋 は警いて森に走っていくと、 そこにはこんこんと湧き出た冷たい水が 小川となり流れていた。
しかし時計は、宝石で飾られた帽子の事も金の入った壺の事も焼肉屋に黙っていた。
焼肉屋の主人は 大喜びで「よくやったぞ。ほうびに金でも銀でも 宝石でもなんでもくれてやるぞ。」
しかし、男は言った。「欲しいものはありません。でも神様が私に幸運を与えて湧き水をみつけさせてくださったのですから、 一つだけお願いがあるのです。私は国に帰りたいのですが 、私の国では とても高価なものなので、塩を7袋 国に持って帰らせてください。」
欲のない男だと焼肉屋は思いながら男に 7袋の塩を持ってきてやった。

焼肉屋が立ち去ると、時計屋は 袋の中から塩を取り出し、金の壺を 袋の中に入れその上からまた、塩を入れ直した。
しかし7つ目の袋には、金の壺の中にあの帽子を入れてから上から塩をかぶせておいた。
こうすれば金の壺も隠せる し疑われない。 きっとあの帽子を持って妻のところに帰れると男は考えたのである。。
それから、男は7つの袋を ロバに乗せ、港に行き、乗船の予約をして、7つの袋を 船に積み込んでから、船長にことずけした。
私が世話になった 焼肉屋の主人に別れの挨拶をしてからまた船に乗リにきます。
男 は焼肉屋 の所に帰って、お世話になった感謝とお礼を何度も言ったのだった。
それから 再び、 時計屋は 港に戻って行た。ところが そこには 停泊していた船がない。
船はもう港はなれて 既に沖合いを進んでいた。
男は船に向かって声の限り叫んだが聞こえるはずもなく、「俺はなんてまぬけなんだ。こうなったからには、なんとしても 帽子を取り戻すまで帰らんぞ。」
男はそう言って 自分を呪い . 天を見上げたのだった。

再び旅へ

男はまだ旅に出かけた。砂漠をひたすら進んで、次の町へと なんとかたどり着いたのだった。
男は町で仕事はないかと探したが誰も顧ってはくれない。
空腹と疲れで動けなくなった男は街の片隅で しょんぼりと座り込んでしまった。
そこに通りかかったひとりの老後がいた。「おまえさん、 なんでそんなところに落ち込んで座っているのかね。」
男が言った。「私には 食べ物も寝る所もありません。 もし私を顧ってくださるのなら毎日働いてパンを買い幕らしのお手伝いをするのですが。」
「それは嬉しいね。 一緒についてきなさい 。」そう言って老婆は 自分の家に男を連れて行き、二人は親子のように仲良く暮らし始めた。
老婆の 家でも男はまじめによく働いて、朝早くから 山に行って薪を集め、町に売りに行き、帰りに パン や他の食べ物を買ってきて一緒に食べた。二人はまるで本当の 親子のようだった。

今まで起こった事を語り終えると、ふたりは、この事を誰にも話さないと誓い合った。
あくる日も、結婚式の祝宴が続いていたので、ふたりは屋上から、城に来る人々の中に時計屋の姿を探していた。

ハンサムな男に変装した侍女

急に音が姿を消してしまった侍女は あの後どうなっただろう?。
朝になって、侍女が目を覚ますと、夫になった時計屋の姿が見えない。はっと思って 女が頭に手をやると帽子もない。
「まったく男って 本当に信用できない。 結婚までして助けてあげたのに、いなくなるなんて。あげくに 宝石の帽子まで持っていくなんて、 まったくどうかしてるわ。」
侍女は立ち上がると、ひたすら町を目指して馬を走らせた。
昼も夜も 馬に乗って進み続けて ようやくある町に着いた。 しかし、それは計らずも、夫であると時計屋が暮らしてる町だった。
女 は、 馬の鞍からお金を取り出すと通りがかりの男の子を呼び止め、「これで男性の 服 とギターに似た楽器のサズを買ってきて頂戴 」と言った。
男の子は、 男物の服とサズを買ってきた。
侍女はそれを受け取ると男の服を着て 帽子をかぶり長い髮を隠し、 ちょっとイカしたハンサムな男に変装したのだった。
それから町行き、サズを弾きながら 歌い始めた。
これまでに聴いたことがないような歌声にひかれて、町を通りかかった人びと が立ち止まった。
そして毎日、町のあちらこちらから 人々が集まって来て ハンサムな男の美しいサズの音色 や 素晴らしい歌声に聞き惣れるようになった。

ある曰、 王子が狩りに出かけた帰り道、街に人々が集まっている様子を見た。
不思議に思った王子が近づいてくと、胸を打つ様な不思議な歌声が聞こえてきた。
王子が人ごみを掻き分けて前に行くと、ハンサム男がサズを弾きなから歌っていた。
その声は甘く、それでいて時にはもの悲しく、なぜか心を打つのだった。
夜がふけるまで 人々は聞き入っていた。
その日から毎日王子はその男のサズの弾き語りを聞きに通うようになった。

