2014年4月4日金曜日

世界に広がる神の祝福*大草原の小さな家3*ローラ インガルス ワイルダー

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プラム・クリークの土手で*ローラ インガルス ワイルダー


インガルス一家は、大草原の小さな家を出て、プラムクリークの土手に扉が付いている不思議な家に住むことになる。
この物語は、ローラが8才から10才くらいの頃の話である。(もしくは7才くらいの頃の説もあるらしい。)
大草原の小さな家のインガルス一家は、インディアン居留地にあった為に追い出されてしまったのだ。

この物語の中では、ローラが両親との約束を破って、プラムクリーク(川)でひどい目にあった、小さい頃のローラの大失敗が書かれている。
学校で教師を務め、夫 アルマンドの良き妻であり、ひとり娘 ローズの良き母であったローラにもそういう時があったのだ。
プラムクリークは、ローラのイタズラシーズン真っ盛りの物語である。
また、プラムクリークの土手の家では、大きな牛ピートのせいで、家の中にいながら、なぜか星空の下で寝ることになる。

この物語の中では3回クリスマスが出てくる。その一度目のクリスマス。
ローラの母キャロラインのクリスマスの心
ローラは、クリスマスのサンタクロースについて、母キャロラインが教えてくれたことをこの本に書いている。

母さんは、そのあと、サンタクロースについて、もうひとつ新しいことを教えてくれました。サンタクロースはどこにでもいるだけでなく、いつでもいるのだということを。
誰でも、自分のことより人の ためをまず第一に思う気持ちになれる時、いつもそこにはサンタクロースがいるのです。
クリスマス・イブというのは、みんなが人のためを思う時なのです。その夜こそは、だれもかれも、みんな自分勝手を忘れ、他の人たちの幸せを願うからこそ、サンタクロースがあらゆる所に現れるのです。母さんは、そう話しました。
「もし、誰もかれもが、いつでも、他の人みんなの幸せを願っていたら、いつでもクリスマスなの?」ローラが聞くと、母さんは言いました。「そうですよ、ローラ」<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>
クリスマスに、イエスは、エルサレムのダビデの町で生まれた。
それは私たちを、全ての悩み、苦しみ、飢え渇きなど、今生きている中で起きる問題から救い出すばかりではなく、また、死の苦しみや恐れからも救い出すためである。
クリスマスは、その神の愛に心を留め、感謝する時なのである。だからこそ、他の人を愛する愛が世界に満ちるのだ。
クリスマスのサンタクロースを通して、母キャロラインはローラたちに、人を愛するということを教えたのだった。
素晴らしいのは、愛があるところが、いつでもどこでもクリスマスである。という母キャロラインの教えである。

そして、ローラは、小さい頃に、母キャロラインから学んだ、人を愛するクリスマスの心を、生涯大切にして生きたのである。

ローラとメアリーのお祈り
この物語の中で、ローラとメアリーが、クリスマスイブにお祈りをする。

「主よ、私は、今、眠ります。
私のたましいは、主の御手の中にあります。
目覚める前に、もし、私の命が終わるなら、
主よ、私の魂はおささげいたします。
そして、とうさん、かあさん、キャリー、そして、みんなを祝福したまえ。
私をいい子にさせたまえ、いつまでも、いつまでも、アーメン」
<ローラ インガルス ワイルダー著*恩地三保子訳>
ローラとメアリーは、こう祈ってから、安らかに眠った。
キリスト教は、天国へ入る道が、はっきりしている。
生前の行いによるのなら、天国に入れるのかどうかが、自分で自信を持つことができないのではないだろうか?
キリスト教では、天国に入れる条件は、イエスキリストを信じているのかどうかだけである。すなわち、救いは信仰によるのである。
ローラとメアリーの祈りは、イエスキリストを信じているから、天国に行けることことを確信している祈りなのである。

