2014年4月13日日曜日

世界に広がる神の祝福*大草原の小さな家8*ローラ インガルス ワイルダー

おもしろブログ特集

この楽しき日々*ローラ インガルス ワイルダー

8*この楽しき日々
ローラとアルマンゾ、本格的ラブロマンスへと発展!の物語
ローラが15才で学校の先生となり、色々な試練を通る中で、アルマンゾ・ワイルダーとの関係が深まり結ばれて行く。
ローラが18才でアルマンゾと結婚するまでの楽しい日々が描かれている物語

昨日まで学校で生徒だったローラが、明日には学校で先生として教える為に、町から12マイル離れたブリュースター家に下宿することになる。
家からは遠いので、今度ローラが父チャールズに迎えに来てもらえるのは、2ヶ月後だ。
しかし、そこで、ブリュースターの奥さんからとても不愉快な扱いを受けるローラ。
たまらなくホームシックになるローラだが、父チャールズが迎えに来ることを期待しないようにと自分に言い聞かせる。

金曜日の授業中、嵐が始まりそうなので、ローラは学校を早めに切り上げるかどうかを考えていた。
その時だった。風の音に混じって銀の鈴の音が聞こえて来た。
二頭の馬が窓の外を通り過ぎた。それは、プリンスとレディだった。
アルマンゾ・ワイルダーが、プリンスとレディに小型のそりを着けてローラを迎えに来たのだ。
ローラがそりに乗り込むと、銀の鈴の音が楽しげに鳴り出し、まるで翼で飛ぶように速いスピードで家に向けてアルマンゾの馬は走って行った。

その日曜日、友人のアイダ・ブラウンと久しぶりに会ったローラは、笑ってはなるまいとアイダの冗談に体を震わせながら、教会の席に座っていた。

「楽しきかな安息日の学び舎
我は懐かし、屋根丸き
麗しき宮にも勝りて
喜びもて、我が心はいつも
汝になびく、我が懐かしき安息日のふるさと。」
共に歌うということは、話をするよりはるかに良い。二人並んで、一つの讚美歌の本を広げて立った時、アイダって本当に良い人だとローラは思った。
「迷い多き、自己強き心に、
人の世のならわしの、初めて示されしは、ここ、
より良きものを初めて求めしはここ、
しこうして得ぬ、安息日のふるさと。」
確信に満ちた澄んだローラの声が、メロディを歌うと、アイダの柔らかいアルトの声がこれに和して、「安息日のふるさと」と響いた。そしてまた、二人の声が溶け合う。
「喜びもて、我が心はいつも
我になびく、我が懐かしき安息日のふるさと。」....
ローラは、今日の説教の題になっている聖句をしっかりと覚えて、うちに帰ってから、父ちゃんに聞かれても言えるように確かめた。....
彼女は、メアリーのいないことが、教会ではいっそう感じられて、いてくれたらいいのにーと、いつも思うのだった。....
今は、メアリーは大学に入ったし、ローラは学校の先生なのだ。彼女はブリュースターさんの奥さんのことや学校のことは努めて考えないようにした。....ローラは40ドル稼いでいるのだ。40ドルあれば、メアリーは必ず来年も大学にいられる。努力さえすれば、何事もきっとうまくいく。....
みんなは、頌栄歌を歌う為に立っていた。教会は終わった。<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>
ローラは、日曜日の午後を家族みんなで過ごす為に居間でくつろいでいた。
すると、通りの向こうから鈴の音が聞こえて来た。アルマンゾワイルダーだった。
ローラが乗り込むと全部の鈴の音が一斉に音楽をかなで、学校に向かって走り出したのだった。

初めての学校の先生の仕事を無事に終え、辛く苦しいブリュースター家の下宿生活から、やっと解放されたローラは、家に帰ることになる。
アルマンゾとの仲もこれまでかと思っていたローラだったが、日曜日の午後にアルマンゾが再び、プリンスとレディに小型のそりを着けてやって来る。
ローラは、アルマンゾと一緒に小型のそりでのドライブに行きたくなってしまう。
アルマンゾとローラは、ローラの気が変わり一緒にそりに乗っていることで、声を合わせて笑い、そして、軽快なスピードで走るプリンスとレディに着けた小型のそりのドライブを楽しんだのだった。

ローラが久しぶりに学校に生徒として戻った時だった。作文を書く宿題が出ていたことを知ったローラは休み時間のうちに作文をなんとか仕上げることになる。

『大望』
大望とは、物事の成就になくてはならぬものである。一つの目的を達しようとする大望なしには、何事もなされない。他の人々より秀で、己れ自身に優ろうとする大望なしには、高度の価値は存在しないであろう。....
大望とは良き召し使いであるが、これが主人となれば野心となる。私たちが大望を統御している間は、これは善であるが、もし私たちがこれに支配される危険ありとすれば、私はシェイクスピアの言葉を借りて次のようにいうであろう。
「クロムウェルよ、これはわしの命令じゃ、野心を投げ捨てよ。天使でさえ、この罪の為に天国を追われたのじゃ。」<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

天国を追われた天使とは、堕天使ルシファーのことで、神のようになろうという野心によって、天からこの地上へと突き落とされた。
それがサタンと呼ばれ、聖書の創世記にあるエデンの園での蛇だと言われている。
狡猾な蛇は、神によって禁じられている木の実を食べるようにイブを誘惑する。
木の実を食べてしまったイブが夫アダムにも与え、最初の人アダムが罪を犯してしまうことになった。
その時、蛇がイブについた嘘偽りが、「あなたがたは決してしなない。その木の実を食べると神のようになれる」であった。
それで、真実な神の言われたとおりに、この世界に死が入り、人々は肉体はもちろん死を迎えるが、霊的にも死ぬことになった。
したがって、救い主であるイエスキリストを信じる者は、永遠のいのちを与えられると共に、霊的にも新しく生まれ変わることになる。
私たちが何かを成そうとする時、その目的、心の動機、経緯において、そこに野心が混入していないかどうかの確認が必要となる。
そして、そのいずれかに野心があるならば、私たちはそれを自分で治めなければならない。それが、長い目で見て必ず、成功する鍵であるからだ。

教員二級免許
インガルス家の南の境界線のすぐそばにあるペリーの用地に学校が立つことになる。
父チャールズが学校建設の監督を務め、ローラにその学校で教えて欲しいという話が舞い込む。
ローラは、再び教員免許を取りに行き、好成績で二級免許を取ることに成功する。
ローラは喜びのあまり家に帰る時に、喜び勇んで踊ったり、笑ったり、大声を上げながら帰って行ったと書いている。
家に帰ってその事を報告すると、母キャロライン始め家族は大喜びだった。
そして、父チャールズが、教育委員会がローラに一ヶ月25ドルで3ヶ月雇うことになっていることを発表した時のことである。

グレイスの青い目は、まん丸くなった。そして厳かな畏敬の念を表して言った。
「ローラ姉ちゃんはお金持ちになるね。」
皆は、どっと吹き出して楽しそうに笑ったので、グレイスまで訳のわからないまま一緒に笑わずにはいられなかった。<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>
グレイスの言うことなす事には、笑わずにはいられないものがある。グレイスは良い味をしているな、といつも思ってしまう。グレイスを見ていると、神は私たち一人一人をユニークにまた個性的に造られたのだと思わずにはいられない。
その仕事で得たローラの給料75ドルと父チャールズの25ドルで、メアリーの為にオルガンを買うことになる。ローラにとって、メアリーの為に役に立てることは非常な喜びである。
新しい居間が作られオルガンが来た日のことである。

「見てごらん、ローラ姉ちゃん、見てよう。」と言って、グレイスはその椅子に腰かけてぐるっと回した。この椅子の座席のところはネジ仕掛けになっていて、グレイスが腰かけたまま、くるくる回すと低くなったり高くなったりした。....
「あっ、グレイス!」ちょうどグレイスとオルガンの椅子が一緒に倒れた時に、母ちゃんが大声を上げた。グレイスは、起き上がったが余りにびっくりして声も出せなかった。そして、ローラさえ身の毛がよだつ思いだった。というのは、その椅子が二つに壊れて転がっていたからだ。
その時父ちゃんが笑った。「いいんだ、グレイス、大丈夫。」と彼は言った。「おまえはただ最後までネジを回しちまったのさ。だが、」と彼は厳しい調子で言った。「これからはその椅子のそばに寄るんじゃないよ。」<ローラ インガルス ワイルダー*著鈴木哲子訳>
やっぱりグレイスは期待を裏切らない。やはり笑せてくれるのだ。

この頃には、アルマンゾとローラの日曜日の午後の馬車でのドライブは当たり前のことになって行った。

歌の学校
アルマンゾの誘いで夜は歌の学校に行くことになるが、脱走者の暴れ馬バーナムに馬車を着け通うアルマンゾとローラ。
いつも帰りには、バーナムは退屈していたのか、より暴れ馬になっている。ローラが乗り込んですぐ、アルマンゾを置き去りにしてバーナムが走り出し....
家に帰ると、父チャールズと母キャロラインが起きて心配して待っていた。
「あのワイルダーの暴れ馬夜でも大丈夫かい?」と父チャールズ
父チャールズいわく、生まれつきの馬使いアルマンゾを信頼しながらも心配せずにはいられないローラの両親であった。

歌の学校の最後の夜、ローラたちは、彼らは「みさかえ歌う、あまつみそら」という讚美歌を一つ歌った。

「みさかえうとう、あまつみそら
天地に満つ、神の御わざ
日ごと夜ごとに絶え間なく
明らかなり、その道から
もろもろのことばは語り
もろもろの声に聞く」<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

天は神の御栄えを歌っている。
天と地には、神の御わざが満ちている。
日ごと夜ごとに、絶え間なく、それは明らかである。
イエスキリストは、神のいのちのことばそのものである。
救い主イエスは、十字架の死と復活という神の御わざによって、永遠の命に至る道を開かれたのである。
そして、主イエスが全世界の私たち人間に語りかけておられるグッドニュース、すなわち福音は全世界に絶えず発信されているのである。

ローラたちが歌った、この「みさかえうとう、あまつみそら」という讚美歌は、聖書<詩編19:1ー6>がモチーフとなっていると思われる。

"天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。....
その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。"<詩編19:1ー4>

歌の学校が終わった夜、バーナムはおとなしくアルマンゾとローラを待っていた。
ふたりは馬車にのり、星空の中を家路に向かい、ローラは星を眺めながら、さっきの讚美歌を再び歌った。
すると、アルマンゾが『星の光の歌』を歌ってもらいたいとアルマンゾが頼んだのでローラが歌うと、アルマンゾは考え深げに黙っていた。大草原は静寂に包まれ、バーナムの草原を進んで行く足音以外は何もしなかった。

そして、(アルマンゾは)星明かりに白く光っているローラの手を取ると、彼の手を優しく重ねた。彼は、今までこんなことをしたことは一度もなかった。
「君の手って 小さいんだなあ。」と彼は言った。そしてまた沈黙、そして口早に言った。「君は、婚約指輪って好きかなって思ってたんですけどね。」
「それはくれる人によるわ。」とローラは話した。
「僕が上げるって言ったら?」とアルマンゾが聞いた。
「そうなるとその指輪によってよ。」と答えて、ローラは手を引っ込めた。
<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

次の日曜日に、アルマンゾとローラは、ヘンリー湖まで馬車でドライブし野ブドウを摘み、ヘンリー湖を眺めさざ波の音を聞きながら、彼らは甘酸っぱい実を食べていた。
夕暮れの中、彼らが家に帰る途中、アルマンゾはローラの手を取り婚約指輪をローラの人差し指にはめたのだった。
そして、ローラがその美しい指輪を指にはめたまま家に着くと、父チャールズのバイオリンの音が聞こえ、彼は歌っていた。それは、父チャールズが母キャロラインのために歌う曲だった。
ローラとアルマンゾの初めてのキスの後、アルマンゾは馬車で家に帰って行った。

