イエスキリストは、私たち全ての者の罪を背負って、十字架につかれました。だから、悔い改める者は赦されます。
これは、誰もが知っている有名な話のようで、映画やテレビの中でもざんけのシーン等で出できます。
それでは、イエスキリストは、罪を犯した者を、悔い改めてあたりまえ、上から下に見下し、心などわかってもらえない方なのでしょうか?
イザヤ書42章3節では、
“彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。”
と書かれてあり、イエス様ほど、傷つき痛んでいる心を理解し、助け、又、救いを求めて来られた人々を、優しく迎えられる方は他におられません。
イエス様は、良き相談相手であり、カウンセラーのようなお方です。
わずかに残った希望という光を、もう一度傷つけ、消してしまうような無神経なことは決してなされず、むしろ、悩み苦しむ心を慰め癒やし、励ましを与えられる方なのです。
人に相談し理解してもらえず、むしろ傷つくような事もありますが、私たちを造られた創造者であるイエスキリストは、井戸のそばでイエス様に出会ったサマリヤの女の時のように、私たちが通って来た人生や、何が心に暗い陰をもたらしているのかを、よく理解してくださり、そこで受け入れてくださり、心に完全な光という希望と新しい命で満たしてくださるお方です。
イエス様は、神であられるのに人となって私たちの間に住まわれ、私たちを救う為に十字架につかれ、しもべとしての人生を送って死んでくださいました。
“わたしは目の見えない者に、
彼らの知らない道を歩ませ、
彼らの知らない通り道を行かせる。
彼らの前でやみを光に、
でこぼこの地を平らにする。
これらのことをわたしがして、
彼らを見捨てない。”〈イザヤ42:16〉
へりくだった心のイエス様は、〈イザヤ42:16〉にあるように、暗く混乱している心に、新しい解決の道を与え、やみを光に変え、優しく導いて、新しい命を与え、輝いた人生を歩むことができるようにしてくださいます。
イエス様だけが、悩み傷つき希望さえも無くなってしまいそうな心の死と暗闇からも解放し、喜びと愛と復活の命で満たし、もう一度、新しい人生を歩ませてくださるお方なのです。
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