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イザヤ
預言者イザヤの宣べ伝え方は、一種壮大だった。
「天よ、聞け。地も耳を傾けよ。」こう言って人々に、主の言葉に耳を傾けさせたのだ。
イザヤ書は、聖書の中の聖書と言われている。
エデンの園で、アダムとイブが罪を犯し神に背いた創世記ように始まり、黙示録のメシア再臨・新天新地で終わる。
したがって、聖書が66巻で構成されているのと同じ、イザヤ書も66章で構成されているのである。
イザヤが子供に付けた名前は、長男シェアル・ヤシュブ[残りの者は必ず帰る]の意味で、次男マヘル・シャラル・ハシュ・バズ[分捕り物は素早く持ち去られる]の意味である。
【ホセア家の環境】
〈ホセア1:3-9〉“その子をイズルエルと名づけよ。…その子をロ・ルハマと名づけよ…その子をロ・アミと名づけよ…”
ホセア:「さぁ、食事にしよう。」
子供達:「また、お父さんの料理?お母さんの手料理が食べてみたいな。お母さんは何処に行ってしまったの?どうして僕達の名前はこんななの?」
ホセア家の家庭は、時々暗い雰囲気に包まれたことだろう…これほど子供がぐれやすい家庭環境はない!
【イザヤの家庭】〈〉“”
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ:「お父さん、僕の名前はどうしてこんななの?」
イザヤ:「ヤハウェの神の為さ」
女預言者の母:「もういいでしょ、ホセアさんちはお母さんもいないのよ」
イザヤとホセアが、同時代の預言者だったのはこの為か?
旧約聖書の中で、イエスキリストの十字架の意味が描かれている書は、他にないと言っていい。
イザヤは、イエスが十字架で、人々の罪と呪い、病気まで背負われて、私たち人類の心に光を灯し、平安を与え、その上、天国への道を開かれると預言したのだ。
しかも、イエスキリストが十字架にかかる約700年前にすでに預言していたのだった。
“まことに、彼(イエス)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。”〈イザヤ53:4-6〉
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