2013年9月22日日曜日

イザヤ


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イザヤ

 

 預言者イザヤの宣べ伝え方は、一種壮大だった。

「天よ、聞け。地も耳を傾けよ。」こう言って人々に、主の言葉に耳を傾けさせたのだ。

 イザヤ書は、聖書の中の聖書と言われている。

 エデンの園で、アダムとイブが罪を犯し神に背いた創世記ように始まり、黙示録のメシア再臨・新天新地で終わる。

 したがって、聖書が66巻で構成されているのと同じ、イザヤ書も66章で構成されているのである。

 

 イザヤが子供に付けた名前は、長男シェアル・ヤシュブ[残りの者は必ず帰る]の意味で、次男マヘル・シャラル・ハシュ・バズ[分捕り物は素早く持ち去られる]の意味である。 

 

【ホセア家の環境】

〈ホセア1:3-9その子をイズルエルと名づけよ。その子をロ・ルハマと名づけよその子をロ・アミと名づけよ…”

ホセア:「さぁ、食事にしよう。」

子供達:「また、お父さんの料理?お母さんの手料理が食べてみたいな。お母さんは何処に行ってしまったの?どうして僕達の名前はこんななの?」

 ホセア家の家庭は、時々暗い雰囲気に包まれたことだろうこれほど子供がぐれやすい家庭環境はない! 

 

【イザヤの家庭】〈〉“”

マヘル・シャラル・ハシュ・バズ:「お父さん、僕の名前はどうしてこんななの?」

イザヤ:「ヤハウェの神の為さ」

女預言者の母:「もういいでしょ、ホセアさんちはお母さんもいないのよ」

 イザヤとホセアが、同時代の預言者だったのはこの為か? 

 

 旧約聖書の中で、イエスキリストの十字架の意味が描かれている書は、他にないと言っていい。

 イザヤは、イエスが十字架で、人々の罪と呪い、病気まで背負われて、私たち人類の心に光を灯し、平安を与え、その上、天国への道を開かれると預言したのだ。

 しかも、イエスキリストが十字架にかかる約700年前にすでに預言していたのだった。

まことに、彼(イエス)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。

だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

しかし、彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。

彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。

しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。〈イザヤ53:4-6

 

 

 

 

 

 







 

 

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