ローラが部屋に入った時、父ちゃんはバイオリンを下に置いた。彼は、ランプの灯に照らされて光っている指輪のはまっているローラの手を見た。
「なるほど、決まったんだな。」....
「おまえさえ確かならね、ローラ。」と母ちゃんは優しく言った。
「時々ね、おまえが好きなのは、あの馬たちだと思うことがあるよ、馬のご主人さまよりもね。」
「だって、そのどっちかだけ取ることってできないもの。」とローラは、震えそうな声で言った。
すると、母ちゃんはにこにこしてローラを見、父ちゃんは荒々しく咳払いをした。
<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

ローラとアルマンゾが婚約した年のインガルス家のクリスマス
このクリスマスに印象的なのが、クリスマスの星である。

「大いなる広野の空に隊伍を調え、
まばゆきばかりの星軍が、
夜空を高く飾りし時、
星、ただ一つ、
我が罪多き日を捕らえぬ。
彼の星は、我が光、我が師、我がすべて、
暗きうれいを追い払い、
嵐と危険の綱を解き、平和の港に導く。
今、危険は去りて安らけき
港に憩いて、我は歌う。
夜の冠をいただきて、
永遠に、永遠に、
ああ、彼の星よーベツレヘムの星よ、と。」
<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

救い主イエスキリストは、ひときわ輝く明けの明星として知られている。
クリスマスに救い主イエスが生まれた時は、非常に星が印象的なのである。
東の博士たちは、東の方で、全世界の王として生まれたユダヤ人の救い主イエスの星を見たので、ユダヤのベツレヘムまで訪ねて行った。イエスを礼拝するためである。
また、救い主イエスが生まれた時、御使いと一緒に多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、
御心にかなう人々にあるように。」

明けの明星である金星は、夜明けの星として知られ、夜が白みかけた明け方に、ひときわ強く輝いている。また、明けの明星である金星は、夕暮れの時、これから、夜が来て暗闇が深くなろうとしている時にも、ひときわ明るく輝く星である。
救い主イエスの星である明けの明星は、他の星々を制圧するほどの輝きを持っているのである。それ故、救い主イエスは、星々さえも従える万軍の主としても知られている。
そのように、光そのものであるイエスキリストは、私たちの人生における悩みやうれいという暗い心を追い払い、平安な中に私たちを憩わせてくださる方である。
救い主イエスにあっては、嵐も危険も及ぶことがない。
平和の君であるイエスは、我らを平和の港へと導く方なのである。

この日、町の教会のクリスマスに雪の嵐父で行けなかったインガルス一家は、家でクリスマスを過ごすことになり、クリスマスイブのごちそうを前に、父チャールズはバイオリンと共に歌っていた。
父チャールズはこの時「クリスマスの星」を思い描いていたのかもしれない。
ローラとにとっても、アルマンゾからプロポーズされた日に眺めた星空は印象的だったに違いない。だから、この年のクリスマスに星がメインの曲は、ローラにも嬉しかったんではないだろうか。
そこに、冬をミネソタにいる家族と過ごすために帰っていたアルマンゾが突然訪ねてくる。思いもかけないアルマンゾの訪問に、ローラは嬉しくて信じられないほどだった。
翌日のクリスマスも、招待されたアルマンゾと一緒に過ごすことができたローラにとって、この年のクリスマスも良い驚きに満ちたクリスマスになったのである。




2014年4月6日日曜日

世界に広がる神の祝福*大草原の小さな家7*ローラ インガルス ワイルダー

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農場の少年*ローラ インガルス ワイルダー


7*農場の少年
後にローラの夫となったアルマンゾの少年時代の物語。
今から百年以上も前のニューヨーク州北部のマローン農場でのアルマンゾが9才の頃の話である。
アルマンゾには、兄のローヤルと姉のイライザ・ジェインとひとつ年上の姉アリサがいた。
アルマンゾは馬が大好きな少年だが、まだ小さいので馬には近づかせてもらえない。もし、子馬や調教前の若い馬をおどしたり、からかったりすると悪い癖がつき、そうなるとどんなに調教しても良い馬にはならないからだ。馬の調教は、アルマンゾの憧れだった。

アルマンゾは学校から帰って来ると、兄のローヤルと一緒に牛や羊の世話をした。古い干し草をどけて、新しい干し草を入れてやる。おとなしい雌牛の乳絞りもすることができた。
アルマンゾの父親は、快活な青い目をした大柄な人で、立派な農場を持ち信用もあつかった。母親は、小柄でふっくらした、茶色の髪をした青い目の女性だった。

アルマンゾの母さんは、いつもたくさんの料理を作ってくれた。そして、食卓のすべてに母さんが気を配るのが終わると、やっとアルマンゾはテーブルにつけるのだ。それから、父さんの食前の感謝の祈りが終わると、待ってましたとばかりにアルマンゾは、たっぷり食べた。塩漬け豚にベイクドビーンズ、じゃがいもにハム、バターを塗ったパンに煮込みカボチャ、それから、プラムのプリザーブ、ぶどうのジェリィにピクルス、最後にカボチャのパイ。アルマンゾは夢中になってたいらげたのだった。
夕食の後は、アルマンゾは自分の履いているモカシンという靴に、牛や羊のあぶらを塗りこみ手入れをする。こうすると、水がしみこまないのだ。
その後は、兄のローヤルが、ポップコーンを作り出す。はぜトウモロコシを鍋に入れ火にかけると、パンとはじけ、ポンポンと次々にはじけて行く。アリスがバターをかけ、塩をふりかけながらよくかき混ぜると、美味しいポップコーンの出来上がり。みんな欲しいだけ食べていいのだった。
アルマンゾは、片手にリンゴ、すぐ脇にポップコーン、足元にはサイダー(リンゴ液)を置き好きなだけ食べた。

時計が9時を打つと、寝る時間だ。
アルマンゾが次に目を開くと、ロウソクが鏡のついたタンスの上で灯っている。アルマンゾは服を着替えると、乳絞りの桶を両手に飛び出して行き朝の仕事をする。
アルマンゾが朝の仕事を終えると、朝食はもうほとんどできている。
アルマンゾが急いで顔を洗い、髪をとかしつけ、みんながテーブルに着くと、父さんが食前の祈りをささげる。
アルマンゾは、金色をしたそば粉入のホットケーキに、ソーセージを添えて食べ、バターとメイプルシロップをかけて食べた。濃いクリームとメイプルシュガーをかけたオートミールも食べた。薄く切って炒めたじゃがいもに、プリザーブにジャムに、ドーナツも食べた。でも、中でも一番アルマンゾが好きなのは、とろっとした煮汁がたっぷり入りポロっと皮がはがれるアップルパイだった。

日曜日
「まあたいへん!八時じゃないの!さあ急がなきゃ!」....日曜日には、母さんは、他のみんなもせきたてるのだった。....父さんは、教会行きの服に着かえに家に入った。....アルマンゾは、素敵な日曜日の晴れ着を着た母さんをとても誇らしく思った。....
父さんの馬は、ニューヨーク州で、もしかすると世界中で一番良い馬なのだ。マローンの町まで5マイル(8km)あるのだが、父さんは、礼拝が始まる30分前では、絶対に出発しないのだ。2頭の馬は、その5マイルをいつもだく足で走り、 父さんが厩に入れて 毛布をかけ教会の階段に足をかけると同時に 鐘が鳴るのだった。
みんな慎んで礼拝堂へと入って行った。.....
そのあとは、説教が終わるまでただじっと座っているだけなのだ。....
牧師さんの厳しゅくな顔と、ヒョコ、ヒョコ動いている あごひげから目を離してはいけないのだ。
アルマンゾは、父さんが自分も牧師さんを見ているなら、どうしてアルマンゾが脇見をするのがわかるのか、不思議でならなかった。でも、いつも父さんにはちゃんとわかってしまうのだ。<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>

どうもやはり、小さい子どもはじっと座っているのが苦手である。アルマンゾも例にもれない。
しかし、大人になったアルマンゾは、<新大草原の小さな家シリーズ*ロジャーリーマグブライド著>の本の中でこう言っている。
「教会に行ったり、聖書の話を聞いている時は心が休まる」と。


世界に広がる神の祝福*大草原の小さな家6*ローラ インガルス ワイルダー

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大草原の小さな町*ローラ インガルス ワイルダー


6*大草原の小さな町
長い冬の後、厳しい冬を乗り越えたインガルス一家に春が来たような順調な日々が続く。
メアリーが大学に行き、ローラが学校の先生の免許を取るまでの物語

ローラは、厳しい冬が通り過ぎ、再び、払い下げ農地に帰り、春の大自然の中で家族で暮らせるのを待っていたのだった。
やがて、インガルス一家は農地の家に帰り、太陽が暖かく輝き、春の耕作も始まったのだった。
メアリーとローラは、時々一緒に散歩をするようになるが、その中で、ふたりは心を割って話しをするようになる。

「姉ちゃんは、いつでも良い子になるように努力してたね」とローラは言った。....「あたし、そんなんじゃないよ」とメアリーが言う。「それはそうありたいと思ってやってはみるけど、あたしだって時々、凄く反抗的で意地悪な気持ちになることあるの。だからもしローラちゃんがあたしのお腹の中まで見ることができれば、あたしみたいになりたいなんて思わないよ。」....ローラは聞いてびっくりした。....
「あたしたちはみんな、どうしようもないほど、悪いのよ。そして、<<火の粉の上に飛ぶように>>悪に傾いているの」と、メアリーが聖書の句を引いて言った。「でも、そんなことどうだっていいよ。....それはね、あたしたちはね、自分が良いとか悪いとかって、そんなに自分のことばかり考えてはいけないって思うのさ」と、メアリーが説明した。....「あたしの考えていること、どう言ったらいいのかわからないけどね、そんなに考えることじゃなくて、―ただ心にわかることなの、神様の良さをはっきりと心の中にわかることなの。」....「神様は善である」ということは誰でも知っていることだが、メアリーには何か特別な方法で、そのことが心にはっきりわかっているように、ローラには思えた。....
「エホバは我が牧者なり、我、乏しきことあらじ。エホバは我を緑の牧場に伏させ、いこいの水際に伴いたもう。....詩編の中で一番これがきれいな句だと思うよ。...」<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

神は絶えず最善に私たちを導いてくださる。と、信じ切ることは難しいかもしれない。
メアリーが一番きれいな句だと言った詩編は、ダビデが書いた詩編である。
ダビデは、幼子のように自分自身を主に委ねることができた人物だった。主の愛に信頼していたのである。
ダビデは、自分が良い時も悪い時も、神が決して自身を見捨てず愛してくださるということを経験からも知っていた。
もちろん、聖書から主イエスが愛に満ちた方であり、罪を赦す方であることを知っていることはとても重要である。
しかし、ダビデはバテシェバと姦淫の罪を犯した時に、ダビデはそれを隠さずに神の前で告白し、罪を赦されたのである。
その相手バテシェバとの間に、その時できた子は死んでしまったが、結婚した後に、ダビデとバテシェバとの間にできたその子ソロモンは、イスラエルの国の王ダビデの子として王位を継承することとなった。
その時、ダビデは、自分が良い時も悪い時も変わらずに神が愛してくださること、また、それにも関わらず最善をなしてくださる神の恵みをより深く知ったのである。
メアリーは、人にはどう見えても、自分自身の心の中が良い人間とばかり言えないものがあることを知っていた。自分自身の中の原罪を自覚していたのだった。
しかし、それにもまして主イエスが自分を愛してくださり、最善をなしてくださることも知っていた。
メアリーもダビデのように、絶えずありのままの自分を隠さずに神と向き合っていたのだろう。それが、メアリーが心で神をわかった要因の一つだったのかもしれない。
そして、その時からメアリーは、自分が良い人間か悪い人間かを悩むよりも、どんな時にも自分を愛し、最善に導いてくださる神を賛美するようになったのである。