王は、 国を収めるための勉強もせず町 へ出かけてばかりなのを知って、心配をして王子を呼んで言った。。
「王子たるお前が王になるための勉強 もせず、町の歌い手の所にばかり通っているとはなにごとだ 。そんなことは王子のやることだろうか。」
しかし王子は答えた。「お父さまもその男のサズの弾き語りをお聞きになればきっとお分かりになるでしょう 。もし、お許しいただければ、その歌い手を お城に呼んで一緒に暮らしたいのです 。そうすれば 私も 毎日町に 足を運ばずにすみ、 国を統治する為の学問を学ぶことができるでしょう。」
王は、 少し考えると「 よかろう お前がその方が真面目に勉強できるというのなら、その男の歌い手を呼んで一緒に暮らせば良い。」と言った。
こうしてその歌い手 、本当の姿は 時計屋の妻である侍女は城で暮らすように なったのである。
王子と歌い手のハンサムな男は、食事は勉強もなんでも一緒にして過ごすようになりたい 無二の親友となったのだった。
王子が男の歌い手に言った。「今日は港に行ってみようじゃないか。港についた船のセリがはじまるんだ。時々持ち主の不明の荷物があるんだ。みんな運を天にまかせて、その荷物を買うのさ。時々思いもかけず貴重なものが出てきて大喜びするね。僕たちも運を天にまかせてやってみよう。」
二人が港に着くともうセリが始まっていた。
ちょうどその時 、小さな船が港に着いた。 その船の中に持ち主のない塩の袋があった。 それを王子が競り落としたのだった。 王子達が期待してその袋を開けてみると、 そこには塩しか入っていなかった。
その汚れた 7つの袋の中身はすべて 塩だった。
「なんだ全部塩じゃないか、 塩なんかに用はないよ。 さぁ 海に捨てて帰ろう。」とがっかりした 王子の親友のハンサムな歌い手の 男はそれを止めた。
「 運を天にまかせて買ったの だから、この塩の袋を捨てると 僕たちの運まで捨てることに なりかねない。」
そこで二人は塩の袋を城まで運ばせ、蔵の片隅に置いておいた。

それから 何年から過ぎた ある日のこと、 王が王子を呼び寄せた。
王は、「 お前は隣の国の王女と結婚しなさい 。そろそろお前がこの国を治める時が近づいている。」
すると王子は「父よ。私はこの親友が結婚するまで、結婚したくありません。 ふたりはいつも一緒でしたから親友と一緒に結婚式を挙げたいのです。」
驚ろいた 王は、「もしお前の親友に結婚の相手がいなければどうすのだ 。」と言ったが、王子も なかなか譲らない。「それでは 私の妹と結婚させれば良いではありませんか。」
怒った 王は、「お前の妹は王女なのだ。どうして素上のはっきりしない男に嫁がせることができよう。」と言った。
「それでは妹を呼んで、親友と結婚したいかどうか聞いてみようではありませんか。」と 王子は答えた。
王子はすぐに妹を呼 び寄せた。
王と王子が 事の成り行きを話して説明すると、 あのハンサムの男に心を魅かれていた 王女は「お父様。 私はあの方と結婚いたします 。」と答えたのだった。
王は困ったがいまさら どうすることもできなかた。
王子は親友を呼び寄せると、「君は僕と一緒に結婚式をあげるんだから、僕の妹と結婚したまえ。」と言った。
「ありがたい話だが、 僕は結婚したくないんだ。君だけ結婚すればいいじゃないか。」
そう言って 親友が断わったが、ゴリ押しの王子に押し切られてしまう。
「それはできない 。妹が君と結婚したがってるんだ。だから来週、僕と隣国 の王女、君と妹とで一緒に結婚式を上げるのさ。」

こうして、国をあげての結婚式が行われ、七日間宴会がひらかれた。
王は、町の人々に ごちそう振る舞おうとおふれを出すことにした。
この街の者は皆、誰でも白にやってきて ccnaものが食べたい 喉がかわいてるものは飲み、歌って 踊って 楽しむが良い。神がこの町すべての者に楽しみを分かちあってくださるように。

困ったことになったハンサムな男に変装した時計屋の妻だったが、町中の人々が城を訪ねて来るのを見て、私の夫がこの町にいれば会えるかもしれない。と考えていた。
そこで、時計屋の妻は、王子と王子の花嫁と、王子の 妹と共に、町 からやって来る人々を眺めていた。

その日、お祝いが終わると時計屋の妻は、 自分の花嫁となってしまった王子の妹と一緒に部屋に入ることになっていた。

部屋に入った花嫁は、花婿が優しい言葉をかけて 自分に近づいてくるのを待っているものだ。しかし、王子の親友である 花婿は、椅子から立ち上がるともせず目をふせていた。
王子の妹である 花嫁は不思議に思って、花婿に尋ねたのだった。
「私と結婚したことが、気にいらないのかしら?。それともどうかされたのですか。本当のことをおって頂戴。」
「本当のことを話しますが、どうか、誰にも言わないと誓って下さい。」
そこで、花嫁が父の王冠にかけて誓う と、花婿は重たい口を開いて語り出した。
実は、事情があって 私は変装しているのです。
花婿は、かぶっていた 男物の帽子を脱ぎ、見ての通り 私は女なのです。と、長い髪を現わしたのだった。

侍女が今まで起こったことを語り終えると、二人はこのこと を誰にも離さない と誓いあった。
明くる日も 結婚の 祝宴が続いていたので、 二人は屋上から、城に来る人々の中に時計屋の姿を探していた。