大きな森の小さな家の物語の中でも出てくるので、ローラたちは、小さい頃から眠る前には、必ず、このお祈りをしていたようである。

ローラとメアリーの初めての教会
ローラとメアリーが初めて教会に行くシーンがこの物語の中にある。
ローラは、家族みんなでこの歌を歌いながら、教会に向かった。

「はるかかなた、遠い地に
幸せの国、あるという。
聖者はみな栄光に満ち
日光ごと輝きたもうとか」<恩地三保子訳>
天国では、みんなが幸せで、聖者すなわち、救い主イエスを信じる者たちは、光の子どもとして、太陽のように輝くのである。と聖書に書かれている。
つまり、天国には、暗闇がなく、もはや、死も、悲しみも、苦しみもない、幸せな国である。と歌われているのである。
教会に着いた小さいローラは、日曜学校で、聖書の中でモーセのお話を聞き、暗唱聖句の宿題(聖書の御言葉を覚えて来ること)を出される。ローラは、もっと長い聖句もとっくに知っていると不満だったようだが、その聖句は、たった三つの言葉、"God  is love"( 神は愛である。)だったと言われている。
ローラは短い聖句に不満だったと子どもの頃の思いをユニークに自然体で書いているが、ローラの人生を思い浮かべる時、神御自身が暗唱聖句の時を通してローラに、この聖書の言葉を与えたかったのだと思うのだが…。

ローラが日曜学校で聞いたと書いている聖書のモーセの話
昔、エジプトの国で行った出来事。エジプト王は、エジプトの国にイスラエルという民族が増え広がり、力を持つのを恐れて、イスラエル人を奴隷とし、イスラエル人の女性が子どもを男の子を産むと、殺していたのだった。
モーセの母親は、モーセを産んだ時殺されることを恐れて、瀝青と樹脂を塗って沈まないようにしたパピルス製のかごにモーセを入れ、ナイル川の葦の茂みに置いた。
男の子の姉が、どうなるかを知ろうとして、その男の子の行方を、見守っていた。
ナイル川のその場所は、エジプト王パロの娘がよく水浴びをしている所だった。
パロの娘は、葦の茂みにかごがあるのを見て、召し使いをやってそれを取って来させた。
中を開けて見ると、子どもがいた。なんと、それは男の子で泣いていた。
彼女は、その子がイスラエル人の子どもだと気づいたが、憐れに思い、自分の子として育てることにしたのだった。
その時、男の子の姉が王の娘の所に行き、「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるために、私が行って乳母を呼んでまいりましょうか。」と言った。
パロの娘が「そうしておくれ」と言ったので、男の子の姉は母親を呼んで来た。
パロの娘は彼女に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」それで、その女(母親)は、その子を引き取って、乳を飲ませた。
その子が大きくなった時、女はその子をパロの娘の所に連れて行った。その子は王女の息子になった。
そこで、彼女は、男の子をモーセと名づけた。<出エジプト2章より>

この日、日曜礼拝の中で皆が、歌った?いや歌おうとしたのは、「黄金の地、エルサレム」だと書いてある。これは、今でいう「黄金のエルサレム」という曲かもしれない。
ローラは、その曲をわずかな人しか知らなかったので、席に着いた時にホッとしたと書いている。
ちなみに、「黄金のエルサレム」とは、新天新地、すなわち天国のことを指している。

ある日、イナゴの襲来の時を向かえてしまう。
イナゴがあちこちに卵を産み付け、来年の収穫さえ望みがないほどである。

そこで、ある日曜日、母キャロラインが、昔にあったイナゴの襲来の話<旧約聖書出エジプト記10:14.15>の話を、ローラたちに読んできかせる。

"いなごの大群はエジプト全土を襲い、エジプト全域にとどまった。実におびただしく、こんないなごの大群は 、前にもなかったし、このあともないであろう 。
.それらは全地の面をおおったので、地は暗くなった 。それらは、地の草木も、雹を免れれた木の実も、ことごとく食い尽くした。エジプト全土にわたって緑色は木にも野の草にも少しも残らなかった。"<出エ10:14.15>