メアリーが一番きれいだと言った聖書の<詩編23編>
"主は私の羊飼い。
私は乏しいことはありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私と共におられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え、
私の頭に油を注いでくださいます。
私の杯は、溢れています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。"
このく詩編23編>は、長い冬の物語の中で、ローラとキャリーが初めて学校に行った時に、先生が聖書を開き読み上げたが、ローラはこの詩編の言葉をもう一度聞けるのがとても嬉しかったと言っている。

独立記念日
その年の独立記念日に、父チャールズとローラとキャリーが町に出かけた時のことである。
父チャールズが歌い出し、次から次へと皆が歌出したのだった。

「我がゆかしき自由の国よ
我は歌う―
永遠に輝け、聖なる自由に
我が王、神よ!
護りたまえ。」<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>
この時、ローラは、出し抜けに、今までになかったまったく新しい考えが湧いて来たと書いている。
「神こそアメリカの王である」と。
その時、ローラは自分の心全体がパッと明るくなったように感じたと言っている。

「我らの父、我らの信じる神、自由の造り主―。」
神の法則こそが、自分たちに自由を与えることができる唯一の法則だと、ローラは言う。

"真理は私たちを自由にする"<聖書>
イエスキリストは、真理であり、道であり、命である。
神は、私たちをかたぐるしい規律で縛ろうなどとは考えておられない。むしろ、私たちに自由と解放を与えるために、神のひとり子イエスはこの世に来られたのである。

もちろん、法律を犯し、他の人に害を与えるようでは自分自身も、自分の周囲の人間も不幸であり、自由ではない。しかし、私たち人間は、どうしても自分自身では制御することができないような罪による欲望を覚えることもある。
救い主イエスの十字架は、そんな私たちの内にある罪の問題から解放し、私たちを自由にするための神の御業だったのである。
神を認めないということは、自分自身だけが自分の全てを自由にできると思っているということである。が、その時私たち人間は、自分中心に世界が回っているという間違った考えに陥りやすい。それが、自分が自分の王であり神であるということである。

しかし、ローラは言う。救い主イエスが自分の王である時こそ、私たち人間は本当に自由なのである、と。

金曜の夜の文芸会
ローラは、もう勉強に飽き飽きしていた。そんな時、金曜の夜に町の学校で楽しい文芸会が始まる。インガルス一家は、みんなで出かけて行く。
スペリング競争やジェスチャーゲームが行われ、父チャールズはスペリング競争では一番となり、ジェスチャーゲームではユーモアのある父チャールズのセンスは抜群だった。

新しい教会の日曜日
ちょうどその頃、町の教会の建物が出来上がり、理由は怪しいがローラはブラウン牧師のメッセージさえ、楽しんで聞いていた。
家に帰ると、父チャールズはローラとキャリーに、その日のメッセージの聖書の御ことばを尋ねるのだった。

ローラは、最も良いのは、メッセージの後に歌う<讚美歌18番>だと書いている。

最も良いのは、讚美歌18番だ。オルガンの音が響いてきたかと思うと、みんな元気に歌い出す。
我が杖を手に、我らは進む
見知らぬ国の、荒れし砂漠を
我が信仰は光輝き
我らの希望は強くたくまし、
「イエスの道」ぞ、我が旅のうた。
そして次に、響き渡るオルガンの音よりももっと大きく、声を揃えて力一杯歌う。
「イエスの道」こそ、我が祖父の道
神に導く、人の世の道
これぞ他になき、明るき世の道
踏みて行かん、我が「イエスの道」<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

イエスキリストの足跡にしたがい、私たちが道を進んで行く時こそ、
私たちの神に対する信頼は光輝いて、
希望が私たちの心の中で強くたくましくなって行く。
イエスキリストにある道こそが、暗い夜も明るく照らす人生の旅路なのである。

日曜学校と朝の礼拝と、....また夜、教会に行くことで、日曜日は毎週、まるで飛ぶように過ぎていった。そして、月曜日にはまた学校がある。金曜日の文芸会が待ち遠しく、近づくにつれてますますそわそわしてくる。....
これでもまだ足りないかのように、婦人援助会は、教会の費用への一助として、大がかりな感謝祭のお祝いを計画した。....
教会の中の壁に取り付けてあるランプは、みんな灯がともされていた。ひとつのテーブルのまん中に、トビ色に蒸し焼きにされたブタが、見事な赤いリンゴを口にくわえて立っていた。....
ローラもキャリーもこんなにたくさんの食べ物を見たのは、まったく生まれて初めてだった。テーブルは二つともぎっしりだった。....一番素晴らしいのはあのブタだ。....
これはみんなローラには初めての経験だった。<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

また、金曜日の文芸会では、父チャールズインガルスが、やってのけた。
彼は、友人たちとぼろぼろの服を着て真っ黒に顔を塗り、まん中の男がタップダンスを披露し、他の四人は口琴を弾く者、ハーモニカを吹く者、骨をカスタネットのように打ち鳴らす者、また、最後のひとりは手拍子足拍子を取る者だった。
歓声が上がり、みんな興奮と笑いで盛り上がったのである。
父チャールズは、骨を指の間に入れて 調子外れにカタカタ鳴らしていた黒人だった。

宗教強調集会
少しずつ大人になってきているローラは、この頃、町での色々な催しを思いっきり楽しんでいる。教会での催しもクリスマスの集会や祈祷会も楽しんでいた。

ローラたち家族は、宗教強調集会に出かけた。教会は混んでいて、ランプの明かりと人混みで、暑いほどにストーブが効いていた。
ブラウン牧師が讚美歌154番と言うと、牧師婦人がオルガンを演奏し、みんなで讚美歌を歌った。ローラたち家族は、激しい口調のブラウン牧師の説教よりも、オルデン牧師の静かな口調の方が好ましいと思ったが、それでも讚美歌は楽しんで歌っていた。

讚美歌154番
九十九は、安らかに
囲いの中に、いこうれど
群れをなし、子羊ひとつ
優しく賞ずる、飼い主はなれ
黄金の問より、はるかなる
草一つなき、荒れ山深く
丘をさまよう。
喜び祝え、主はその羊を、連れ帰りたもう!
<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

救い主イエスは優しい羊飼いとして、囲いの中に安らかにいる99匹の羊を待たせておいてでも、いなくなった1匹の羊を探される方である。そして、喜び祝いながらその羊を肩に乗せ連れ帰られるのである。
この讚美歌は、次の聖書の<マタイ18:11ー14>をモチーフとしている歌である。

"人の子(救い主イエス)は、失われている者を救うために来たのです。
あなたがはどう思いますか。もし、誰かが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九を山に残して、迷った一匹を探しに出かけないでしょうか。
そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。
このように、この小さいものたちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。"<マタイ18:11ー14>

ブラウン牧師の長いお祈りに、ローラは目を閉じ頭を下げて静かに聞いてはいたものの、お祈りが終わって、みんなが立ち上がり、踊りたくなるような元気な感じの讚美歌を歌い出した時にはホッとしたと、ローラは書いている。

さわやかに明ける光に種まきて
照りつける真昼の野辺に種まきて
薄れゆく入日惜しみつ
おごそかに更けゆく夜半に種まきて
ああ、刈りいるるは何ものぞ―お
ああ、刈りいるるは何ものぞ。<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>

この讚美歌は、ソロモンが書いた次のく伝道者の書11:6>がモチーフになっていると思われる。

""朝のうちに種を蒔け。夕方も手を放してはならない。
あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか知らないからだ。
二つとも同じようにうまくいくかもわからない。<伝道者の書11:6>
涙と共に種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取りの日を迎える。
風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている人は刈入れをしない。
慎重なばかりでは、時には恐れている時と同じ結果しか生み出せないかもしれない。
時には大胆に一歩踏み出してみること、あれもこれもやって見ることが必要な時もあるかもしれない。もしかすると、全て成功するかもしれないのだ。

「宗教強調集会が歌うことばかりだったら、ローラは大好きになったろう。」<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>
これが、宗教強調集会に出たローラの本心である。

「さあ、行こう!」父ちゃんはグレイスを抱いて通過を戸口の方へと歩いて行った。....
ローラが自分の外套の袖に手がかけられているのに気がついたのは、「お送りしていいですか?」と言う声がしてからだった。そう言ったのはアルマンゾ・ワイルダーだった。
<ローラ インガルス ワイルダー著*鈴木哲子訳>
彼が、後にローラの夫となったアルマンゾ・ワイルダーである。


世界に広がる神の祝福*大草原の小さな家5*ローラ インガルス ワイルダー

おもしろブログ特集
長い冬*ローラ インガルス ワイルダー


5*長い冬
<長い冬ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>の本の中に、ローラから来た「親愛なる日本の子供たちに」というローラが自ら書いた手紙がのっている。
最初に日本で、ローラの本長い冬を訳した石田アヤさんが、ローラに手紙を書き、日本の子供たちへのメッセージをもらってくれたものらしい。
その中には、やはり、神と共にアメリカの開拓時代を生き抜いたローラならではの誠実な言葉が書かれていると思う。

長い冬の物語は、ローラが14才の頃の話である。

この物語の中で、ローラが「鳥の翼が私にあれば」と聖書の詩編の聖句を思い出している。これは、ダビデが書いた詩編だと思う。”ああ、私に鳥の翼があったなら、自由に飛んでいけるだろうに...〃
長く厳しい冬が来る兆候があり......ジャコウネズミの巣は、例年になく分厚く厳しい冬に備えている。父チャールズは、もし、自分が鳥だったら、さっさとここから逃げ出すだろうと言う。
また、親切なインディアンが、凄い雪が何ヵ月も続くと警告しに来る。
そこで、父チャールズは、家族で町に引っ越すことを決心する。
ローラには、父さんの言うことがなんとなくわかったのだった。
穏やかな天候の空の下に潜んでいる不穏な感じ、それが父チャールズにもローラにもわかったのだ。
もし、鳥の翼が自分にあるなら、飛んでいきたい。それが、その時のローラの思いだった。
ローラはまだ小さかったから、聖書の詩編の言葉を使うことによって、自分の心の中や思いを表現したのだろう。
聖書の詩編には、私たち大人とっても、自分に表現しにくいような心の中や感情にぴったり来るものがよくある。人は、自分の感情を表現できるだけでも楽になる時がある。
また、昔から同じようなことで悩んだり、苦しんだりした人物がいてるだけでも、励まされるものである。

年寄りの親切なインディアンの忠告により、長く厳しい冬に備えて、父チャールズは町に引っ越しすることにする。
町に落ち着いた時、学校帰りの生徒を見て母キャロラインは、ローラとキャリーを次の日から学校に行かせることにする。
知らない人に会うのが怖くて学校に行きたくないローラは、メアリーは学校の先生になりたがっていたのに、代わりに自分が学校の先生になる為に学校に行かなくちゃならないなんて不公平だと思いつつも、恐れてはならないと勇敢に立ち向かうことを決意する。

緊急して前の晩よく眠れなかったローラとキャリーが学校に着くと、ローラに気がついたひとりの少年が明るい笑顔でローラにボールを投げて来た。キャップ・ガーランドだ。ボールがカーブしながらローラの所へ飛んで来る。ローラは、思わずナイスキャッチ。すると、「わぁー!」と男の子たちから歓声が上がった。
話しかけてくれた女の子たちと一緒に教室に入ると、先生が声をかけてきた。先生の名はフロレンス・ガーランド、さっきボールを投げて来た少年キャップ・ガーランドの姉さんだった。
先生は、授業を始める前に聖書を開くと読み始めた。その日の朝は、詩編23編だった。