片方だけのイヤリング をした老婆

一方 、こちらは親子のように 一緒に暮らすようにになった時計屋と老婆。
ある日時計屋は、町で片方だけのイヤリングが落ちているを見つけ、老婆に渡して、 「お母さん これをあげるよ 。」と言った。老婆はとても喜んでいた。
城で祝宴があるとの王のおふれを見た老婆は、時計屋に貰った片方だけのイヤリを身につけ、息子を誘って言った。「一緒に城の祝宴に出かけようよ。」
「お母さん一人で行ってよ。あんな馬鹿騒ぎは我慢ならないよ。」
そう息子が言ったので、老婆は1人で城へと出かけて行った。城に行き、食べたり飲んだりして楽しんだ後で、老婆は立ちあがって 踊り出した。
屋上から眺めいていた王子 や王女たちは、イヤリングを片方だけ身につけて 踊ってる 老婆を不思議に思った。

そこで、老婆を家来に連れてこさせると、「なぜ、イヤリングを片方の 耳にだけにつけているのか。」と王子が尋ねると、老婆は答えた。「これは息子が私にくれたものです 。本当は、息子は実の息子ではありませんが、私のことを気にかけてくれるのが嬉しかったので、結婚式の祝宴につけてきたのです。」
「その息子はどこに居るのか?」と王子が尋ねた。
「実は、私は、息子と一緒に祝宴に来たくて誘ったのですが、“こんなことには 我慢ならない。〃と言って来なかったのです。」
町中の 人々が喜んで城の祝宴に来ているのに、変わった男だ。そう思った王子は、息子にあって見たくなり、家来を呼んで息子を連れてこさせた。

家来に連れて来られた男を見て、男に変装した侍女は、「はっ」と目を見張った。
侍女にはその男が自分の夫であることが、すぐにわかったのだ。
「事実を話せ。とんでもない目に合わせるぞ。お前が母親から 生まれてから今に至るまで 起こった事全てを、正直に話してみよ。」と、ハンサムな男に変装していた侍女は言った。
「わかりました 。全てをお話致します。」と、時計屋は 、かしこまって 少し悲しい顔を見せながら語りだした。
今までのいきさつのすべての話す 時計屋には、妻のことを思う気持ちが溢れていた。

全ての話しを聞いた時計屋の妻は、驚きのあまり息を飲んだ。
そして、「はっ」と、あることを思い出し、王子に言ったのだった。
「もしこの話が本当なら、港の競りで買った、あの塩の袋が証明するはずだ。」
そして、蔵から 塩の袋が運びこまれたのだった。

その7つの塩の袋の中身を開けてみると、時計屋の言ったとおりに7つの金の壺が入っていた。
そして、最後の7つ目の金の壺の中から、宝石で飾られたあの帽子が出てきたのである。
それを見たとたん 時計屋は 胸が張り裂けそうに叫んだ。
「金の壺は全ていリません。でもどうか、その帽子だけは返してください。私は その帽子を持って妻を探しに行かなければなりません。」
それを閠いた時計屋の妻は、もはや涙をおさえることができなかった。

「神に隠せることは一つも無く、 何事も最後まで人の目をごまかし切れることはありません。」
そう言いながら妻は、かぶっていた男物の帽子を脱ぎました。
その場にいた人々は、王女の花婿が女性であったことがわかり、 驚きを隱せなかった。
そこで王女が「 私は本当のことを知っていたの。彼女が結婚式の夜、 私 に打ち 明けてくれてたいたのよ。」と言ったので、 一同は落ち着きを取り戻して安心した。
変装を やめて時計屋の妻に戻った彼女は、 夫を見つめて言った。
「よく私を見てください。 私はあなたの妻よ。疑ってしまったこともあったけど、 あなたは私が始めに思った通り、 正直な人だった。あなたの妻であることが私は本当に嬉しいわ。」
一部始終を見ていた 王子の驚きは相当なものだったが、 もう一度詳しい説明を聞くと大喜びに変わった。
そして、時計屋とその妻のためにもう一度結婚式をやり直し、 一同は大きな喜びに包まれたのだった。
こうして 、めでたく、ふたりの望みはかなえられたのである。

“あなたも、イスラエルの真の神によって、望みがかなえられますように。”

このユダヤ民謡は、神の摂理と神の御手を現わしていると思われる。

エステル記は、神の摂理と神の御手を現わす書簡である。
さて、エステル記とこのユダヤ民謡。神の摂理と神の御手、どっちがわかりやすい?