この聖書の話は、モーセが率いるイスラエルの民が、エジプトの奴隷状態から脱出し、約束の地カナンを目指して、エジプトの国から出て行く前に、神がエジプトの国で起こしたイナゴの襲来の出来事である。
当時のエジプト王は、エジプトの国にイスラエル人が多くなりすぎるのを恐れて、イスラエル民族を奴隷とし、苛酷な労働をさせた。そればかりではなく、イスラエル人の女性が子どもを産むたびに、それが男の子なら殺していたのであった。
その苦しみの中で、イスラエルの民が神に助けを叫び求めた時、神は、モーセを遣わし、イスラエルの民をエジプトから解放したのである。が、エジプトの王パロの心がかたくなで、なかなかイスラエルの民がエジプトから出て行く事を良しとしなかったので、エジプトの国の全土にイナゴを襲来させ、エジプトの力を弱めエジプトのパロ王の気をくじくために、神がイナゴの襲来を用いられたのである。

ローラは、何もかも聖書に書いてあるイナゴの襲来の出来事の通りだと思う。
しかし、母キャロラインは、そのあと聖書に何と書かれているかも、ローラたちに話して聞かせるのである。

「これをかの地から導きのぼって、良い広い地、乳と蜜の流れる地に至らせよう」<出エジプト記第3章8節>
「まあ、どこなの、そこは、母さん?」メアリーは聞き、ローラも聞きました。
「乳と蜜が地面を流れるなんて、そんなことあるの?」ローラは、ミルクと蜂蜜がながれてベタベタしてる所を歩くことを考えると、さぞ大変だろうと思ったのでした。
母さんは、厚い聖書を膝にのせたまま 、しばらく考えていましたが 、やがて、言いました。‥...「ミルクをたくさん出す良い乳牛が、この土地に育つ草を たくさん食べたなら 、その牛はきっとたくさんミルクを出すでしょう 。そうすると、 この土地には ミルクがあまるほどになり 、"地にあふれて流れる"し、ミツバチが、この土地の野の花の蜜をみんな集めれば、 ここには"蜜があふれて流れる"でしょうからね」<恩地三保子訳>

神が、エジプトの国の奴隷状態から脱出したイスラエルの民を導いた先が、乳と蜜の流れるところ、約束の地カナンであった。
これは、神がイスラエルの民に約束された新しいカナンの土地が、神の豊かな祝福がある土地であることを表している。
どこまでも、神に信頼を置くインガルス一家。
愛の神、イエスキリストを信じる者は、希望を失うことがないのである。
彼らは、神が必ずや、自分たちの新しい安住の地を祝福してくださると信じ続けたのだった。

その年のクリスマスの素晴らしい出来事。2度目のクリスマス

「父さん、ねえ、あれ何の音?」とローラが聞くと、父さんは言いました。
「新しい教会の鐘の音だよ、ローラ」......そろって教会に入って行きました。......
ぎっしり人が座っているベンチの前に、一本の木が立っていました。.......
そして、木の枝からは、色つきの紙で包んだ紙包みがさがっているのです。....
木の下には、いろいろなものが立てかけてありました。真新しいピカピカの洗濯板、木のたらい、バターづくりに使う攪乳器、新しい板でできた橇、シャベル、干し草をすくう長柄のフォークなどがローラには見えました。......
それが何なのか教えて欲しくて、母さんの顔を見上げます。
母さんは、微笑みながらローラに答えてくれました。「あれがクリスマス・ツリーというものなのよ。きれいだと思う?」
ふたりは返事もできません。その素晴らしい木から目を離さず、ただうなずくだけでした。.......讚美歌を歌い終わると、タワーさんとビードゥルさんが、クリスマス・ツリーから色々なものをはずし、名前を読み上げました。....
その木についていたものは何もかも、誰かのためのクリスマス・プレゼントだったのです。....
誰かがピンクの蚊除け網の袋をくれました。思ったとおり、中にはキャンディが入っていて、大きなポップコーンのボールもあります。....メアリーも、やはり一つもらいました。キャリーも。....こんどは、メアリーがブルーのミトンをもらいました。そして、ローラは赤いのを。
母さんは、大きな包み紙を開けました。中には、暖かかそうな赤と茶の格子の大型のショールが入っていました。父さんは、毛のマフラーをもらいました。........
こんなクリスマスは、生まれて初めてでした。大がかりな、華やかなクリスマス、教会ぐるみの素晴らしいクリスマスです。....
ローラは、この立派で華やかなクリスマスが全部体の中へ入ってしまったようで、胸がいっぱいではち切れてしまいそうでした。
ミトンに、ちっちゃな金色のポットとカップの受け皿のついた美しい宝石箱に、キャンディにポップコーンのボールまで、みんなローラへのプレゼントなのです。
すると、出し抜けに、誰かが言いました。「これはあなたのですよ、ローラ」....
あの絹のように柔らかな小さな茶色の毛皮のケープとマフが、本当に自分のものになったかどうか確かめでもするように、ローラはかたくかたく抱きしめ続けていました。<恩地美保子訳>