ローラはもちろんそれを全部覚えていた。でも、23編のことばをもう一度聞けるのはとてもうれしっかった。
最初の「主は羊飼い。私には何も欠けることがない」から、最後の「命のある限り、恵みと慈しみはいつも私を追う。主の家に私は帰り、生涯そこにとどまるであろう。」まで。
読み終わると先生は聖書を閉じ、生徒たちは教科書を開いた。授業が始まったのだ。
ローラは、日ごとに学校が好きになっていった。

ローラは、学校に行った初日に詩編23編の聖書の御ことばを、もう一度聞けて良かったと書いているが、再びローラは、この聖書の御ことばを大草原の小さな町の中で書いている。

<聖書の詩編23編>
"主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私と共におられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え、私の頭に油を注いでくださいます。
私の杯は、溢れています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。"

ローラは、いつも父チャールズが牛の世話や馬の世話をどれほど愛情を込めてやっているのかを、小さい頃から目にして育って来た。
ローラが大きくなってからは、ローラ自ら牛や馬と親しみ、楽しみながら世話をしていた。
(聖書では、救い主イエスを羊飼いにたとえ、イエスを信じる者が羊にたとえられている。)
小さな頃からローラには、羊飼いである主が、深い愛情と繊細な気配りをもって私たちという羊の面倒をみてくださっていることが、分かりやすかったのではないだろうか。
羊は、弱い動物で、一度転ぶと自分ひとりでは立つこともできない。
私たちは、羊のように弱くとも、そんな時こそ主によって強くされる。
だから、私たちは勇敢になれるし、どんな時でも主によってリラックスできるのである。

ローラもキャリーも月曜日が待ち遠しいほどに学校が好きになっていた。
ところが、ある日授業を受けている時だった。学校の校舎を嵐のようなもう吹雪が打ちつけたのだ。
フォスターさんと言う男の人が迎えに来てくれたので、一緒に先生も生徒も家に帰ろうとするが、吹雪の中でまったく前が見えず、迷子になりそうになってしまう。その時、ローラの肩が町の本通りの一番北の端にある建物の角にかろうじてぶつかった。この先には、雪を避けることができない大草原が広がっているだけだ。
ローラが知らせる為に叫んだ声を聞きつけて、ホテルに避難し、なんとかみんな助かったのだった。
これが、厳しく長い冬の始まりだった。

さて、町の北にロイヤル・ワイルダー飼料店があった。店の奥では、アルマンゾ・ワイルダーがそば粉のホットケーキを焼いていた。
アルマンゾは、母親が腕前を認めるほどにホットケーキを焼くのがうまくなっていた。
焼き上がったホットケーキと、塩づけ豚肉と、熱いコーヒーのにおいが漂っていた。
ホットケーキに糖蜜をかけて食べながら、二人はインディアンが言った厳しい冬のことを話していた。
「もし、汽車が止まってしまったら、俺たちは春まで持ちこたえられないぞ。」
「もし、汽車が動かないことになったら大変だぞ。町の人たちが石炭や小麦粉や砂糖を買いに来てもすぐになくなってしまうよ。」
「でもいいか、僕の種小麦は何があっても絶対に手をつけさせないからな。」
そんな話をしながら、アルマンゾはホットケーキをひっくり返していた。
「ところで、ホットケーキはもう焼けたかい?」とローヤル。
アルマンゾはローヤルの皿にホットケーキをのせながら言った。「21枚目だぞ。」
「食べているうちは、俺たちは皿洗いをしなくていいからな。」と、ローヤルは言った。

揺り椅子に座りながら、ローラとメアリーが大学の話をしていた時だった。
急に太陽が暗くなり、ゴーという音と共に吹雪が襲ってきて 家がぐらぐらと揺れた。
父チャールズは、危機一髪で家に帰って来ることができた。その夜は厳しい寒さが家の中まで押し寄せた。まるで小さな町は、広大な大草原の中で孤立し、白い雪の世界に閉じ込められてしまったみたいだった。

猛吹雪が続き、外は零下40度の日が続き...。学校や、牛や馬の家畜の世話をするために家の外に出ただけでも、猛吹雪で迷うと命の危険がある。
そんな生活の中で、父チャールズはバイオリンで讚美歌を弾き、ローラたちはバイオリンにあわせて、午後はずっと賛美歌を歌った。

「はるかかなたに
仰ぎ見る御国よ......」
「イエスは辛いこの世の岩
辛いこの世、ものうい世
イエスは辛いこの世の岩
嵐の時の隠れがよ」
「嵐よ、吠えろ
吠えて、のち止む
我ら、嵐を乗り越えて
やがて着くのだ。幸せの地へ」<谷口由美子訳>

凍りつくような猛吹雪の嵐に負けじと、この世の人生のいかなる荒波も乗り越えさせ、嵐からも守られる救い主イエスを賛美するローラたち。賛美をするうちに、嵐をも乗り越えることができる勇気が湧いて来るからだろう。賛美とは、そういうものである。
イエスキリストは、救いの岩として聖書に書かれている。
海での船の航海の時、荒波や嵐から船が流されない為に、イカリをおろす。救い主イエスキリストという堅固な岩に結ばれている者は、何があっても流されることがない。
また、山や森の中で嵐が来ると、小鳥や少動物は大木や岩の陰に身を隠すことによって守られる。イエスキリストにある者たちは、いかなる嵐が来ようと、救いの岩であるイエスキリストによって守られるのである。
ローラたち一家は、はるかかなたの御国を仰ぎ見た。御国とは、Kingdom のことで、救い主イエスが王である国である。これが、天国の本当の意味である。
ローラたちは、やがて、天にある幸せの御国に安らかに住むことを思いつつ、この現実の厳しい状況の中でも、今の新しい地でも幸せである為に、勇気と忍耐をもって、日々戦い抜いたのである。

この時、他にもう1曲歌ったとローラが書いている母さんお気に入りの讚美歌は、「大草原の小さな家」「プラムクリークの土手で」「シルバーレイクの岸辺で」の物語の中で登場する讚美歌だと思われる。その歌を「プラムクリークの土手で」の物語の中では、ローラが初めて教会に行く時に家族で歌ったのだった。

猛吹雪で汽車が止まってしまい、町の店では食料品や燃料の値段がつり上がり、インガルス一家には買うだけの余裕がない。それでもメアリーが大学に行く費用には手をつけたくないインガルス一家。
そんな中で、グッドアイディアを出し合い、必要な物が欠けていても見事に父チャールズ始めインガルス一家はのりきって行く。
ストーブの石炭が底を着いた時は、干し草を固くよじり結び目を作って木の棒のようになった物をストーブの燃料にする父チャールズ

「干し草の棒とは!」母さんが声をあげて笑った。「次は何を考えつくのやら。チャールズ、あなたは道さがしの名人だわ」
「おまえこそ、その道の名人だよ」父さんは母さんに微笑みかけた。<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

今度は小麦粉が底を着いた。父チャールズが店に買いに行くが、小麦粉はもはやなかった。そこで、粉にひいていない粒のままの小麦を買って来る。

「....この小麦をどうやって料理するか考えるとしよう。どうするね、煮るとか?」....
「粉ひきならありますよ」そう言って、母さんは戸棚の上に手を伸ばし、コーヒーひきをおろした。....そして、腰をおろすと、...ハンドルをぐるぐる回し始めた。....
父さんがたずねた。「これでパンが焼けるかな?」
「もちろん、焼けますよ。でも、お昼にパンを焼くなら、このままひきつづけていなくてはだめですよ」<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

灯油ランプがつけれなくなった時は、母キャロラインがボタンランプを思い着く。

母さんは、....ボタンを包むように布を持ち上げてまとめ、上を糸できっちり縛った。....
それから、ほんの少しの車軸油を上の方までこすりつけてから、受け皿の油の上に、包んだボタンを置いた。....
その小さな炎は、まるで暗闇の中の一本のろうそくの炎のようだった。
「キャロライン、おまえは素晴らしいよ。ほんのわずかな明かりだが、あるのとないのとは大違いだ」父さんがほめちぎった。<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

凍りついた機関車を出そうとして、会社が春まで除雪作業をあきらめ、機関車が完全に氷の中に取り残された。
町には食糧もなく、まきや石炭も底をついて行く。
その中でも、希望は神にあると、インガルス一家は力強く讚美歌を歌う。
母キャロラインが柔らかな声で歌い始めるとローラも一緒に歌い出す。次にキャリーが歌うと、そこにメアリーのきれいなソプラノの声が加わっていく。

「おお、カナン、輝くカナンよ。私は向かう......
ああ、嵐のヨルダン川の岸辺に立ち、あこがれの目を向ける。
カナンのきらびやかな楽園に、私の大切なものがあるところ
ああ、カナン、輝くカナンよ
私は向かう、カナンの幸せの国に.......」<長い冬*谷口由美子訳>

カナンの地は、神による新しい約束の地を指す。新しい天と地、すなわち天国を意味する。
ローラが、初めて教会に行った時に歌った黄金のエルサレムも、新しい約束の地カナン、天国を指している。
これは、アブラハムから始まったイスラエルの民が、新しい約束の地カナンの地を目指したことに由来する。
神が、イスラエルに約束された新しい地は、神の祝福がとても豊かな所である。
新しい安住の地を探し、希望を決して失わず、忍耐し続けたインガルス一家の力の源は、救い主イエスキリストであった。
なぜなら、イエスキリストの十字架の御業を通して、永遠の命が与えられ、新しい約束の地へと、私たちは入る者とされるからである。

アルマンゾ・ワイルダーは、ローラの父チャールズが店に隠してあったアルマンゾの種小麦を買おうとしたことから、町の人々の困窮した生活を知る。
そこで、話に聞いた町の南の方角で小麦を収穫した男のところへと行き、命がけで町の人々の為に食糧となる小麦を手に入れようと思案する。
アルマンゾとキャップ・ガーランドは、吹雪の合間の晴れた日を狙い、小麦を買いに町から見渡す限り雪の草原へと、馬に乗って出かけて行く。

"わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友の為に命を捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません。"<ヨハネの福音書15:12.13>
この厳しく長い冬を乗り切る為には、アルマンゾは何ひとつ不自由していなかった。
アルマンゾは、純粋に町の人々の命を慈しむことによって、自分自身が命がけの危険を犯してでも、人々の食糧を確保しに行くことを考えついたのである。

長い冬の厳しさは、極限を迎え、父チャールズは家族を励まそうと家族に本を読む。が、ローラは集中力さえなくなっていて本の内容が耳に入らない。そこで、ローラは、父チャールズにバイオリンを弾いて欲しいと頼むのだが、弾いてはみたものの父チャールズの手は、厳しい寒さの中での作業のせいで、バイオリンを弾くことができない。
そんな時、姉のメアリーが、妹のグレイスを膝に抱き、こんな歌を歌っている。
「あの美しい国の歌を聞かせよう
たましいの住むところ
吹雪とは無縁の、日の輝くかの地
永遠の時が静かに流れていく」<谷口由美子訳>

冬が長く、なかなか春が来ない中で、四日間の猛吹雪に見舞われる。
アルマンゾとキャップの生死さえ確認できない猛吹雪に、父チャールズでさえ限界を迎えそうになる。

いきなり、父さんは北西の方向に向かって、握りこぶしをつきたて、震わせた。
「吠えろ!吹きやがれ!吠えろ!」父さんは叫んだ。「みんな、ここで無事にいる。!やられるもんか!冬中暴れまくったところで、いずれおまえを打ち負かしてやる。!春が来るまで、ここで頑張るぞ!」....「キャロライン、すまない、馬鹿なことをした。急に風が生き物のように見えて、わしらを捕まえに来たような気がしたんだよ」<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

バイオリンが弾けたらこんなに辛くはないのにと言う父チャールズの言葉に、ローラはみんなで歌うことを提案する。
何曲か歌った(聖書の使徒の働きからヒントを得たアメリカ民謡など)後、
父チャールズがこの曲を歌い出す。

