2014年4月6日日曜日

世界に広がる神の祝福*大草原の小さな家5*ローラ インガルス ワイルダー

おもしろブログ特集
長い冬*ローラ インガルス ワイルダー


5*長い冬
<長い冬ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>の本の中に、ローラから来た「親愛なる日本の子供たちに」というローラが自ら書いた手紙がのっている。
最初に日本で、ローラの本長い冬を訳した石田アヤさんが、ローラに手紙を書き、日本の子供たちへのメッセージをもらってくれたものらしい。
その中には、やはり、神と共にアメリカの開拓時代を生き抜いたローラならではの誠実な言葉が書かれていると思う。

長い冬の物語は、ローラが14才の頃の話である。

この物語の中で、ローラが「鳥の翼が私にあれば」と聖書の詩編の聖句を思い出している。これは、ダビデが書いた詩編だと思う。”ああ、私に鳥の翼があったなら、自由に飛んでいけるだろうに...〃
長く厳しい冬が来る兆候があり......ジャコウネズミの巣は、例年になく分厚く厳しい冬に備えている。父チャールズは、もし、自分が鳥だったら、さっさとここから逃げ出すだろうと言う。
また、親切なインディアンが、凄い雪が何ヵ月も続くと警告しに来る。
そこで、父チャールズは、家族で町に引っ越すことを決心する。
ローラには、父さんの言うことがなんとなくわかったのだった。
穏やかな天候の空の下に潜んでいる不穏な感じ、それが父チャールズにもローラにもわかったのだ。
もし、鳥の翼が自分にあるなら、飛んでいきたい。それが、その時のローラの思いだった。
ローラはまだ小さかったから、聖書の詩編の言葉を使うことによって、自分の心の中や思いを表現したのだろう。
聖書の詩編には、私たち大人とっても、自分に表現しにくいような心の中や感情にぴったり来るものがよくある。人は、自分の感情を表現できるだけでも楽になる時がある。
また、昔から同じようなことで悩んだり、苦しんだりした人物がいてるだけでも、励まされるものである。

年寄りの親切なインディアンの忠告により、長く厳しい冬に備えて、父チャールズは町に引っ越しすることにする。
町に落ち着いた時、学校帰りの生徒を見て母キャロラインは、ローラとキャリーを次の日から学校に行かせることにする。
知らない人に会うのが怖くて学校に行きたくないローラは、メアリーは学校の先生になりたがっていたのに、代わりに自分が学校の先生になる為に学校に行かなくちゃならないなんて不公平だと思いつつも、恐れてはならないと勇敢に立ち向かうことを決意する。

緊急して前の晩よく眠れなかったローラとキャリーが学校に着くと、ローラに気がついたひとりの少年が明るい笑顔でローラにボールを投げて来た。キャップ・ガーランドだ。ボールがカーブしながらローラの所へ飛んで来る。ローラは、思わずナイスキャッチ。すると、「わぁー!」と男の子たちから歓声が上がった。
話しかけてくれた女の子たちと一緒に教室に入ると、先生が声をかけてきた。先生の名はフロレンス・ガーランド、さっきボールを投げて来た少年キャップ・ガーランドの姉さんだった。
先生は、授業を始める前に聖書を開くと読み始めた。その日の朝は、詩編23編だった。

ローラはもちろんそれを全部覚えていた。でも、23編のことばをもう一度聞けるのはとてもうれしっかった。
最初の「主は羊飼い。私には何も欠けることがない」から、最後の「命のある限り、恵みと慈しみはいつも私を追う。主の家に私は帰り、生涯そこにとどまるであろう。」まで。
読み終わると先生は聖書を閉じ、生徒たちは教科書を開いた。授業が始まったのだ。
ローラは、日ごとに学校が好きになっていった。

ローラは、学校に行った初日に詩編23編の聖書の御ことばを、もう一度聞けて良かったと書いているが、再びローラは、この聖書の御ことばを大草原の小さな町の中で書いている。