エステル記


第1章

クセルクセス王の酒宴
1:1 クセルクセスの時代のことである。このクセルクセスは、インドからクシュに至るまで百二十七州の支配者であった。
1:2 そのころ、クセルクセス王は要塞の町スサで王位につき、
1:3 その治世の第三年に、酒宴を催し、大臣、家臣のことごとく、ペルシアとメディアの軍人、貴族および諸州の高官たちを招いた。
1:4 こうして王は、百八十日の長期にわたって自分の国がどれほど富み栄え、その威力がどれほど貴く輝かしいものであるかを示した。
1:5 それが終わると、王は七日間、酒宴を王宮の庭園で催し、要塞の町スサに住む者を皆、身分の上下を問わず招いた。
1:6 大理石の柱から柱へと紅白の組みひもが張り渡され、そこに純白の亜麻布、みごとな綿織物、紫の幔幕が一連の銀の輪によって掛けられていた。また、緑や白の大理石、真珠貝や黒曜石を使ったモザイクの床には、金や銀の長いすが並べられていた。
1:7 酒を供するための金の杯は一つ一つ趣を異にし、王室用のぶどう酒が、王の寛大さを示すにふさわしく、惜しげもなく振る舞われた。
1:8 しかし、定めによって酒を飲むことは強いられてはいなかった。王の命令によって給仕長たちは、人々に思いどおりにさせていたからである。
1:9 王妃ワシュティもクセルクセス王の宮殿で女のための酒宴を催していた。
王妃ワシュティの退位
1:10 七日目のことである。ぶどう酒で上機嫌になったクセルクセス王は、そば近く仕える宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスの七人に命じて、
1:11 冠を着けた王妃ワシュティを召し出そうとした。その美しさを高官および列席する民に見せようというのである。王妃は美しい人であった。
1:12 ところが、王妃ワシュティは宦官の伝えた王の命令を拒み、来ようとしなかった。王は大いに機嫌を損ね、怒りに燃え、
1:13 経験を積んだ賢人たちに事を諮った。王の身辺の事柄はすべて、国の定めや裁きに通じている人々によって審議されることになっていた。
1:14 王は、王の側近で、王国の最高の地位にある、ペルシアとメディアの七人の大臣カルシェナ、シェタル、アドマタ、タルシシュ、メレス、マルセナ、メムカンを呼び寄せた。
1:15 「王妃ワシュティは、わたしが宦官によって伝えた命令に従わなかった。この場合、国の定めによれば王妃をどのように扱うべきか。」
1:16 メムカンが王と大臣一同に向かって言った。「王妃ワシュティのなさったことは、ただ王のみならず、国中のすべての高官、すべての民にとって都合の悪いことです。
1:17 この王妃の事件が知れ渡りますと、女たちは皆、『王妃ワシュティは王に召されても、お出ましにならなかった』と申して、夫を軽蔑の目で見るようになります。
1:18 今日この日にも、ペルシアとメディアの高官夫人たちは、この王妃の事件を聞いて、王にお仕えするすべての高官に向かってそう申すにちがいありません。何とも侮辱的で腹立たしいことです。
1:19 もしもお心に適いますなら、『ワシュティがクセルクセス王の前に出ることを禁ずる。王妃の位は、より優れた他の女に与える』との命令を王御自身お下しになり、これをペルシアとメディアの国法の中に書き込ませ、確定事項となさってはいかがでしょうか。
1:20 お出しになった勅令がこの大国の津々浦々に聞こえますと、女たちは皆、身分のいかんにかかわらず夫を敬うようになりましょう。」
1:21 王にも大臣たちにもこの発言は適切であると思われ、王はメムカンの言うとおりにした。
1:22 王は支配下のすべての州に勅書を送ったが、それは州ごとにその州の文字で、また、民族ごとにその民族の言語で書かれていた。すべての男子が自分の家の主人となり、自分の母国語で話せるようにとの計らいからであった。

第2章

 
エステル、王妃に選ばれる
2:1 その後、怒りの治まったクセルクセス王は、ワシュティとそのふるまい、彼女に下した決定を口にするようになった。
2:2 王に仕える侍従たちは言った。「王のために美しいおとめを探させてはいかがでしょうか。
2:3 全国各州に特使を送り、美しいおとめを一人残らず要塞の町スサの後宮に集め、後宮の監督、宦官ヘガイに託し、容姿を美しくさせるのです。
2:4 御目にかなう娘がいれば、ワシュティに代わる王妃になさってはいかがでしょうか。」これは王の意にかない、王はそうすることにした。
モルデカイとエステル
2:5 要塞の町スサに一人のユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシュ、シムイ、ヤイルと続くベニヤミン族の家系に属していた。
2:6 この人は、バビロン王ネブカドネツァルによって、ユダ王エコンヤと共にエルサレムから連れて来られた捕囚民の中にいた。
2:7 モルデカイは、ハダサに両親がいないので、その後見人となっていた。彼女がエステルで、モルデカイにはいとこに当たる。娘は姿も顔立ちも美しかった。両親を亡くしたので、モルデカイは彼女を自分の娘として引き取っていた。
2:8 さて、王の命令と定めが発布され、大勢の娘が要塞の町スサのヘガイのもとに集められた。エステルも王宮に連れて来られ、後宮の監督ヘガイに託された。
2:9 彼はエステルに好意を抱き、目をかけた。早速化粧品と食べ物を与え、王宮からえり抜きの女官七人を彼女にあてがい、彼女を女官たちと共に後宮で特別扱いした。
2:10 エステルは、モルデカイに命じられていたので、自分が属する民族と親元を明かさなかった。
2:11 モルデカイはエステルの安否を気遣い、どう扱われるのかを知ろうとして、毎日後宮の庭の前を行ったり来たりしていた。
2:12 十二か月の美容の期間が終わると、娘たちは順番にクセルクセス王のもとに召されることになった。娘たちには六か月間ミルラ香油で、次の六か月間ほかの香料や化粧品で容姿を美しくすることが定められていた。
2:13 こうして、どの娘も王のもとに召されたが、後宮から王宮に行くにあたって娘が持って行きたいと望むものは何でも与えられた。
2:14 娘は夜行き、朝帰って別の後宮に連れて行かれ、側室たちの監督、宦官シャアシュガズに託された。王に望まれ、名指しで呼び出されるのでなければ、だれも再び行くことはなかった。
2:15 モルデカイの伯父アビハイルの娘で、モルデカイに娘として引き取られていたエステルにも、王のもとに召される順番が回ってきたが、エステルは後宮の監督、宦官ヘガイの勧めるもの以外に、何も望まなかった。エステルを見る人は皆、彼女を美しいと思った。
2:16 さて、エステルは王宮のクセルクセス王のもとに連れて行かれた。その治世の第七年の第十の月、すなわちテベトの月のことである。
2:17 王はどの女にもましてエステルを愛し、エステルは娘たちの中で王の厚意と愛に最も恵まれることとなった。王は彼女の頭に王妃の冠を置き、ワシュティに代わる王妃とした。
2:18 次いで、王は盛大な酒宴を催して、大臣、家臣をことごとく招いた。これが、「エステルの酒宴」である。更に、王は諸州に対し免税を布告し、王の寛大さを示すにふさわしい祝いの品を与えた。
2:19 再び若い娘が集められた時のことである。モルデカイは王宮の門に座っていた。
2:20 エステルはモルデカイに命じられていたので、自分の属する民族と親元を明かすことをしなかった。モルデカイに養われていたときと同様、その言葉に従っていた。
2:21 さてそのころ、モルデカイが王宮の門に座っていると、王の私室の番人である二人の宦官ビグタンとテレシュが何事かに憤慨し、クセルクセス王を倒そうと謀っていた。
2:22 それを知ったモルデカイは王妃エステルに知らせたので、彼女はモルデカイの名でこれを王に告げた。
2:23 早速この件は捜査されて明らかにされ、二人は木につるされて処刑された。この事件は王の前で宮廷日誌に記入された。