「大いなる主、限りなく賛美されよ
神の都の、聖なる山で」 <谷口由美子訳>

すると、今度は、母キャロラインがこの曲を歌い出したのだった。

「もしもわたしが、空の国に住めるなら
どんな恐れもかなぐり捨てて、涙もさっと振り払う」<谷口由美子訳>

この長い冬、インガルス一家の心を支えたのは、神への賛美であり、賛美歌を歌う中で与えられた、聖書の御言葉の約束に信頼する信仰だったのではないだろうか。
インガルス一家は、長い冬を、神を賛美しつつ乗り越えたのである。

その晩、ローラとメアリーは、アルマンゾとキャップに神の御恵みがあり、ふたりが無事であるようにと祈ったのだった。

神は、祈りをきかれる方である。
私たちが心を合わせて祈るなら、神はその祈りに必ず答えてくださる。
"あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたの欲しいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたの為にそれがかなえられます。"<ヨハネによる福音書15:7>
この日、きっと町中の人たちが、ふたりの無事を祈ったにちがいない。
アルマンゾとキャップが無事だっただけでなく、町の人々が春まで持ちこたえるだけの小麦を、ふたりは手に入れて帰って来たのである。

救い主イエスキリストが自分の命を捨ててまでも、十字架にかかられたのは、人々を死と死の力を持つ暗闇の力から解放する為であった。
それほどまでに人々を愛された神は、アルマンゾとキャップの命がけの愛を通して、町の人々を飢えという死の力から解放し、新しい春という季節を迎えることができるようにされたのだった。
ローラとメアリーが祈ったように、主の慈しみと恵みとがアルマンゾとキャップの上にあったのである。
"主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない....いのちのある限り、恵みと慈しみとがわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯そこにとどまるであろう。"<長い冬*ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

五月のクリスマス
春になり、やっと待ち望んでいた汽車が大草原の小さな町に到着する。
父チャールズが、長い間雪に閉じ込められていた汽車の中から持って帰って来たクリスマスの樽の中には、たくさんのクリスマスプレゼントが入っていた。
その中から、クリスマスの七面鳥とクランベリーが見つかったので、ボーストご夫妻と共に五月のクリスマスをすることになる。
テーブルには、七面鳥にクランベリーのジェリー、白い小麦粉で作ったパンに茹でたじゃがいもにバター、ケーキやパイまでそろっていた。

ごちそうが山盛りになったテーブルに、みんながそろってつくと、母さんが父さんを見た。みんなは頭をたれて、お祈りをした。
「神よ、あなたの溢れるお恵みに感謝します。」
父さんはそれしか言わなかったけれど、それだけで全てを表しているようだった。....
父さんは言った。...「長い冬だったなあ」
「実に厳しい冬だった」とボーストさん。
「でも、こうしてみんな元気に乗り切ってこれたなんて、奇跡ですわね」ボーストさんの奥さんがしみじみと言った。.......
春が来たのだ。ほかほかと日が照り、そよ風が柔らかく吹き、草が緑に萌えていく。
<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>


【黄金のエルサレム・幸せの国・天の国・カナンの地などが書かれている聖書の黙示録】
インガルス一家が、長い冬の間、歌った讚美歌のモチーフとなっている新天新地・黄金のエルサレム・カナン・幸せの国などが書かれている聖書箇所は<黙示録21.22章>である。
"また私は、新しい天と地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。........
神ご自身が彼らと(イエスを信じる者)と共におられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。
すると、御座に着いている方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」
.......都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。.......その城壁は純金でできていた。........
御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。
それは神と小羊(イエス)との御座から流れ出て、都の大通りの中央を流れていた。
川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。
また、その木の葉は諸国の民をいやした。...."<黙示録21.22章より>

(長い冬は別のversion でも当ブログ2014.2.21日*長い冬*に掲載)

*ホームページ紹介*最後のアダムイエスキリスト*























世界に広がる神の祝福*大草原の小さな家4*ローラ インガルス ワイルダー


おもしろブログ特集
シルバー・レイクの岸辺で*ローラ インガルス ワイルダー


4*シルバーレイクの岸辺で
インガルス一家は、鉄道の工事現場の工夫たちが去ったシルバーレイクのほとりにある測量技師の家で過ごすことになる。
そこには、なんと、冬の食糧も石炭も充分に備えられていた。そこに住みながら会社の備品を預かるだけで、それらを無料で使えるという。
母キャロラインは、「まるで、神の取り計らいによって、神によって備えられたもののように思える。」と言う。それが、インガルス一家の信仰であった。


この物語は、やんちゃなローラが、しっかりしている姉のメアリーの失明という出来事や、また、いつも一緒にいた老犬ジャックの死という出来事を通して、自分がやらなければならないことは、自分ひとりでやり通すという決意をするところから始まる。
ローラが13才の頃の話である。

姉メアリーの目となり、姉と共に生きようとするローラ。
ローラは、優しさと勇気を遺憾なく発揮する。

大きな森の小さな家で、ローラが出会ったドーシアおばさんの勧めで、父チャールズは、鉄道会社の店番と帳簿係の職を得て、ローラたちは西部に行くことになる。

父チャールズが先に西部に旅立ったので、母キャロラインと子供たちだけで、初めての汽車の旅をする。そうして、インガルス一家はプラムクリークの家を出て、シルバーレイクのほとりへと移住するのである。

西部の始まるシルバーレイクのほとりに、冬を過ごせる為の充分な備えがあった。
姉メアリーが猩紅熱によって失明した時には、父チャールズとローラを除く全員が病に侵されたので、父チャールズには医師への支払いの当てもないほどだった。
そんな彼らにとって、父チャールズが職業に着け、その上、石炭も食糧も万全に備えられている、しっかりとした家で冬を越せることは、まさに、愛なる神が備えられたものとしか言いようがない。

楽しい冬の夕べに、父チャールズのバイオリンの音色に合わせて、家族揃って歌う。

「いざ立てよ、神の兵。
使命に燃ゆる勇者、汝。
かたき団結を守りつつ、
行かん自由の旗のもと、
平和、平安勝ち取らん」<恩地三保子訳>

イエスキリストの十字架の十の字、その縦は神と人の平和な関係を表し、横は人と人との平和な関係を表していると言われる。そこには、豊かな心の平安がある。
救い主イエスの十字架のみわざは、私たち人間を死と死の恐れから解放し、自由にするものであった。
神の勇敢な兵士として、十字架の平和と、永遠の命を伝える使命の為に立ち上がろう。とローラたちは歌う。
そして、この時、インガルス一家が歌ったその事は、今や現実のものとなっている。
神は、ローラインガルス ワイルダーを通して、世界中の人々に、神の愛と聖書の御ことばを届け続けているのである。

この日、インガルス一家は、歌ったり踊ったり、笑いながら楽しい時を過ごすことができたのだった。

このシルバーレイクの物語には、ローラが、ひとり立ちとつけたページがある。
すなわち、自分はしっかりしなければならない。と書かれているわけである。
もう、あのやんちゃなローラは見られないのか、と思っていたら、ローラは決して期待を裏切らない。
ちゃんと、月夜の晩に、ローラとキャリーのふたりだけで、凍ったシルバーレイクの氷の上を滑りに行き、光る月影をたどって行って、大きな2匹の狼に出会って帰って来る。
ローラが、家に慌てて帰ってその話をすると、「おまえらしいな!」と、父チャールズ。

次の日、父チャールズが、大きな狼2匹のことにかたをつけに行って、新しい良い土地を見つけて帰って来る。

そして、その年のクリスマスに、家族でささやかな礼拝とお祝いをしたのだった。
父チャールズの陽気なバイオリンの音が、楽しいクリスマスの曲を奏で、それから、讚美歌を家族そろって歌った。

「輝く日は明け、良き日は来たれり。
世界は目覚めぬ、黄金の暁に。
あらゆる国びと集いきたる、神の御山にのぼらんと。
神は教えたもう、神の道を、
その御跡を歩まん、いざもろびと」<恩地三保子訳>

クリスマス・イブ(前夜)の輝く夜は明け、エルサレムのベツレヘムで、イエスキリストの誕生されたクリスマスの日を迎える。
世界は、夜明けの東の空に黄金色に輝く太陽に目を覚まし、あらゆる国の人々が、エルサレムの神の山に礼拝するために集まって来る。
神は、神による救いの道はイエスキリストにあると教えられた。
さぁ、全ての人々よ、そのイエスキリストの御足の跡に従いつつ歩んで行こう。

「あたたかき日光は草に、
朝露はうなだれた花に、
命をよみがえらせん。
瞳あかるく光を見つめ、
秋の日は明けゆく。
されど、優しき言葉、
まことの微笑みこそ、
夏の日にましあたたかく
露にまさりて輝かん。
自然のたくみの優れし技も
この世のすべてにはあらず、
黄金も玉も、心を満たさじ。
されど、神のみもとにぬかずき、
優しき言葉、あたたかき微笑みもて
人みな集う時、ああ、この世は美しきかな!」<恩地三保子訳>

暖かい太陽の光と朝露が、うなだれた草花をよみがえらせるように、イエスキリストも復活の命によって、私たちを新しい命によみがえらせるのである。
どれほど巧みな自然の技も、この世のすべてではない。また、金、銀、宝石も、私たちの心を本当には満たすことはできない。
しかし、愛である神の御もとにひざまずいて、人々が集う時、そこには、謙遜な人々の優しい言葉と温かい微笑みがある。
その時、この世界が心から美しいと思えるのである。

讚美歌を歌い終わる頃、メアリーが、人が来る気配に気づく、そこで、ドアを開けると
ボースト夫妻が訪ねて来ていた。
そして、彼らと一緒に、クリスマスの神への讚美を捧げたのである。

「メリー、メリー・クリスマス!
空から鳴り響く、楽しい歌声。
クリスマスの鐘、クリスマス・ツリー、
その風にのってやって来るクリスマスの香り。

感謝を込めて、喜び歌う、心に溢れるこの幸を。
見よ、栄光の日はのぼる、大地をあかく染めつつ。

迷える者の心を照らす灯、
くじけし者への慰めもて、
主は導きたもう、手をとりて、
永久の平和に、信ずる者を」<恩地三保子訳>

救い主であるイエスキリストは、世の光である。
主イエスは、信じる者の手をとり、永久の平和へと優しく導いてくださる。
主は、この世の人生の旅路を迷う私たちの心を光で照らし、愛で満たしてくださる方なのである。
だから、クリスマスおめでとう!と、私たちは主に感謝し、喜びながらクリスマスをお祝いするのである。

ある日曜の夜、インガルス一家とボースト夫妻が、みんなで安息日の歌を歌っていた。

「我ら良き家に楽しく集い、
喜びの歌、家に満ち溢れるとき、
寂しくひとり住む人の
頬につたう涙を思うことがあろうか?
差しのべよ、我らが手を....」<恩地三保子訳>
突然バイオリンの音が止んだと思うと、外から力づよく歌っている声が聞こえて来た。

「力つき、弱りはてし者に、
差しのべよ、その手を、巡礼の道にある者に」<恩地三保子訳>
すると、オルデン牧師と、若いスチュワート牧師が立っていた。

みんなで夕食を囲んだ後、オルデン牧師と母キャロラインの話があった。

「インガルスさん、メアリーの受けた苦しみを、心から同情いたします。」
「ありがとうございます、オルデンさま」母さんは沈んだ声で言いました。
「時には、神の御心に従うことの辛さを感じます。私たちは、あのプラム・クリークの家で、家じゅうが猩紅熱にかかりまして、しばらくの間は、本当に苦しい日が続きました。けれど、子どもたちが、みなこうして残されたことを、私は感謝しております。メアリーは私にとっては、大きな慰めなのです。オルデンさま。あの子は、ただの一度も、不平がましいことを言ったことがありません。」
「メアリーは、たぐいまれな魂の持ち主で、われわれみんなにとっては、生きた教えなのです。」オルデン牧師は言いました。「神は愛する者をこそ試したもう、ということを忘れてはなりません。そして、勇気ある精神は、あらゆる苦難を、かえって善きこととするということも。」<恩地三保子訳>