<聖書の詩編23編>
"主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私と共におられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え、私の頭に油を注いでくださいます。
私の杯は、溢れています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。"

ローラは、いつも父チャールズが牛の世話や馬の世話をどれほど愛情を込めてやっているのかを、小さい頃から目にして育って来た。
ローラが大きくなってからは、ローラ自ら牛や馬と親しみ、楽しみながら世話をしていた。
(聖書では、救い主イエスを羊飼いにたとえ、イエスを信じる者が羊にたとえられている。)
小さな頃からローラには、羊飼いである主が、深い愛情と繊細な気配りをもって私たちという羊の面倒をみてくださっていることが、分かりやすかったのではないだろうか。
羊は、弱い動物で、一度転ぶと自分ひとりでは立つこともできない。
私たちは、羊のように弱くとも、そんな時こそ主によって強くされる。
だから、私たちは勇敢になれるし、どんな時でも主によってリラックスできるのである。

ローラもキャリーも月曜日が待ち遠しいほどに学校が好きになっていた。
ところが、ある日授業を受けている時だった。学校の校舎を嵐のようなもう吹雪が打ちつけたのだ。
フォスターさんと言う男の人が迎えに来てくれたので、一緒に先生も生徒も家に帰ろうとするが、吹雪の中でまったく前が見えず、迷子になりそうになってしまう。その時、ローラの肩が町の本通りの一番北の端にある建物の角にかろうじてぶつかった。この先には、雪を避けることができない大草原が広がっているだけだ。
ローラが知らせる為に叫んだ声を聞きつけて、ホテルに避難し、なんとかみんな助かったのだった。
これが、厳しく長い冬の始まりだった。

さて、町の北にロイヤル・ワイルダー飼料店があった。店の奥では、アルマンゾ・ワイルダーがそば粉のホットケーキを焼いていた。
アルマンゾは、母親が腕前を認めるほどにホットケーキを焼くのがうまくなっていた。
焼き上がったホットケーキと、塩づけ豚肉と、熱いコーヒーのにおいが漂っていた。
ホットケーキに糖蜜をかけて食べながら、二人はインディアンが言った厳しい冬のことを話していた。
「もし、汽車が止まってしまったら、俺たちは春まで持ちこたえられないぞ。」
「もし、汽車が動かないことになったら大変だぞ。町の人たちが石炭や小麦粉や砂糖を買いに来てもすぐになくなってしまうよ。」
「でもいいか、僕の種小麦は何があっても絶対に手をつけさせないからな。」
そんな話をしながら、アルマンゾはホットケーキをひっくり返していた。
「ところで、ホットケーキはもう焼けたかい?」とローヤル。
アルマンゾはローヤルの皿にホットケーキをのせながら言った。「21枚目だぞ。」
「食べているうちは、俺たちは皿洗いをしなくていいからな。」と、ローヤルは言った。

揺り椅子に座りながら、ローラとメアリーが大学の話をしていた時だった。
急に太陽が暗くなり、ゴーという音と共に吹雪が襲ってきて 家がぐらぐらと揺れた。
父チャールズは、危機一髪で家に帰って来ることができた。その夜は厳しい寒さが家の中まで押し寄せた。まるで小さな町は、広大な大草原の中で孤立し、白い雪の世界に閉じ込められてしまったみたいだった。

猛吹雪が続き、外は零下40度の日が続き...。学校や、牛や馬の家畜の世話をするために家の外に出ただけでも、猛吹雪で迷うと命の危険がある。
そんな生活の中で、父チャールズはバイオリンで讚美歌を弾き、ローラたちはバイオリンにあわせて、午後はずっと賛美歌を歌った。