第3章

 
ハマンの策略
3:1 その後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを引き立て、同僚の大臣のだれよりも高い地位につけた。
3:2 王宮の門にいる役人は皆、ハマンが来るとひざまずいて敬礼した。王がそのように命じていたからである。しかし、モルデカイはひざまずかず、敬礼しなかった。
3:3 王宮の門にいる役人たちはモルデカイに言った。「なぜあなたは王の命令に背くのか。」
3:4 来る日も来る日もこう言われたが、モルデカイは耳を貸さなかった。モルデカイが自分はユダヤ人だと言っていたので、彼らはそれを確かめるようにハマンに勧めた。
3:5 ハマンは、モルデカイが自分にひざまずいて敬礼しないのを見て、腹を立てていた。
3:6 モルデカイがどの民族に属するのかを知らされたハマンは、モルデカイ一人を討つだけでは不十分だと思い、クセルクセスの国中にいるモルデカイの民、ユダヤ人を皆、滅ぼそうとした。
3:7 クセルクセス王の治世の第十二年の第一の月、すなわちニサンの月に、ハマンは自分の前でプルと呼ばれるくじを投げさせた。次から次へと日が続き、次から次へと月が動く中で、第十二の月すなわちアダルの月がくじに当たった。
3:8 ハマンはクセルクセス王に言った。「お国のどの州にも、一つの独特な民族がおります。諸民族の間に分散して住み、彼らはどの民族のものとも異なる独自の法律を有し、王の法律には従いません。そのままにしておくわけにはまいりません。
3:9 もし御意にかないますなら、彼らの根絶を旨とする勅書を作りましょう。わたしは銀貨一万キカルを官吏たちに支払い、国庫に納めるようにいたします。」
3:10 王は指輪をはずし、ユダヤ人の迫害者、アガグ人ハメダタの子ハマンに渡して、
3:11 言った。「銀貨はお前に任せる。その民族はお前が思うようにしてよい。」
3:12 こうして第一の月の十三日に、王の書記官が召集され、総督、各州の長官、各民族の首長にあてて、ハマンの命ずるがままに勅書が書き記された。それは各州ごとにその州の文字で、各民族ごとにその民族の言語で、クセルクセス王の名によって書き記され、王の指輪で印を押してあった。
3:13 急使はこの勅書を全国に送り届け、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、しかもその日のうちに、ユダヤ人は老若男女を問わず一人残らず滅ぼされ、殺され、絶滅させられ、その持ち物は没収されることとなった。
3:14 この勅書の写しは各州で国の定めとして全国民に公示され、人々はその日に備えた。
3:15 急使は王の命令を持って急いで出発し、要塞の町スサでもその定めが公布された。スサの都の混乱をよそに、王とハマンは酒を酌み交わしていた。

第4章


4:1 モルデカイは事の一部始終を知ると、衣服を裂き、粗布をまとって灰をかぶり、都の中に出て行き、苦悩に満ちた叫び声をあげた。
4:2 更に彼は王宮の門の前まで来たが、粗布をまとって門に入ることは禁じられていた。
4:3 勅書が届いた所では、どの州でもユダヤ人の間に大きな嘆きが起こった。多くの者が粗布をまとい、灰の中に座って断食し、涙を流し、悲嘆にくれた。
4:4 女官と宦官が来て、このことを王妃エステルに告げたので、彼女は非常に驚き、粗布を脱がせようとしてモルデカイに衣服を届けた。しかし、モルデカイはそれを受け取ろうとしなかった。
4:5 そこでエステルはハタクを呼んでモルデカイのもとに遣わし、何事があったのか、なぜこのようなことをするのかを知ろうとした。ハタクは王に仕える宦官で、王妃のもとに遣わされて彼女に仕えていた。
4:6 ハタクは王宮の門の前の広場にいるモルデカイのもとに行った。
4:7 モルデカイは事の一部始終、すなわちユダヤ人を絶滅して銀貨を国庫に払い込む、とハマンが言ったことについて詳しく語った。
4:8 彼はスサで公示されたユダヤ人絶滅の触れ書きの写しを託し、これをエステルに見せて説明するように頼んだ。同時に、彼女自身が王のもとに行って、自分の民族のために寛大な処置を求め、嘆願するように伝言させた。
4:9 ハタクは戻ってモルデカイの言葉をエステルに伝えた。
4:10 エステルはまたモルデカイへの返事をハタクにゆだねた。
4:11 「この国の役人と国民のだれもがよく知っているとおり、王宮の内庭におられる王に、召し出されずに近づく者は、男であれ女であれ死刑に処せられる、と法律の一条に定められております。ただ、王が金の笏を差し伸べられる場合にのみ、その者は死を免れます。三十日このかた私にはお召しがなく、王のもとには参っておりません。」
4:12 エステルの返事がモルデカイに伝えられると、
4:13 モルデカイは再びエステルに言い送った。「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。
4:14 この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」
4:15 エステルはモルデカイに返事を送った。
4:16 「早速、スサにいるすべてのユダヤ人を集め、私のために三日三晩断食し、飲食を一切断ってください。私も女官たちと共に、同じように断食いたします。このようにしてから、定めに反することではありますが、私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」
4:17 そこでモルデカイは立ち去り、すべてエステルに頼まれたとおりにした。

