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祈りを聞かれる神
私たち人間は、漠然と神に祈ってる。しかし、神に祈りが聞かれると本当に期待しているだろうか?
クリスチャンはよく祈りが聞かれる事を、恵みの雨が降ると言う。
一体それはどういうことか?
預言者エリヤの祈りは、力あることで知られている。
エリヤは、「主こそ神である」の意味である。
エリヤは、BC900年頃、北王国イスラエルで活躍した預言者だった。
彼は、「毛衣を着て、腰に革帯を締めた人であった」〈Ⅱ列王記1:8〉
エリヤは、北王国イスラエル最悪の王アハブと、その妻悪女イゼベルと対決し、彼らの悪事のゆえに三年半雨が降らず、干ばつとなると預言した。
その後、エリヤはヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに住んだ。そこで、主は烏にエリヤを養うように命じられた。
“幾羽の烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉を運んで来た。”〈Ⅰ列王記17:6〉
【カラスに養われたエリヤの行く末】〈Ⅰ列王記17:4-6〉
中華料理では、ツバメが唾液で固めた巣が美味とされる。
美食家だったのか、エリヤも、カラスの唾液で湿ったパンと肉を…ゲッ
今日も保健所に通報せねばなるまい。
鳥インフルエンザ警戒警報発令 !エリヤを隔離せよ・
これじゃー保健所は、主の預言者たちで一杯である…。
これじゃー保健所は、主の預言者たちで一杯である…。
何度も言うけどそんなことはメッゲナイト!そんなことは絶対にないのだった。だから、真剣に書くと
エリヤが干ばつを預言して三年六ヶ月経った後、エリヤは再び、アハブ王と悪女イゼベルの前に現れた。
宮殿のすぐ側に野菜畑が欲しいと言うアハブ王の我がままを叶える為に、悪女イゼベルが、偽証と殺害によって、ひとりの民からブドウ畑を盗んだのだ。
悪女イゼベルはまた、イスラエルの国に持ち込んだ偽りの神、バアル礼拝のゆえに多くのイスラエルの神の預言者を殺害したのだった。
預言者エリヤは、イスラエルの民が惑わされないように悪女イゼベルと対決し、真実な神を明らかにした。 エリヤは、イスラエルのカルメル山に、イスラエルの全国民と、イゼベルに従う偽預言者を集め、そして言った。
「もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」
そこでエリヤは、二頭の雄牛を用意させた。そして、バアルの預言者とエリヤが一頭ずつ取り、それぞれが神の名を呼び、どちらの神が火をもって答える真の神なのかを対決したのである。
バアルの預言者達は、朝から昼までバアルの名を呼んだが、何の声もなく、答える者もなかった。そこで彼らは、踊り回ったが、やはり何の答えもなかった。
そこで、エリヤは、お前たちの神は耳が遠いのか?と皮肉ってみせた。
「もっと大きな声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているのか、席をはずしているのか、旅に出ているのだろう。もしかすると、寝ているのかもしれないのだから、起こしてみたらよかろう。」
バアルの預言者達は、ますます大きな声で呼ばわり、彼らの慣わしに従って、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけて祈ったが、やはり何の声もなく、答える者もなく、注意を払う者もなかった。
しかし、エリヤが、イスラエルの神、主の名を呼び求めた時、主の火が降って来て雄牛を焼き尽くした。
その結果、イスラエルの民は、「主こそ神です。主こそ神です。」と真の神にひれ伏したのである。
イスラエルの神が、エリヤに与えられた勝利によって、イスラエルの民は、イスラエルの神こそ自分たちが従うべき主であることを、再確認したのである。
その後、エリヤが祈ると、天は雨を降らせ、地は実を実らせたのである。
エリヤの祈り方は、少し変わっていた。
エリヤは地にひざまずいて自分の顔を膝の間にうずめて祈ったのだ。これは昔イスラエルでは女性が出産する姿だったらしい。
エリヤの祈りは、神のみ言葉に従い、祈りの力を原動力とした創造的なものだったのである。エリヤは産みの苦しみをしたのである。
エリヤが祈ると、海から人の手の平ほどの雲が上って来た。しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい雨となった。
神は、エリヤの預言のことばと、祈りと、信仰告白によって、神御自身の言葉を実現されたのだった。
義人の祈り
真の神を信じていたエリヤの祈りには、大きな力があった。
“義人の祈りは働くと、大きな力があります。
エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六ヶ月の間、地に雨が降りませんでした。
そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。”〈ヤコブ4:16-1〉
義人とは、神に罪赦された者のことである。
イエスキリストは、私たちの罪を赦すために十字架についてくださった。そのイエスを信じる者は義人とされる。
イエスキリストを信じる者の祈りは、神に聞かれ、大きな力があるのである。