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聖書の権威.パウロ
宝島にこんな話がある。海賊たちが、聖書に手を置いて誓うのだ。
聖書に手を置いて誓えれば、言っている事が嘘ではなく本当であると、海賊同士が判断できるのである。
「じゃあ、おめぇは聖書に手を置いて誓えっか?」
海賊と言えば、盗みも人殺しも平気でやっていた。じゃあ、神を恐れる気持ちが無かったかと言うとそうでもない。
海賊でさえ聖書の御言葉の権威、すなわち神の言葉であるイエスキリストの神として権威を認めていたのだった。
パウロ
使徒の働き27.28章より
さて、パウロ達一行が船でイタリヤに向かった時の事であった。 出航してまもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそれに巻き込まれ、しかたなく吹き流されるままにした。
パウロ達は暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。
太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。
“この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。主があらしを静めると、波はないだ。
波がないだので彼らは喜んだ。
そして主は、彼らを望む港に導かれた。”〈詩篇107:28-30〉
私たちの人生は、よく長い航海に例えられる。その中で会う試練という苦しみから主イエスキリストは助け出される方である。そして、港に導かれ、希望と平安の中に憩わされるのである。
“主はその行くべき港に導かれる”〈〉
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