「はるかかなたに
仰ぎ見る御国よ......」
「イエスは辛いこの世の岩
辛いこの世、ものうい世
イエスは辛いこの世の岩
嵐の時の隠れがよ」
「嵐よ、吠えろ
吠えて、のち止む
我ら、嵐を乗り越えて
やがて着くのだ。幸せの地へ」<谷口由美子訳>

凍りつくような猛吹雪の嵐に負けじと、この世の人生のいかなる荒波も乗り越えさせ、嵐からも守られる救い主イエスを賛美するローラたち。賛美をするうちに、嵐をも乗り越えることができる勇気が湧いて来るからだろう。賛美とは、そういうものである。
イエスキリストは、救いの岩として聖書に書かれている。
海での船の航海の時、荒波や嵐から船が流されない為に、イカリをおろす。救い主イエスキリストという堅固な岩に結ばれている者は、何があっても流されることがない。
また、山や森の中で嵐が来ると、小鳥や少動物は大木や岩の陰に身を隠すことによって守られる。イエスキリストにある者たちは、いかなる嵐が来ようと、救いの岩であるイエスキリストによって守られるのである。
ローラたち一家は、はるかかなたの御国を仰ぎ見た。御国とは、Kingdom のことで、救い主イエスが王である国である。これが、天国の本当の意味である。
ローラたちは、やがて、天にある幸せの御国に安らかに住むことを思いつつ、この現実の厳しい状況の中でも、今の新しい地でも幸せである為に、勇気と忍耐をもって、日々戦い抜いたのである。

この時、他にもう1曲歌ったとローラが書いている母さんお気に入りの讚美歌は、「大草原の小さな家」「プラムクリークの土手で」「シルバーレイクの岸辺で」の物語の中で登場する讚美歌だと思われる。その歌を「プラムクリークの土手で」の物語の中では、ローラが初めて教会に行く時に家族で歌ったのだった。

猛吹雪で汽車が止まってしまい、町の店では食料品や燃料の値段がつり上がり、インガルス一家には買うだけの余裕がない。それでもメアリーが大学に行く費用には手をつけたくないインガルス一家。
そんな中で、グッドアイディアを出し合い、必要な物が欠けていても見事に父チャールズ始めインガルス一家はのりきって行く。
ストーブの石炭が底を着いた時は、干し草を固くよじり結び目を作って木の棒のようになった物をストーブの燃料にする父チャールズ

「干し草の棒とは!」母さんが声をあげて笑った。「次は何を考えつくのやら。チャールズ、あなたは道さがしの名人だわ」
「おまえこそ、その道の名人だよ」父さんは母さんに微笑みかけた。<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

今度は小麦粉が底を着いた。父チャールズが店に買いに行くが、小麦粉はもはやなかった。そこで、粉にひいていない粒のままの小麦を買って来る。

「....この小麦をどうやって料理するか考えるとしよう。どうするね、煮るとか?」....
「粉ひきならありますよ」そう言って、母さんは戸棚の上に手を伸ばし、コーヒーひきをおろした。....そして、腰をおろすと、...ハンドルをぐるぐる回し始めた。....
父さんがたずねた。「これでパンが焼けるかな?」
「もちろん、焼けますよ。でも、お昼にパンを焼くなら、このままひきつづけていなくてはだめですよ」<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

灯油ランプがつけれなくなった時は、母キャロラインがボタンランプを思い着く。

母さんは、....ボタンを包むように布を持ち上げてまとめ、上を糸できっちり縛った。....
それから、ほんの少しの車軸油を上の方までこすりつけてから、受け皿の油の上に、包んだボタンを置いた。....
その小さな炎は、まるで暗闇の中の一本のろうそくの炎のようだった。
「キャロライン、おまえは素晴らしいよ。ほんのわずかな明かりだが、あるのとないのとは大違いだ」父さんがほめちぎった。<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