第5章
 
エステル、王とハマンを招待する
5:1 それから三日目のことである。エステルは王妃の衣装を着け、王宮の内庭に入り、王宮に向かって立った。王は王宮の中で王宮の入り口に向かって王座に座っていた。
5:2 王は庭に立っている王妃エステルを見て、満悦の面持ちで、手にした金の笏を差し伸べた。エステルは近づいてその笏の先に触れた。
5:3 王は言った。「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」
5:4 エステルは答えた。「もし王のお心に適いますなら、今日私は酒宴を準備いたしますから、ハマンと一緒にお出ましください。」
5:5 王は、「早速ハマンを来させなさい。エステルの望みどおりにしよう」と言い、王とハマンはエステルが準備した酒宴に赴いた。
5:6 王はぶどう酒を飲みながらエステルに言った。「何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」
5:7 「私の望み、私の願いはと申しますと」とエステルは言った。
5:8 「もし王のお心に適いますなら、もし特別な御配慮をいただき、私の望みをかなえ、願いをお聞き入れくださるのでございましたら、私は酒宴を準備いたしますから、どうぞハマンと一緒にお出ましください。明日、仰せのとおり私の願いを申し上げます。」
5:9 この日、ハマンはうきうきと上機嫌で引き下がった。しかし、王宮の門にはモルデカイがいて、立ちもせず動こうともしなかった。ハマンはこれを見て、怒りが込み上げてくるのを覚えた。
5:10 だが、ハマンは自制して家に帰った。彼は使いを送って親しい友達を招き、妻のゼレシュも同席させた。
5:11 彼は、自分のすばらしい財産と大勢の息子について、また王から賜った栄誉、他の大臣や家臣にまさる自分の栄進についても余すことなく語り聞かせた。
5:12 ハマンは更に言った。「その上、王妃エステルは御自分で酒宴を準備され、王をもてなされたが、王のお供として誰をお望みになったかと言えば、このわたしだけだった。明日もまた王と御一緒することになっている。
5:13 だが、王宮の門に座っているユダヤ人モルデカイを見るたびに、そのすべてがわたしにはむなしいものとなる。」
5:14 妻のゼレシュは、ハマンの親しい友だちと口をそろえて言った。「五十アンマもある高い柱を立て、明朝、王にモルデカイをそれにつるすよう進言してはいかがですか。王と一緒に、きっと楽しく酒宴に行けます。」ハマンはこの言葉が気に入り、柱を立てさせた。

第6章

 
モルデカイ、王から栄誉を受ける
6:1 その夜、王は眠れないので、宮廷日誌を持って来させ、読み上げさせた。
6:2 そこには、王の私室の番人である二人の宦官、ビグタンとテレシュが王を倒そうと謀り、これをモルデカイが知らせたという記録があった。
6:3 そこで王は言った。「このために、どのような栄誉と称賛をモルデカイは受けたのか。」そばに仕える侍従たちは答えた。「何も受けませんでした。」
6:4 王は言った。「庭に誰がいるのか。」ハマンが王宮の外庭に来ていた。準備した柱にモルデカイをつるすことを、王に進言するためである。
6:5 侍従たちが、「ハマンが庭に来ています」と言うと、王は、「ここへ通せ」と言った。
6:6 ハマンが進み出ると、王は、「王が栄誉を与えることを望む者には、何をすればよいのだろうか」と尋ねた。ハマンは、王が栄誉を与えることを望む者は自分以外にあるまいと心に思ったので、
6:7 王にこう言った。「王が栄誉を与えることをお望みでしたら、
6:8 王のお召しになる服を持って来させ、お乗りになる馬、頭に王冠を着けた馬を引いて来させるとよいでしょう。
6:9 それを貴族で、王の高官である者にゆだね、栄誉を与えることをお望みになる人にその服を着けさせ、都の広場でその人を馬に乗せ、その前で、『王が栄誉を与えることを望む者には、このようなことがなされる』と、触れさせられてはいかがでしょうか。」
6:10 王はそこでハマンに言った。「それでは早速、わたしの着物と馬を取り、王宮の門に座っているユダヤ人モルデカイに、お前が今言ったとおりにしなさい。お前が今言ったことは何一つおろそかにしてはならない。」
6:11 ハマンは王の服と馬を受け取り、その服をモルデカイに着せ、都の広場で彼を王の馬に乗せ、その前で、「王が栄誉を与えることを望む者には、このようなことがなされる」と、触れ回った。
6:12 モルデカイは王宮の門に戻ったが、ハマンは悲しく頭を覆いながら家路を急いだ。
6:13 彼は一部始終を妻ゼレシュと親しい友達とに話した。そのうちの知恵ある者もゼレシュも彼に言った。「モルデカイはユダヤ人の血筋の者で、その前で落ち目になりだしたら、あなたにはもう勝ち目はなく、あなたはその前でただ落ちぶれるだけです。」
6:14 彼らがこう言っているところへ、王の宦官たちがやって来て、エステルの催す酒宴に出るよう、ハマンをせきたてた。