オルデン牧師は、盲目者の為の大学があることを話し、その後メアリーと長い間、話込んでいた。

オルデン牧師は、…さわやかな飲み物として、一緒にお祈りの集いをしようと言いました。みんながそれぞれ椅子のそばにひざまずき、オルデン牧師は、みんなの心を、秘めた想いを知りたもう神に、その場に集う者に目を向け、その罪をゆるし、あやまちなく過ごせるよう力をかしたもうよう願いました。
ローラは、自分が、日照りにあえぐ土まみれの草のように、暑くからからに乾いていて、その静けさは、涼しく、優しく降り注ぐ雨のような気がしました。
オルデン牧師の言った通り、それはさわやかな飲み物のようでした。
すがすがしく、力がみなぎって来るのを感じながら、ローラは、もうなんのくったくもなくなり、どんなに辛い仕事も喜んでするし、自分の欲しいもの、自分の希望などすべて捨ててもかまわないという気持ちになっていました。メアリーが大学に行けさえすれば。<恩地三保子訳>

そして、その後寝る前に、ローラは、メアリーに約束したのだった。メアリーが大学に行くために、一生懸命に勉強をして、学校で教えられるようになって、少しでも役に立てるようになることを。

神は、その人自身に合った 出会い方をされる。また、神から人への語られ方も様々である。ローラに合った方法で、神はこの時、ローラの渇いた心を豊かに潤されたのである。

この物語は、ローラが、いずれ人間はひとり立ちしていかなけれならないことに気づいたことに始まる。しかし、この時のローラは、ひとりぼっちのように思うと書いている。
オルデン牧師が神に祈った時、これから先のローラの人生に、いつもイエスキリスト共にいてくれることに、ローラは目を留めることができたのかもしれない。
そして、その事が、ローラを新しい力にみなぎらせ、嫌なことにも立ち向かう勇気に奮い立たせたのかもしれないのだ。

シルバーレイクの町の最初の礼拝
次の日、朝食の後、月曜日の朝ではあったがみんなで礼拝をすることになった。
父チャールズがバイオリンを弾き、みんなで讚美歌を歌い、スチュワート牧師が「皆の尊い努力に、神の導きがあるように」と祈り、その後、オルデン牧師のメッセージがあった。
そしてその後、父チャールズの美しいバイオリンのしらべに合わせて、再び、みんなで賛美をささげたのだった。

「はるかかなた、遠い地に、幸せの国、あるという。
聖者はみな栄光に満ち、日光のごと輝きたもうとか。
ああ、天使の歌声を聞け、主には栄光、王には....」<恩地美保子訳>
その後オルデン牧師は、馬車の支度ができると行ってしまったが、オルデン牧師の言葉は、みんなの心に希望と喜びを残したのだった。

さて、父チャールズは、気に入った土地の払い下げの申請に出かけることになる。
早く行かなければ、誰かに先に取られてしまうかもしれない。
四日目の夕方、父チャールズが帰って来た。気に入った土地が取れたことを話そうとする父チャールズに、待ちきれずにせきたてて話を聞こうとする"おはねちゃん!"
父チャールズは、この頃、ローラをこう呼ぶのを気に入っていたらしい...。

父チャールズは、テネシー生まれのヤマネコ、エドワーズさんの死にものぐるいの助けによって、一番欲しかった土地を手に入れ、インガルス一家はそこに住むことになるのである。

この時、父チャールズの親切心から、土地の払い下げ申請に行く人々に、夕食と朝食を出し泊めることになる。
父チャールズが払い下げ申請に行っている間に、あまりの大変さに、母キャロラインとローラ達は料金を取ることにする。
そのお金は、後にメアリーの盲目者の大学に行く為に、取って置くことになる。
しかし、彼らに出した食糧のほとんどは、もともとは測量技師の家に備えられていたものを、インガルス一家が自由に使って良いことになったものだった。
ここに来て、母キャロラインが「この事は、神の取り計らいによって、神に備えられたものだと思う。」と言った言葉が、再び、生きて来るのである。



2014年4月4日金曜日

世界に広がる神の祝福*大草原の小さな家3*ローラ インガルス ワイルダー

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プラム・クリークの土手で*ローラ インガルス ワイルダー


インガルス一家は、大草原の小さな家を出て、プラムクリークの土手に扉が付いている不思議な家に住むことになる。
この物語は、ローラが8才から10才くらいの頃の話である。(もしくは7才くらいの頃の説もあるらしい。)
大草原の小さな家のインガルス一家は、インディアン居留地にあった為に追い出されてしまったのだ。

この物語の中では、ローラが両親との約束を破って、プラムクリーク(川)でひどい目にあった、小さい頃のローラの大失敗が書かれている。
学校で教師を務め、夫 アルマンドの良き妻であり、ひとり娘 ローズの良き母であったローラにもそういう時があったのだ。
プラムクリークは、ローラのイタズラシーズン真っ盛りの物語である。
また、プラムクリークの土手の家では、大きな牛ピートのせいで、家の中にいながら、なぜか星空の下で寝ることになる。

この物語の中では3回クリスマスが出てくる。その一度目のクリスマス。
ローラの母キャロラインのクリスマスの心
ローラは、クリスマスのサンタクロースについて、母キャロラインが教えてくれたことをこの本に書いている。

母さんは、そのあと、サンタクロースについて、もうひとつ新しいことを教えてくれました。サンタクロースはどこにでもいるだけでなく、いつでもいるのだということを。
誰でも、自分のことより人の ためをまず第一に思う気持ちになれる時、いつもそこにはサンタクロースがいるのです。
クリスマス・イブというのは、みんなが人のためを思う時なのです。その夜こそは、だれもかれも、みんな自分勝手を忘れ、他の人たちの幸せを願うからこそ、サンタクロースがあらゆる所に現れるのです。母さんは、そう話しました。
「もし、誰もかれもが、いつでも、他の人みんなの幸せを願っていたら、いつでもクリスマスなの?」ローラが聞くと、母さんは言いました。「そうですよ、ローラ」<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>
クリスマスに、イエスは、エルサレムのダビデの町で生まれた。
それは私たちを、全ての悩み、苦しみ、飢え渇きなど、今生きている中で起きる問題から救い出すばかりではなく、また、死の苦しみや恐れからも救い出すためである。
クリスマスは、その神の愛に心を留め、感謝する時なのである。だからこそ、他の人を愛する愛が世界に満ちるのだ。
クリスマスのサンタクロースを通して、母キャロラインはローラたちに、人を愛するということを教えたのだった。
素晴らしいのは、愛があるところが、いつでもどこでもクリスマスである。という母キャロラインの教えである。

そして、ローラは、小さい頃に、母キャロラインから学んだ、人を愛するクリスマスの心を、生涯大切にして生きたのである。

ローラとメアリーのお祈り
この物語の中で、ローラとメアリーが、クリスマスイブにお祈りをする。

「主よ、私は、今、眠ります。
私のたましいは、主の御手の中にあります。
目覚める前に、もし、私の命が終わるなら、
主よ、私の魂はおささげいたします。
そして、とうさん、かあさん、キャリー、そして、みんなを祝福したまえ。
私をいい子にさせたまえ、いつまでも、いつまでも、アーメン」
<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>
ローラとメアリーは、こう祈ってから、安らかに眠った。
キリスト教は、天国へ入る道が、はっきりしている。
生前の行いによるのなら、天国に入れるのかどうかが、自分で自信を持つことができないのではないだろうか?
キリスト教では、天国に入れる条件は、イエスキリストを信じているのかどうかだけである。すなわち、救いは信仰によるのである。
ローラとメアリーの祈りは、イエスキリストを信じているから、天国に行けることことを確信している祈りなのである。

大きな森の小さな家の物語の中でも出てくるので、ローラたちは、小さい頃から眠る前には、必ず、このお祈りをしていたようである。

ローラとメアリーの初めての教会
ローラとメアリーが初めて教会に行くシーンがこの物語の中にある。
ローラは、家族みんなでこの歌を歌いながら、教会に向かった。

「はるかかなた、遠い地に
幸せの国、あるという。
聖者はみな栄光に満ち
日光ごと輝きたもうとか」<恩地三保子訳>
天国では、みんなが幸せで、聖者すなわち、救い主イエスを信じる者たちは、光の子どもとして、太陽のように輝くのである。と聖書に書かれている。
つまり、天国には、暗闇がなく、もはや、死も、悲しみも、苦しみもない、幸せな国である。と歌われているのである。
教会に着いた小さいローラは、日曜学校で、聖書の中でモーセのお話を聞き、暗唱聖句の宿題(聖書の御言葉を覚えて来ること)を出される。ローラは、もっと長い聖句もとっくに知っていると不満だったようだが、その聖句は、たった三つの言葉、"God  is love"( 神は愛である。)だったと言われている。
ローラは短い聖句に不満だったと子どもの頃の思いをユニークに自然体で書いているが、ローラの人生を思い浮かべる時、神御自身が暗唱聖句の時を通してローラに、この聖書の言葉を与えたかったのだと思うのだが…。

ローラが日曜学校で聞いたと書いている聖書のモーセの話
昔、エジプトの国で行った出来事。エジプト王は、エジプトの国にイスラエルという民族が増え広がり、力を持つのを恐れて、イスラエル人を奴隷とし、イスラエル人の女性が子どもを男の子を産むと、殺していたのだった。
モーセの母親は、モーセを産んだ時殺されることを恐れて、瀝青と樹脂を塗って沈まないようにしたパピルス製のかごにモーセを入れ、ナイル川の葦の茂みに置いた。
男の子の姉が、どうなるかを知ろうとして、その男の子の行方を、見守っていた。
ナイル川のその場所は、エジプト王パロの娘がよく水浴びをしている所だった。
パロの娘は、葦の茂みにかごがあるのを見て、召し使いをやってそれを取って来させた。
中を開けて見ると、子どもがいた。なんと、それは男の子で泣いていた。
彼女は、その子がイスラエル人の子どもだと気づいたが、憐れに思い、自分の子として育てることにしたのだった。
その時、男の子の姉が王の娘の所に行き、「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるために、私が行って乳母を呼んでまいりましょうか。」と言った。
パロの娘が「そうしておくれ」と言ったので、男の子の姉は母親を呼んで来た。
パロの娘は彼女に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」それで、その女(母親)は、その子を引き取って、乳を飲ませた。
その子が大きくなった時、女はその子をパロの娘の所に連れて行った。その子は王女の息子になった。
そこで、彼女は、男の子をモーセと名づけた。<出エジプト2章より>

この日、日曜礼拝の中で皆が、歌った?いや歌おうとしたのは、「黄金の地、エルサレム」だと書いてある。これは、今でいう「黄金のエルサレム」という曲かもしれない。
ローラは、その曲をわずかな人しか知らなかったので、席に着いた時にホッとしたと書いている。
ちなみに、「黄金のエルサレム」とは、新天新地、すなわち天国のことを指している。

ある日、イナゴの襲来の時を向かえてしまう。
イナゴがあちこちに卵を産み付け、来年の収穫さえ望みがないほどである。

そこで、ある日曜日、母キャロラインが、昔にあったイナゴの襲来の話<旧約聖書出エジプト記10:14.15>の話を、ローラたちに読んできかせる。

"いなごの大群はエジプト全土を襲い、エジプト全域にとどまった。実におびただしく、こんないなごの大群は 、前にもなかったし、このあともないであろう 。
.それらは全地の面をおおったので、地は暗くなった 。それらは、地の草木も、雹を免れれた木の実も、ことごとく食い尽くした。エジプト全土にわたって緑色は木にも野の草にも少しも残らなかった。"<出エ10:14.15>