凍りついた機関車を出そうとして、会社が春まで除雪作業をあきらめ、機関車が完全に氷の中に取り残された。
町には食糧もなく、まきや石炭も底をついて行く。
その中でも、希望は神にあると、インガルス一家は力強く讚美歌を歌う。
母キャロラインが柔らかな声で歌い始めるとローラも一緒に歌い出す。次にキャリーが歌うと、そこにメアリーのきれいなソプラノの声が加わっていく。

「おお、カナン、輝くカナンよ。私は向かう......
ああ、嵐のヨルダン川の岸辺に立ち、あこがれの目を向ける。
カナンのきらびやかな楽園に、私の大切なものがあるところ
ああ、カナン、輝くカナンよ
私は向かう、カナンの幸せの国に.......」<長い冬*谷口由美子訳>

カナンの地は、神による新しい約束の地を指す。新しい天と地、すなわち天国を意味する。
ローラが、初めて教会に行った時に歌った黄金のエルサレムも、新しい約束の地カナン、天国を指している。
これは、アブラハムから始まったイスラエルの民が、新しい約束の地カナンの地を目指したことに由来する。
神が、イスラエルに約束された新しい地は、神の祝福がとても豊かな所である。
新しい安住の地を探し、希望を決して失わず、忍耐し続けたインガルス一家の力の源は、救い主イエスキリストであった。
なぜなら、イエスキリストの十字架の御業を通して、永遠の命が与えられ、新しい約束の地へと、私たちは入る者とされるからである。

アルマンゾ・ワイルダーは、ローラの父チャールズが店に隠してあったアルマンゾの種小麦を買おうとしたことから、町の人々の困窮した生活を知る。
そこで、話に聞いた町の南の方角で小麦を収穫した男のところへと行き、命がけで町の人々の為に食糧となる小麦を手に入れようと思案する。
アルマンゾとキャップ・ガーランドは、吹雪の合間の晴れた日を狙い、小麦を買いに町から見渡す限り雪の草原へと、馬に乗って出かけて行く。

"わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友の為に命を捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません。"<ヨハネの福音書15:12.13>
この厳しく長い冬を乗り切る為には、アルマンゾは何ひとつ不自由していなかった。
アルマンゾは、純粋に町の人々の命を慈しむことによって、自分自身が命がけの危険を犯してでも、人々の食糧を確保しに行くことを考えついたのである。

長い冬の厳しさは、極限を迎え、父チャールズは家族を励まそうと家族に本を読む。が、ローラは集中力さえなくなっていて本の内容が耳に入らない。そこで、ローラは、父チャールズにバイオリンを弾いて欲しいと頼むのだが、弾いてはみたものの父チャールズの手は、厳しい寒さの中での作業のせいで、バイオリンを弾くことができない。
そんな時、姉のメアリーが、妹のグレイスを膝に抱き、こんな歌を歌っている。
「あの美しい国の歌を聞かせよう
たましいの住むところ
吹雪とは無縁の、日の輝くかの地
永遠の時が静かに流れていく」<谷口由美子訳>

冬が長く、なかなか春が来ない中で、四日間の猛吹雪に見舞われる。
アルマンゾとキャップの生死さえ確認できない猛吹雪に、父チャールズでさえ限界を迎えそうになる。

いきなり、父さんは北西の方向に向かって、握りこぶしをつきたて、震わせた。
「吠えろ!吹きやがれ!吠えろ!」父さんは叫んだ。「みんな、ここで無事にいる。!やられるもんか!冬中暴れまくったところで、いずれおまえを打ち負かしてやる。!春が来るまで、ここで頑張るぞ!」....「キャロライン、すまない、馬鹿なことをした。急に風が生き物のように見えて、わしらを捕まえに来たような気がしたんだよ」<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

バイオリンが弾けたらこんなに辛くはないのにと言う父チャールズの言葉に、ローラはみんなで歌うことを提案する。
何曲か歌った(聖書の使徒の働きからヒントを得たアメリカ民謡など)後、
父チャールズがこの曲を歌い出す。

