2014年3月9日日曜日

世界に広がる神の祝福*アルプスの少女ハイジの作者ヨハンナ シュピリ

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世界に広がる神の祝福*アルプスの少女ハイジの作者ヨハンナ シュピリ


アルプスの少女ハイジは、雄大なアルプスの山々が広がるスイスの女性作家・ヨハンナ シュピリによって書かれた物語である。
ヨハンナ シュピリは、牧師の娘として生まれた。そんな彼女が書いたアルプスの少女ハイジには、神の愛が時には優しく、時には力強く描かれている。

アルムおんじは、人づき合いが嫌いで、心がかたくなだった。
おんじが若い頃、お酒や賭博に溺れ、親の家屋敷を手放すことになった放蕩ぶりは、人々の目によくは映らなかった。
また、人々から人殺しの疑いまでかけられて、おんじの方から心を閉ざし、人が嫌いになってしまったのだ。
だから、おんじは人里離れた高い山の上に、家を建てて住んでいたのだった。

そこへハイジが預けられるようになる。
両親を亡くしたハイジの面倒をみるのを、ハイジの叔母がいやになってしまったのだ。

ハイジにとっても、おんじにとっても、お互いが必要だった。
ハイジにとっては、親のように面倒をみてくれる相手が、孤独なおんじにとっては、愛する相手が必要だったのかも知れない。
人は時として、与えられるばかりでなく、自分も必要とされている方が居心地が良く、心を開きやすいことがあるものだ。
だから、アルムおんじにとって、ハイジは神の愛による贈り物であったかもしれない。

アルプスの山に囲まれた大自然の中で生活するうちに、ハイジは天真爛漫な子どもへと成長して行く。やがて、おんじからも笑顔が出始め、優しい心を取り戻すようになって行くのである。

そんな中、車椅子に乗ったクララがやって来る。
おんじの愛情とアルプスの自然から与えられる恵みの中で、ハイジとクララとの友情が築き上げられて行く。
このままの生活が続くかと思われたが、やがてハイジは、フランクフルトにあるクララの家であるゼーゼーマン家に引き取られて行ってしまう。

フランクフルトの町でのハイジは、おんじとの山の家での生活が恋しくて夢遊病にかかるほどだった。
そんなハイジは、クララのおばあさんから、悩みごとがある時は神に祈ることを教わり、楽しみながら聖書を読む事も覚えたのだった。
やがてハイジは、おんじの居るアルプスの山の家に帰ることになり、再び元気を取り戻す。

アルプスの山の家で、ハイジがおんじに、フランクフルトでの様子を話している時だった。
ハイジは、一冊の大きな本を家から取って来るとおんじに読み始めた。ハイジは、聖書の話を人に読むことができるほどに成長していたのである。
ハイジが読んだのは、奇しくも放蕩息子の話だった。

そして、ある時、おんじは、心から神に祈るのである。
「天のお父さま。私は罪を犯しました。天におられる私たちの父にも、私の父にも、私はもう息子と呼ばれる資格はありません。」

おんじの心は本当に晴れやかだった。おんじは、自分自身を心から本当に愛してくださる神に、しっかりと受け取められたのだから。
そして、朝の光の中、おんじは嬉しそうに、ハイジと共に教会へと足を向けた。

おんじの様子が以前と違うのを見てとった教会の牧師は言った。
「真の教会に行きましたね。」
礼拝の後、おんじは、周りの人達と打ち解けあって挨拶をかわし合った。
人々が、おんじの回りに集まって来て握手をしようと我先にと手を差し出したのだ。
「うれしいなぁ。また俺たちの仲間になってくれて。」「ずっと前から、また話をしたいと思っていたんだよ。」そうやって、あちらこちらから声をかけられたおんじは、まるで村一番の人気者のようだった。
ハイジは、おんじをずっと見つめていた。「おじいちゃん。今日はどんどんステキになっていくね。こんなの初めてだね。」うれしそうにハイジは言った。
おんじもにっこりと笑いながら言った。「そうだな。わし自身も信じられないくらい、今日は気持ちがいいんだ。神様と人と仲良くするのが、こんなに良いものだとはなぁ。神様は、ちゃんと私を見てくれていて、ハイジ、おまえをこのアルムの山に連れて来てくださったんだ。」

放蕩息子だったおんじを温かく受け取めた神、また真の教会とはのようなものであるかを、聖書を読めば伺い知ることができる。

ハイジが読んだ放蕩息子の話くルか15:3ー32>
ある人に息子がふたりあった。
弟が父に、「お父さん。私に財産の分け前をください。」と言った。
この息子は、まだ父親が生きているのに財産をもらいたいと、父親に歯向かって言ったのだった。
しかし、それでも父は、財産を兄と弟のふたりに分けてやった。

それから、幾日もたたないうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅だった。
そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
何もかも使い果たしたあとで、その国に大飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。
それで、その国のある人の元に身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、ブタの世話をさせた。
彼は、豚の食べるイナゴ豆で 腹を満たしたいほどであったが、誰一人彼に与えようとはしなかった。
彼の父親のところには財産がたくさん有り、幸せに暮らしていたのに、今では彼はあまりの違いの生活に耐えるしかなかった。

しかし、我に返った時、彼はこう言った。
「父のところには、パンのあり余っている雇い人が大勢いるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。
お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」

こうして彼は立ちあがって、自分の父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は早くも息子を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
息子は言った。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの息子と呼ばれる資格はありません。」

ところが父親は、しもべたちに言った。
「急いで一番良い着物を持ってきて、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足に靴をはかせなさい。
そして子牛を引いてきてほふりなさい。食べて祝おうではないか。
この息子は、死んでいたのが 生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」
そして彼らは祝宴を始めた。

この息子の父親は、家を出て行った子どもが、自分の元に帰って来るのをずっと待っていた。
父は、温かく息子を迎える。そして、自分に出来る限りの最高の物を、愛と共に息子に与えたのだった。
真の教会とは、このような所。
神は私たちを愛し、温かく迎えてくださる。
そして、過去の罪は赦され、神は二度と思いだされない。

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