第7章

ハマン、失脚する
7:1 王とハマンは、王妃エステルの酒宴にやって来た。
7:2 この二日目の日も同様に、ぶどう酒を飲みながら王は言った。「王妃エステルよ、何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」
7:3 「王よ、もしお心に適いますなら」と王妃エステルは答えた。「もし特別な御配慮をいただき、私の望みをかなえ、願いを聞いていただけますならば、私のために私の命と私の民族の命をお助けいただきとうございます。
7:4 私と私の民族は取り引きされ、滅ぼされ、殺され、絶滅させられそうになっているのでございます。私どもが、男も女も、奴隷として売られるだけなら、王を煩わすほどのことではございませんから、私は黙ってもおりましょう。」
7:5 クセルクセス王は王妃エステルに、「一体、誰がそのようなことをたくらんでいるのか、その者はどこにいるのか」と尋ねた。
7:6 エステルは答えた。「その恐ろしい敵とは、この悪者ハマンでございます。」ハマンは王と王妃の前で恐れおののいた。
7:7 王は怒って立ち上がり、酒宴をあとにして王宮の庭に出た。ハマンは王妃エステルに命乞いをしようとしてとどまった。王による不幸が決定的になった、と分かったからである。
7:8 ハマンがエステルのいる長いすに身を投げかけているところへ、王宮の庭から王が酒宴の間に戻って来た。王は言った。「わたしのいるこの宮殿で、王妃にまで乱暴しようとするのか。」この言葉が王の口から発せられるやいなや、人々はハマンの顔に覆いをかぶせた。
7:9 宦官の一人、ハルボナは王に言った。「ちょうど、柱があります。王のために貴重なことを告げてくれたあのモルデカイをつるそうとして、ハマンが立てたものです。五十アンマもの高さをもって、ハマンの家に立てられています。」王は、「ハマンをそれにつるせ」と命じた。
7:10 こうしてハマンは、自分がモルデカイのために立てた柱につるされ、王の怒りは治まった。

第8章

8:1 その日クセルクセス王は、ユダヤ人の敵ハマンの家を王妃エステルに与えた。エステルはモルデカイとの間柄を知らせたので、モルデカイは王の前に出た。
8:2 王はハマンから取り返した指輪をモルデカイに与え、エステルは彼をハマンの家の管理人とした。
ユダヤ人迫害、取り消される
8:3 エステルは、再び王の前に申し出て、その足もとにひれ伏し、涙を流し、憐れみを乞い、アガグ人ハマンの悪事、すなわち、ユダヤ人に対して彼がたくらんだことを無効にしていただくことを願った。
8:4 王が金の笏を差し伸べたので、エステルは身を起こし、王の前に立って、
8:5 言った。「もしお心に適い、特別の御配慮をいただき、また王にも適切なことと思われ、私にも御目をかけていただけますなら、アガグ人ハメダタの子ハマンの考え出した文書の取り消しを書かせていただきとうございます。ハマンは国中のユダヤ人を皆殺しにしようとしてあの文書を作りました。
8:6 私は自分の民族にふりかかる不幸を見るに忍びず、また同族の滅亡を見るに忍びないのでございます。」
8:7 そこでクセルクセス王は王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った。「わたしはハマンの家をエステルに与え、ハマンを木につるした。ハマンがユダヤ人を滅ぼそうとしたからにほかならない。
8:8 お前たちはよいと思うことをユダヤ人のために王の名によって書き記し、王の指輪で印を押すがよい。王の名によって書き記され、王の指輪で印を押された文書は、取り消すことができない。」
8:9 そのころ、第三の月のこと、すなわちシワンの月の二十三日に、王の書記官が召集され、インドからクシュに至るまで、百二十七州にいるユダヤ人と総督、地方長官、諸州の高官たちに対してモルデカイが命ずるがままに文書が作成された。それは各州ごとにその州の文字で、各民族ごとにその民族の言語で、ユダヤ人にはユダヤ文字とその言語で、
8:10 クセルクセス王の名によって書き記され、王の指輪で印を押してあった。その文書は王家の飼育所で育てられた御用馬の早馬に乗った急使によって各地に届けられた。
8:11 こうして王の命令によって、どの町のユダヤ人にも自分たちの命を守るために集合し、自分たちを迫害する民族や州の軍隊を女や子供に至るまで一人残らず滅ぼし、殺し、絶滅させ、その持ち物を奪い取ることが許された。
8:12 これはクセルクセス王の国中どこにおいても一日だけ、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日と定められた。
8:13 この文書の写しはどの州でもすべての民族に国の定めとして公示され、ユダヤ人は敵に復讐するためその日に備えるようになった。
8:14 御用馬の早馬に乗った急使は王の命令によって直ちに急いで出立し、要塞の町スサでもこの定めが言い渡された。
8:15 モルデカイが紫と白の王服に、大きな黄金の冠と白と赤の上着を着け、王の前から退出してくると、スサの都は歓声に包まれた。
8:16 それはユダヤ人にとって輝かしく、祝うべきこと、喜ばしく、誉れあることであった。
8:17 王の命令とその定めが届くと、州という州、町という町で、ユダヤ人は喜び祝い、宴会を開いて楽しくその日を過ごした。その地の民族にもユダヤ人になろうとする者が多く出た。ユダヤ人に対する恐れに襲われたからである。