「大いなる主、限りなく賛美されよ
神の都の、聖なる山で」 <谷口由美子訳>

すると、今度は、母キャロラインがこの曲を歌い出したのだった。

「もしもわたしが、空の国に住めるなら
どんな恐れもかなぐり捨てて、涙もさっと振り払う」<谷口由美子訳>

この長い冬、インガルス一家の心を支えたのは、神への賛美であり、賛美歌を歌う中で与えられた、聖書の御言葉の約束に信頼する信仰だったのではないだろうか。
インガルス一家は、長い冬を、神を賛美しつつ乗り越えたのである。

その晩、ローラとメアリーは、アルマンゾとキャップに神の御恵みがあり、ふたりが無事であるようにと祈ったのだった。

神は、祈りをきかれる方である。
私たちが心を合わせて祈るなら、神はその祈りに必ず答えてくださる。
"あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたの欲しいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたの為にそれがかなえられます。"<ヨハネによる福音書15:7>
この日、きっと町中の人たちが、ふたりの無事を祈ったにちがいない。
アルマンゾとキャップが無事だっただけでなく、町の人々が春まで持ちこたえるだけの小麦を、ふたりは手に入れて帰って来たのである。

救い主イエスキリストが自分の命を捨ててまでも、十字架にかかられたのは、人々を死と死の力を持つ暗闇の力から解放する為であった。
それほどまでに人々を愛された神は、アルマンゾとキャップの命がけの愛を通して、町の人々を飢えという死の力から解放し、新しい春という季節を迎えることができるようにされたのだった。
ローラとメアリーが祈ったように、主の慈しみと恵みとがアルマンゾとキャップの上にあったのである。
"主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない....いのちのある限り、恵みと慈しみとがわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯そこにとどまるであろう。"<長い冬*ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>

五月のクリスマス
春になり、やっと待ち望んでいた汽車が大草原の小さな町に到着する。
父チャールズが、長い間雪に閉じ込められていた汽車の中から持って帰って来たクリスマスの樽の中には、たくさんのクリスマスプレゼントが入っていた。
その中から、クリスマスの七面鳥とクランベリーが見つかったので、ボーストご夫妻と共に五月のクリスマスをすることになる。
テーブルには、七面鳥にクランベリーのジェリー、白い小麦粉で作ったパンに茹でたじゃがいもにバター、ケーキやパイまでそろっていた。

ごちそうが山盛りになったテーブルに、みんながそろってつくと、母さんが父さんを見た。みんなは頭をたれて、お祈りをした。
「神よ、あなたの溢れるお恵みに感謝します。」
父さんはそれしか言わなかったけれど、それだけで全てを表しているようだった。....
父さんは言った。...「長い冬だったなあ」
「実に厳しい冬だった」とボーストさん。
「でも、こうしてみんな元気に乗り切ってこれたなんて、奇跡ですわね」ボーストさんの奥さんがしみじみと言った。.......
春が来たのだ。ほかほかと日が照り、そよ風が柔らかく吹き、草が緑に萌えていく。
<ローラ インガルス ワイルダー著*谷口由美子訳>


【黄金のエルサレム・幸せの国・天の国・カナンの地などが書かれている聖書の黙示録】
インガルス一家が、長い冬の間、歌った讚美歌のモチーフとなっている新天新地・黄金のエルサレム・カナン・幸せの国などが書かれている聖書箇所は<黙示録21.22章>である。
"また私は、新しい天と地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。........
神ご自身が彼らと(イエスを信じる者)と共におられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。
すると、御座に着いている方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」
.......都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。.......その城壁は純金でできていた。........
御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。
それは神と小羊(イエス)との御座から流れ出て、都の大通りの中央を流れていた。
川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。
また、その木の葉は諸国の民をいやした。...."<黙示録21.22章より>

(長い冬は別のversion でも当ブログ2014.2.21日*長い冬*に掲載)

*ホームページ紹介*最後のアダムイエスキリスト*























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