この聖書の話は、モーセが率いるイスラエルの民が、エジプトの奴隷状態から脱出し、約束の地カナンを目指して、エジプトの国から出て行く前に、神がエジプトの国で起こしたイナゴの襲来の出来事である。
当時のエジプト王は、エジプトの国にイスラエル人が多くなりすぎるのを恐れて、イスラエル民族を奴隷とし、苛酷な労働をさせた。そればかりではなく、イスラエル人の女性が子どもを産むたびに、それが男の子なら殺していたのであった。
その苦しみの中で、イスラエルの民が神に助けを叫び求めた時、神は、モーセを遣わし、イスラエルの民をエジプトから解放したのである。が、エジプトの王パロの心がかたくなで、なかなかイスラエルの民がエジプトから出て行く事を良しとしなかったので、エジプトの国の全土にイナゴを襲来させ、エジプトの力を弱めエジプトのパロ王の気をくじくために、神がイナゴの襲来を用いられたのである。

ローラは、何もかも聖書に書いてあるイナゴの襲来の出来事の通りだと思う。
しかし、母キャロラインは、そのあと聖書に何と書かれているかも、ローラたちに話して聞かせるのである。

「これをかの地から導きのぼって、良い広い地、乳と蜜の流れる地に至らせよう」<出エジプト記第3章8節>
「まあ、どこなの、そこは、母さん?」メアリーは聞き、ローラも聞きました。
「乳と蜜が地面を流れるなんて、そんなことあるの?」ローラは、ミルクと蜂蜜がながれてベタベタしてる所を歩くことを考えると、さぞ大変だろうと思ったのでした。
母さんは、厚い聖書を膝にのせたまま 、しばらく考えていましたが 、やがて、言いました。‥...「ミルクをたくさん出す良い乳牛が、この土地に育つ草を たくさん食べたなら 、その牛はきっとたくさんミルクを出すでしょう 。そうすると、 この土地には ミルクがあまるほどになり 、"地にあふれて流れる"し、ミツバチが、この土地の野の花の蜜をみんな集めれば、 ここには"蜜があふれて流れる"でしょうからね」<恩地三保子訳>

神が、エジプトの国の奴隷状態から脱出したイスラエルの民を導いた先が、乳と蜜の流れるところ、約束の地カナンであった。
これは、神がイスラエルの民に約束された新しいカナンの土地が、神の豊かな祝福がある土地であることを表している。
どこまでも、神に信頼を置くインガルス一家。
愛の神、イエスキリストを信じる者は、希望を失うことがないのである。
彼らは、神が必ずや、自分たちの新しい安住の地を祝福してくださると信じ続けたのだった。

その年のクリスマスの素晴らしい出来事。2度目のクリスマス

「父さん、ねえ、あれ何の音?」とローラが聞くと、父さんは言いました。
「新しい教会の鐘の音だよ、ローラ」......そろって教会に入って行きました。......
ぎっしり人が座っているベンチの前に、一本の木が立っていました。.......
そして、木の枝からは、色つきの紙で包んだ紙包みがさがっているのです。....
木の下には、いろいろなものが立てかけてありました。真新しいピカピカの洗濯板、木のたらい、バターづくりに使う攪乳器、新しい板でできた橇、シャベル、干し草をすくう長柄のフォークなどがローラには見えました。......
それが何なのか教えて欲しくて、母さんの顔を見上げます。
母さんは、微笑みながらローラに答えてくれました。「あれがクリスマス・ツリーというものなのよ。きれいだと思う?」
ふたりは返事もできません。その素晴らしい木から目を離さず、ただうなずくだけでした。.......讚美歌を歌い終わると、タワーさんとビードゥルさんが、クリスマス・ツリーから色々なものをはずし、名前を読み上げました。....
その木についていたものは何もかも、誰かのためのクリスマス・プレゼントだったのです。....
誰かがピンクの蚊除け網の袋をくれました。思ったとおり、中にはキャンディが入っていて、大きなポップコーンのボールもあります。....メアリーも、やはり一つもらいました。キャリーも。....こんどは、メアリーがブルーのミトンをもらいました。そして、ローラは赤いのを。
母さんは、大きな包み紙を開けました。中には、暖かかそうな赤と茶の格子の大型のショールが入っていました。父さんは、毛のマフラーをもらいました。........
こんなクリスマスは、生まれて初めてでした。大がかりな、華やかなクリスマス、教会ぐるみの素晴らしいクリスマスです。....
ローラは、この立派で華やかなクリスマスが全部体の中へ入ってしまったようで、胸がいっぱいではち切れてしまいそうでした。
ミトンに、ちっちゃな金色のポットとカップの受け皿のついた美しい宝石箱に、キャンディにポップコーンのボールまで、みんなローラへのプレゼントなのです。
すると、出し抜けに、誰かが言いました。「これはあなたのですよ、ローラ」....
あの絹のように柔らかな小さな茶色の毛皮のケープとマフが、本当に自分のものになったかどうか確かめでもするように、ローラはかたくかたく抱きしめ続けていました。<恩地美保子訳>

さて、父チャールズが、イナゴの被害を受けたので出稼ぎに行っている時のことである。
火の輪が、まるで車輪のように転がりながらやって来た時に、ネルソンさんが手伝って危険な中から助けてくれたのだった。
母キャロラインは、「世の中で、良い隣人ほど素晴らしいものはないありませんよ。」と、ローラたちに言う。

ローラは、隣人愛ということについて、実際の体験を通して、父チャールズと母キャロラインより教えられている。
父チャールズも、母キャロラインも、できる限り隣の人や周りの人たちに親切にし、また、周囲の人たちもできる限りインガルス一家に対して、親切にしてくれていた。
お互いが愛し合うことが、彼らが厳しい開拓時代を通り抜ける為の一つの力となっていたのである。
"あなたがたは、互いに愛し合いなさい。"<ヨハネ15:17より>
これは、聖書にあるイエスキリストの大切な教えである。
また、聖書にはこう書かれているのである。
"私たちが互いに愛し合うなら、神の愛が完全に現れる。"と。<第1ヨハネ4:12より>

イナゴの襲来によって、インガルス一家が、非常に経済的に苦しかった冬、クリスマスの時に彼らを支えたのも、キリスト教会の神の家族としての人々の愛であった。

神の愛と、人々が互いに愛し合う愛が、ローラの自伝的物語には流れているからこそ、ローラの本を読む私たちを感動させ、また、夢中にさせるのではないだろうか。

ローラは、神を愛し、また、人を愛するということを本当に大切にして生きた人物だった。そのことは、同じくイエスを信じるアルマンゾと結婚した後も、夫婦ふたりで守り続けたものであった。
それが、ローラとアルマンゾのひとり娘ローズにも受け継がれていったのである。

インガルス一家は、教会に行くことができない日曜日(聖日)には、家族で日曜集会を開き、礼拝していた。
ローラとメアリーが覚えている聖句を暗唱し、母キャロラインが聖書の話や詩編から一節を読み、父チャールズのバイオリンに合わせて皆で歌っていたのだった。
インガルス一家が、まず、神を第一としていたことがよくわかる。
何よりも、彼らは、神を愛していたのである。なぜなら、神こそが、全ての源だからである。神によって、新たに生きる力が与えられ、また、人を愛する力も与えられるのだから。

「暗き雲の空にかかり、大地に影をなげるとも、
希望の光、我が行く道に照る、神は我が手を握りたまえば」
日曜ごとに、父さんは弾き、みんなは歌いました。
「神の御前に、喜び溢れ、
集う我が家の聖日は、
宮殿の集いにいやまさる、
楽しき集い、聖なる日」<恩地美保子訳>

3度目のクリスマス
吹雪の合間に、父チャールズが町に買い物に行くことになる。
しかし、彼が、家に着く前に吹雪が来てしまい、長い吹雪になってしまう。
夜になっても帰らない父チャールズのことを心配するローラ達。
母キャロラインが、吹き付ける吹雪の中、牛の乳絞りやエサやりに外へ出るが、吹き飛ばされそうになるくらい、強い風が渦を巻くように吹いている。
二日目になっても、三日目になっても、帰って来ない父チャールズ....
しかし、四日目のクリスマスの前日になって、雪まみれの毛むくじゃらの動物のような姿で父チャールズは、ローラ達が待つ家に帰って来たのだった。

ローラは、父さんが無事に帰って来るように一生懸命に祈っていたと、父チャールズに話しをしている。
ローラにとって、父チャールズが無事に帰って来たことが、この年の何よりのクリスマスプレゼントとなったのである。


世界に広がる神の祝福*大草原の小さな家2*ローラ インガルス ワイルダー

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大草原の小さな家*ローラ インガルス ワイルダー


大きな森は、人が多くなりすぎたので、ローラの父親チャールズは、新しい地、大草原へと家族で移住しようと旅立つ。
父チャールズは、自然が豊かで野生の動物たちが自由で安心して住めるような所が好きなのだった。
そこで、長い旅を続け、インガルス一家は大草原に小さな丸太小屋を作って住むことになる。ローラが6才から9才くらいの話である。
大草原は、木々のない平らな土地で草原が広がっている所である。まだ、アメリカ人が住んでなく、インディアンだけが住み、野生の動物たちが自由に歩き回っていた。

インガルス一家は、新しい土地を目指して長い長い旅をする。
毎日、毎日、馬車の旅を続け、夜には新しい場所でキャンプの準備をするのだ。
ローラたちは、いくつもの川を渡り、大きな森の小さな家があったウィスコンシン州から、インディアンテリトリーのオクラホマ州までたどり着いたのだった。
大きな森の小さな家にいた時からローラの良い友達である飼い犬ジャックも、いつも馬車の下にいて、走り続けて旅をして来たのだ。
そして、見渡す限りの大草原に、インガルス一家は家を建てて住むことになったのである。

父チャールズは、家と馬小屋を建てる為に、何日もかけ丸太を運んで来る。
そして、なるべく早く家を建てようとしている。野生の狼に襲われるのが心配なのだ。
家の基礎は父チャールズだけで作ることができたが、壁の丸太を積み上げる時には母キャロラインも共に懸命に手伝うことになる。父チャールズひとりでは、高い所に丸太を組むことができなかったのだ。
しかし、母キャロラインの足に丸太が落ち、ケガをしてしまう。
そんな時現れたのが、なぜかテネシー生まれの山猫の異名を持つ愉快なエドワーズだった。その異名の理由は、エドワーズさんが山猫の真似がうまいのか?。それとも、父チャールズがエドワーズさんが山猫に似ていると思っているのか?のどっちかである。
良き隣人であるエドワーズの助けによって、家も馬小屋も素早く建てて行くことができたのである。

大草原の小さな家の物語では、インガルス一家とエドワーズやスコットとの良き隣人関係が中心となって、ローラたちの生活は進んで行く。
ある時は、家の屋根を打ち付ける為の釘を、エドワーズが父チャールズに使って欲しいと言ってきかない。父チャールズは、エドワーズのその愛を受け取る。
しかし、ある時は、井戸を掘っている時に、溜まっていた悪いガスでエドワーズが気を失っているのを、父チャールズが命掛けで助けに行ったのだった。
そんな中で、インガルス一家にとっても、エドワーズにとっても、お互いがなくてはならない存在になって行くのである。

また、スコットさんという良き隣人がいる。
インガルス一家がおこり熱(マラリア)にかかり全員が寝込んでしまった時に、家を通りかかった黒人医師のドクター•タンが助けてくれ、その後にインガルス一家の面倒を見に通ってくれたのがスコット婦人である。
彼女は、インガルス一家だけでなく他の家々の人々を助ける為に、寝る暇もないほど働き続けていた。
インガルス一家が回復した時、母キャロラインがスコット婦人にお礼を言うと、「こんな時に助け合うのが近所付き合いってものですからね。」と言う。

