2013年9月22日日曜日

エリシャ


おもしろブログ特集

 
  エリシャ 
 
 地球滅亡を救う為の救い主、また地球最後の日に救い主が現れる、これらのテーマを描く映画も最近はやたらと多いようだ。
 クリスチャンの世界では、これを主イエスキリストの再臨と言う。
 それは、どのようなものなのか?
 今日は、預言者エリシャという人物からそれを見てみよう!
 
 エリシャが生まれ育った家庭は、ヨルダン渓谷にあるごく普通の農家であった。
 エリシャは、北王国イスラエルの預言者として任命され、約50年の間活動した人物だった。 
 
 エリシャが、預言者としての職務に任命される時は、預言者エリヤによって外套をかけられるという方法だった。
 これは神によって、主の預言者としての、エリヤの権威を受け継ぐことを意味していた。
 簡単に言えば、エリヤは預言者学校の校長で、エリシャは主席つまりトップの生徒だったと言える。
 
 エリシャの師であるエリヤが、この世の生涯を終える時は、実に不思議な昇天の仕方をしたのだった。
 主がエリヤを竜巻の乗せて天に上げられたのだ。
 エリシャは、エリヤが天にあげられるまで、エリヤのしもべとして仕え訓練された。
 
 主がエリヤをたつまきに乗せて天に上げられる日、エリヤが、ベテル、エリコ、ヨルダン川の三つの地方を巡り歩くのに、エリシャはトコトンついて行ったのである。それはなぜか?
 
【エリヤとエリシャの関係について】
 エリヤは、ベテルても、エリコでも、ヨルダン川を巡り行く時でもエリシャに言った。「エリシャ。ここにとどまっていなさい。」
“…しかし、エリシャ三度こう言った。「主は生きておられます。又、あなたも生きておられます。わたしはあなたを離れません。」”×3回
 
(結論)エリシャは、エリヤの金魚のフンだった。
 現代ならストーカーってとこか、エリヤが女なら訴えられてる。
だから何度も言うけど、そんなことはメッゲナイト絶対にない
 
 真剣な話を書けば、 エリシャがエリヤに執ようについて行った結果、エリシャはエリヤの霊の二つの分け前を得ることになったのである。つまり、二倍の祝福を与えられたのだった。イスラエルでは、長男や後継者は二倍の祝福を得るらしい。
 
 その日、エリヤとエリシャがなお進みながら話している時であった。なんと、火の戦車と火の馬が現れて、二人の間を分け隔て、エリヤは竜巻に乗って天に上って行った。
 エリシャは、エリヤが見えなくなるまで見送った後、エリヤの身から落ちた外套を広い上げるとヨルダン川の水を打った。エリシャがそうすると、水が両側に分かれたので、彼はヨルダン川を渡った。
 その光景を見ていた他の預言者たちは、「エリヤの霊がエリシャにとどまっている」と言った。こうして、エリシャはエリヤの後継者として自他ともに認められたのである。
 
 実はエリヤが昇天した姿は、たとえ地球が滅びても私たち人類を救うことが出来る救い主イエスを現している。イエスキリストは、エリヤのような姿で天に上げられ、また、再び来られる。
 
イエスキリストとは? イエスは、クリスマスにダビデの町の貧しい馬小屋の中で、ヨセフとマリヤ、羊飼い、東の博士たちという少人数の人に迎えられて生まれた。
 東の博士たちは、王なるイエス様に、黄金、乳香、没薬をささげたのである。この没薬は、死体に塗る習慣があり、イエス様の十字架の死を生まれた時から表していたのだった。
 イエスは、私たち人類の罪を負い、十字架で死ぬために生まれたたのだ。それはイエスを信じる者に、永遠の命を与える為だった。
 神の御子であるイエスが、それも私たち人類を救うために来られたことを、みんなに感謝され、大歓迎されて生まれたとは、とうていほど遠いような中で、イエスは生まれたのである。
 ヘロデ王に命を狙われながら生まれたばかりではなく、イエスは、私たち人類救う為に来たのに歓迎して迎えられなかった。
 
 しかし今度、主イエスが再びこの世に来られる時は、炎の中に力ある御使い達の軍勢を従えて、最高の主権者、王の王、主の主として来るのである。
 そのイエスキリストの御姿は、その目は燃える炎であり、御顔は太陽のように輝いて、栄光の王としての姿で来られる。
 そして、全世界のイエスキリストを信じる者たちの感嘆の的となるのである。
 
 そして、イエスキリストを信じる者は、救い主イエス・キリストの永遠の御国、すなわち天国に入る恵みを与えられるのである。 
 
 エリシャは、「神は救いである」の意味である。
 私たちはエリシャという人物を通して、たとえ天地が滅びても、私たち人類を救うことが出来る救い主を知るのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





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