さて、父チャールズが、イナゴの被害を受けたので出稼ぎに行っている時のことである。
火の輪が、まるで車輪のように転がりながらやって来た時に、ネルソンさんが手伝って危険な中から助けてくれたのだった。
母キャロラインは、「世の中で、良い隣人ほど素晴らしいものはないありませんよ。」と、ローラたちに言う。

ローラは、隣人愛ということについて、実際の体験を通して、父チャールズと母キャロラインより教えられている。
父チャールズも、母キャロラインも、できる限り隣の人や周りの人たちに親切にし、また、周囲の人たちもできる限りインガルス一家に対して、親切にしてくれていた。
お互いが愛し合うことが、彼らが厳しい開拓時代を通り抜ける為の一つの力となっていたのである。
"あなたがたは、互いに愛し合いなさい。"<ヨハネ15:17より>
これは、聖書にあるイエスキリストの大切な教えである。
また、聖書にはこう書かれているのである。
"私たちが互いに愛し合うなら、神の愛が完全に現れる。"と。<第1ヨハネ4:12より>

イナゴの襲来によって、インガルス一家が、非常に経済的に苦しかった冬、クリスマスの時に彼らを支えたのも、キリスト教会の神の家族としての人々の愛であった。

神の愛と、人々が互いに愛し合う愛が、ローラの自伝的物語には流れているからこそ、ローラの本を読む私たちを感動させ、また、夢中にさせるのではないだろうか。

ローラは、神を愛し、また、人を愛するということを本当に大切にして生きた人物だった。そのことは、同じくイエスを信じるアルマンゾと結婚した後も、夫婦ふたりで守り続けたものであった。
それが、ローラとアルマンゾのひとり娘ローズにも受け継がれていったのである。

インガルス一家は、教会に行くことができない日曜日(聖日)には、家族で日曜集会を開き、礼拝していた。
ローラとメアリーが覚えている聖句を暗唱し、母キャロラインが聖書の話や詩編から一節を読み、父チャールズのバイオリンに合わせて皆で歌っていたのだった。
インガルス一家が、まず、神を第一としていたことがよくわかる。
何よりも、彼らは、神を愛していたのである。なぜなら、神こそが、全ての源だからである。神によって、新たに生きる力が与えられ、また、人を愛する力も与えられるのだから。

「暗き雲の空にかかり、大地に影をなげるとも、
希望の光、我が行く道に照る、神は我が手を握りたまえば」
日曜ごとに、父さんは弾き、みんなは歌いました。
「神の御前に、喜び溢れ、
集う我が家の聖日は、
宮殿の集いにいやまさる、
楽しき集い、聖なる日」<恩地美保子訳>

3度目のクリスマス
吹雪の合間に、父チャールズが町に買い物に行くことになる。
しかし、彼が、家に着く前に吹雪が来てしまい、長い吹雪になってしまう。
夜になっても帰らない父チャールズのことを心配するローラ達。
母キャロラインが、吹き付ける吹雪の中、牛の乳絞りやエサやりに外へ出るが、吹き飛ばされそうになるくらい、強い風が渦を巻くように吹いている。
二日目になっても、三日目になっても、帰って来ない父チャールズ....
しかし、四日目のクリスマスの前日になって、雪まみれの毛むくじゃらの動物のような姿で父チャールズは、ローラ達が待つ家に帰って来たのだった。

ローラは、父さんが無事に帰って来るように一生懸命に祈っていたと、父チャールズに話しをしている。
ローラにとって、父チャールズが無事に帰って来たことが、この年の何よりのクリスマスプレゼントとなったのである。


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