第9章

ユダヤ人の復讐
9:1 第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、この王の命令と定めが実行されることとなった。それは敵がユダヤ人を征伐しようとしていた日であったが、事態は逆転し、ユダヤ人がその仇敵を征伐する日となった。
9:2 ユダヤ人はクセルクセス王の州のどこでも、自分たちの町で、迫害する者を滅ぼすために集合した。ユダヤ人に立ち向かう者は一人もいなかった。どの民族もユダヤ人に対する恐れに見舞われたからである。
9:3 諸州の高官、総督、地方長官、王の役人たちは皆、モルデカイに対する恐れに見舞われ、ユダヤ人の味方になった。
9:4 モルデカイは王宮で大きな勢力を持ち、その名声はすべての州に広がった。まさにこのモルデカイという人物は、日の出の勢いであった。
9:5 ユダヤ人は敵を一人残らず剣にかけて討ち殺し、滅ぼして、仇敵を思いのままにした。
9:6 要塞の町スサでユダヤ人に殺され、滅ぼされた者の数は五百人に達した。
9:7 そして、パルシャンダタを、ダルフォンを、アスパタを、
9:8 ポラタを、アダルヤを、アリダタを、
9:9 パルマシュタを、アリサイを、アリダイを、ワイザタをと、
9:10 ユダヤ人の敵ハメダタの子ハマンの十人の息子を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。
9:11 その日、要塞の町スサの死者の数が王のもとに報告された。
9:12 王は王妃エステルに言った。「要塞の町スサでユダヤ人は五百人とハマンの息子十人を殺し、滅ぼした。王国の他のところではどうだったか。まだ望みがあるならかなえてあげる。まだ何か願い事があれば応じてあげよう。」
9:13 エステルは言った。「もしお心に適いますなら、明日もまた今日の勅令を行えるように、スサのユダヤ人のためにお許しをいただき、ハマンの息子十人を木につるさせていただきとうございます。」
9:14 「そのとおりにしなさい」と王が答えたので、その定めがスサに出され、ハマンの息子十人は木につるされた。
9:15 スサのユダヤ人はアダルの月の十四日にも集合し、三百人を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。
9:16 王国の諸州にいる他のユダヤ人も集合して自分たちの命を守り、敵をなくして安らぎを得、仇敵七万五千人を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。
9:17 それはアダルの月の十三日のことである。十四日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日とした。
9:18 スサのユダヤ人は同月の十三日と十四日に集合し、十五日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日とした。
9:19 こういうわけで、地方の町に散在して住む離散のユダヤ人は、アダルの月の十四日を祝いの日と定め、宴会を開いてその日を楽しみ、贈り物を交換する。
プリムは運命の祭り
9:20 モルデカイはこれらの出来事を書き記し、クセルクセス王のすべての州にいる全ユダヤ人に、近くにいる者にも遠くにいる者にも文書を送り、
9:21 毎年アダルの月の十四日と十五日を祝うように定めた。
9:22 ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。
9:23 ユダヤ人は既に実行し始めていたことでもあり、またモルデカイが書き送ってきたこのことを受け入れた。
9:24 すなわち、「全ユダヤ人の敵アガグ人ハメダタの子ハマンはユダヤ人絶滅をたくらみ、プルと呼ばれるくじを投げ、ユダヤ人を滅ぼし去ろうとした。
9:25 ところが、このことが王に知らされると、王は文書をもって、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪いたくらみはハマン自身の頭上にふりかかり、彼は息子らと共に木につるされるよう命じられた。
9:26 それゆえ、この両日はプルにちなんで、プリムと呼ばれる。」それゆえ、その書簡の全文に従って、またこの件に関して彼らの見たこと、彼らに起こったことに基づいて、
9:27 ユダヤ人は自分たちも、その子孫も、また自分たちに同調するすべての人も同様に毎年この両日を記載されているとおり、またその日付のとおりに、怠りなく祝うことを制定し、ならわしとした。
9:28 こうして、この両日はどの世代にも、どの部族でも、どの州でも、どの町でも記念され、祝われてきた。このプリムの祭りは、ユダヤ人の中から失せてはならないものであり、その記念は子孫も決して絶やしてはならないものである。
9:29 さて、王妃となったアビハイルの娘エステルは、ユダヤ人モルデカイと共にプリムに関するこの第二の書簡をすべての権限をもってしたため、確認した。
9:30 クセルクセスの王国百二十七州にいるすべてのユダヤ人に、平和と真実の言葉をもって文書が送られ、
9:31 こうしてユダヤ人モルデカイが王妃エステルと共に定めたとおり、また彼らが自分たちとその子孫のために断食と嘆きに関して定めたとおり、プリムの祭りの日付が定められた。
9:32 エステルの言葉によってプリムに関する事項は定められ、文書に記録された。

第10章


モルデカイの栄誉
10:1 クセルクセス王は全国と海の島々に税を課した。
10:2 王が権威をもって勇敢に遂行したすべての事業と、またその王が高めてモルデカイに与えた栄誉の詳細は、『メディアとペルシアの王の年代記』に書き記されている。
10:3 ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王に次ぐ地位についたからである。ユダヤ人には仰がれ、多くの兄弟たちには愛されて、彼はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束した。




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2013年7月6日・エステルに見る主イエスキリストの十字架