父チャールズが町に買い出しに行き留守の時には、家を守っている名犬ジャックに「今にも噛みついてやるぞ。」と脅されながらエドワーズさんは、インガルス家の男手がいる仕事を、毎日手伝いに来てくれる。
したがって、毎日エドワーズさんは、ジャックに薪の山の上に追い上げられることになるのだ。そうすると、今度はジャックが、母キャロラインにエドワーズさんを守る為に家の中に押し込められることになる。したがって、毎日ジャックも、母キャロラインに家の中に押し込められたのだった。
エドワーズは、もともと、とても頼りになる隣人なのである。

父チャールズが家を留守にし、ローラもメアリーも不安で眠れない夜、母キャロラインは揺り椅子に座り、ゆっくり揺らしながら、歌い始めたのだった。

「はるかかなた、遠い地に
幸せの国、あるという
聖者はみな栄光に満ち、
日光のごとき輝きたもうとか。
ああ、天使の歌声を聞け
主には栄光、王にはー」
ローラは、いつの間にか眠ってしまったらしいのです。まばゆく輝く天使たちが、母さんと一緒に歌い始め、その、この世のものとは思えない歌に聞き惚れてうっとりしていたローラが、はっとして目を開くと、暖炉の前に立っている父さんの姿が見えました。
ローラは「父さん!父さん!」と叫びながら、ベッドから飛びだして行きました。<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>

母キャロラインが歌ったこの曲は、プラムクリークの土手での物語で、ローラとメアリーが初めて教会に行く日、みんなで馬車に乗りながら歌った曲でもある。
天国は幸せの国で、聖者(イエスを信じる者)はみな、救い主イエスの再臨とともに栄光の姿に変えられ、光の子として太陽のように輝くのだ。と聖書に書かれている。
天国には、もはや死もなく、悲しみも苦しみもないのである。
恵み深い全地全能の神と、救い主である王なるイエスこそが、永遠に栄光と賛美を受けるにふさわしい方なのである。
そして、天使たちも、神のひとり子であるイエスを崇め、神を賛美しているのである。


大草原の小さな家でのクリスマス
この年のクリスマスは雪がなく、雨が降り続いていた。
クリーク(川)の水かさは増し凄まじい音を立てて流れている。
せっかく、みんなで一緒にクリスマスのごちそうを食べようとエドワーズさんを招待していたのに来れそうもない。
母キャロラインは、たったひとりでエドワーズがクリスマスを過ごさなければならないのは気の毒だと言っている。でも、父チャールズは、今あのクリークを渡るのは命掛けだからとても無理だと言う。
ローラたちは、他の事も気にかかっていた。これではサンタクロースがクリークを渡れそうもない。
ローラたちは気が晴れないまま、うかない顔でお祈りをして眠りに着いたのだった。
ちっともクリスマスらしくないのだ。
父チャールズもいつものようにバイオリンを弾く気にならないと言う。
しかし、母キャロラインが突然立ち上がり、「ローラたちのクリスマスの靴下を下げておきましょう。何か起こるかもしれないからね。」と言い出すのである。
そして、母キャロラインは、暖炉のはしにローラとメアリーの靴下を吊るしたのだった。

クリスマスの朝、ローラが目を覚ますと、「お宅のおちびちゃんたちの為に、どうしてもクリスマスをしなけきゃな。」エドワーズのそんな声が聞こえて来た。

エドワーズさんは言うのでした。クリークの水かさがひどく増えているのを見て、サンタクロースには、とても渡れないだろうと思った、と。........
エドワーズさんは、サンタクロースは、まず、「こんにちは、エドワーズ!」と言ったと言うのでした。......
それから、サンタクロースはこう言ったのです。「あんたは、今、ヴァーディーグリス川の近くに住んでいるようだね。そのあたりで、メアリーとローラと言い名の、小さい女の子に会ったことがおありかね?」
「ええ、よく知ってますとも」エドワーズさんは答えたのです。
「実は、まことに気がかりなのだが」サンタクロースは言うのです。「ふたりとも、まことに優しい、可愛い、良い子たちなのだし、ふたりともわしを待っているに違いない。.....エドワーズ、今年一度だけでいい、どうかこのプレゼントをふたりの所まで届けてくれまいか」サンタクロースは言ったのです。
「おやすい御用です。喜んで役に立ちますよ」<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>

エドワーズさんは、そうサンタクロースに約束し、ローラとメアリーにクリスマスプレゼントを預かって来たと話したのだった。
エドワーズは、クリークで濡れて凍えた体を暖めながら、ローラたちのベッドの床に座りながらそんな話をローラとメアリーにしてくれた。
そして、母キャロラインに言われて、暖炉の靴下を見ると、キラキラ光るカップや紅白の縞をしたクリスマスのキャンディ、ハート型のお菓子、そして、ピカピカの1ペニーが入っていたのだった。
ローラとメアリーは、喜びのあまり、はしゃいで朝ご飯が食べられないほどだった。
でもそのあと、みんなでお昼も夜もクリスマスのごちそうを食べ、暖炉の前で楽しい話をしたりして過ごしたのだ。
エドワーズのメアリーとローラを愛する心によって、その年のクリスマスは本当に素晴らしいクリスマスになったのだった。
母キャロラインの言った通り、何か良いことが起こったのである。

【クリスマスの喜びの訪れ】
これはローラたちの時代よりもっと昔に本当にあった話である。東方の博士たちは、ひときわ輝く明るい星を目指して進んで行った。
彼らは、救い主イエスを探していたのだ。
東方の博士たちは、エルサレムまでたどり着くと、こう言った。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか?私たちは、東の方でその方の星を見たので、拝みにまいりました。」....
すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子イエスのおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
そして、その家に入って、母マリヤと共におられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。
そして、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
すると、主の使いが彼らの所に来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体の為にすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょう、ダビデの町で、あなたがたの為に、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。....」
すると、たちまち、その御使いと一緒に、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
「いと高き所に、栄光が神にあるように。
地の上に、平和が、
御心にかなう人があるように。」<聖書のマタイ2章、ルカ2章より。>

父チャールズと母キャロラインやエドワーズさんから、この年クリスマスにたくさんの愛を受け取ったローラは、これから年を重ねるごとに、クリスマスの本当の意味とその愛の心を母キャロラインから学ぶことになって行くのだった。

ローラ インガルス ワイルダーは、クリスマスイヴの聖夜にひとり娘のローズに、救い主イエスキリストの誕生の聖書の話をしていたと、<ロジャー・リー ・マグブライド著*新大草原の小さな家シリーズ>の本の中に書かれている。
クリスマスの良き訪れの本当の意味を、ローラは娘ローズに聖書の話から伝えたのである。



世界に広がる神の祝福*大草原の小さな家1*ローラインガルス ワイルダー

おもしろブログ特集


大きな森の小さな家*ローラ インガルス ワイルダー



今から百年以上も前の、北アメリカのウィスコンシン州の大きな森の小さな丸太小屋の家での話。ローラの一番小さい頃が描かれている。
この話の中で、父親チャールズからローラは頻繁に、飲みかけのリンゴ酒の小瓶ちゃん。と呼ばれている。それがなぜなのか?その謎は、ロジャーリーブライド著の新大草原の小さな家シリーズに書かれている、ローラの娘ローズへの話の中で解けるのである。

大きな森には、狼や熊、ジャコウネズミ、ミンクやふくろうなどの動物がたくさんいて、ローラたちインガルス一家は、父チャールズが銃で仕留めた鹿や熊などが食糧だった。

大きな森の小さな家での日曜日のローラたちは、母キャロラインから聖書のお話や、動物たちの話を聞いたり、大きな聖書の絵を見たりして過ごしていた。
ローラは、その中で、アダムが動物たちに名前をつけている絵が一番好きだった。

小さい子どもは、じっと座っているのが、誰だって苦手である。ローラも日曜日がいやになり、癇癪を起こしてしまう。
そんな時、父チャールズはローラに、おじいちゃんの小さい頃の話をおもしろおかしく話して聞かせたのだった。そうやって、ローラを励ます父チャールズ。
ローラのおじいちゃんは小さい頃に、日曜日の午後、父親が居眠りをしているすきに、家を抜け出した。
信仰問答集を読んで座ってなければならなかったが、作ってあった新しいそりに乗りたくてたまらないおじいちゃんたち三人兄弟は誘い合って、そりで滑りに行ったのだった。
三人兄弟は、たった一回滑るだけなら、父親が目を覚ます前に戻って、ずっと椅子に座っていたふりをすればいい、と考えたのだった。
しかし、そりで雪の上を滑るうちに大きな黒いぶたを拾い上げて一緒に滑ることになってしまった。
大きな声でぶたがキィキィ鳴きながら、そりで滑り降りて行くと、家の前に父親が立って、しっかり三人兄弟を見ていた。父親に、ちゃんとばれていたのである。

夜には、ローラとメアリーは、ベッドの中で眠りながら、父チャールズがバイオリンを弾きながら歌う讚美歌に耳を傾けていた。

「千歳の岩よ、わが身をかこめ
裂かれして脇の、血潮と水に
罪も汚れも、洗いきよめよ」

たぶん、父チャールズが歌っていたのは<讚美歌260番>だと思われる。
この曲は、イエスキリストの十字架による永遠の救いを歌っている。

救い主イエスは、救いの岩と言われ、私たちの心の飢え渇きを満たされる方である。
また、救い主イエスという岩の上に、人生の基盤を置く者は、人生の中で嵐が来ようと洪水が押し寄せようと決して倒れることがない。
イエスが十字架の上で、尊い血潮を流されたがゆえに、雪のように白く、すべての罪も汚れも洗いきよめられるのである。
そして、イエスを信じる者には、永遠の命が与えられる。
なぜなら、救い主イエスは、十字架にかかられ死んで葬られたが、三日目に墓の中から、よみがえられたからである。

やがて、ガチャガチャという音がして目が覚めると、母さんが、ストーブの前に立って、朝ごはんの支度をしている。月曜日の朝だ。
日曜日は、あと丸々一週間たたなきゃ、来ないのだ。<ローラインガルスワイルダー著*こだまともこ・渡辺南都子訳>
Saving grace * 日本語訳「大切なものはわずかです。」の本を書いたローラにも、こう言いたい時があったのだった。

父チャールズが毛皮を町に売りに行き、その帰りに熊に出会ってしまう。ローラとメアリーはドキドキしてその話を聞いている。
その熊は、父さんをとうせんぼして、後ろ足で立って、じっとにらんんでる。いちいち逃げてたら森からは決して出られない。父さんは、母さんやローラたちが待つ家に、なんとしても帰らなきゃいけないのだ。
父さんは覚悟を決めて、大きな重い木の枝を拾うと、熊めがけて振りかざした。と思ったら、雷が落ちて焼けた木の株だった。
「なんせ、熊に出くわさないかと恐れて、びくびくしていたもんだから、その木が熊に見えたんだろうな。」と、父さんは言う。
でも、父さんは勇敢だ。たとえ、本当の熊でも立ち向かって行ったのだから。そう、ローラは思った。
やっと、父さんが帰って来て安心したローラとメアリーは、寝る用意をして、ベッドの側に膝まずいてお祈りをした。

「主よ、私は、今、眠ります。
私のたましいは、主の御手のあります。
目覚める前に、もし、私の命が終わるなら、
主よ、私の魂はおささげします。」<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>

ローラとメアリーは、こう祈ってから安らかに眠った。
ローラたちは、生きている時も、たとえ死んで天に召される時も、愛なる主の御手の中に自分たちがあり、安心できると信じていたのである。
このお祈りは、プラムクリークの物語の中にも書かれているので、ローラとメアリーは毎日寝る前にこのお祈りをしていたのだろう。