太陽にキスを!
東北の福島の復興を願ってのフラダンス
そこで、その様子をお伝えしたいと思う。「今日踊るこの曲は、フラガールの映画のエンディングで流れたものです。
この曲には、はじめ歌詞はなかったです。東北の大震災後に、この曲を作曲した、ジェイク島袋さんが、映画の舞台となった福島を覚えて、福島の復興のために 歌詞を作ってくれました。
この話を聞いた時に、とても私自身が励まされました。
今日一緒に踊ってくれるメンバーは、教会で踊ることは勇気がいったかと思います。
よろしくお願いします。一緒に踊ってくれて、とても感謝しています。
メンバーのお一人には、福島の郡山にご実家のある方もいます。この曲を踊る時 涙が出ると言っていました。
歌の中に、"名もないような花"という言葉が出てきます。
今日あっても、明日、炉に投げ込まれる野の花さえ、神はこれほどに装って下さるのだから、ましてあなた方に良くしてくださらないわけが有りましょうか。という聖書の言葉に励まされながら、心を込めて踊ります。」<教会のフラダンスメンバーのお一人のお話より。>
「虹を」という、ジェイク島袋さんの素晴らしい曲と歌詞に合わせて、フラダンスを踊られているその様子は、不思議なほど美しかった。
その中で、繰り返される"太陽にキスを"という言葉が、非常に印象的でした。
聖書で、太陽はイエス キリストを指している。
”天は 神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。......
その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで 届 いた。...
太陽は、部屋から出てくる 花婿のようだ。
勇者のように、その走路を喜び走る。
その上るのは、天の果てから、行き巡るのは天の果て果てまで。
その熱を免れるものは 何もない。”<詩編19:1ー6>
イエスキリストは、命を捨てるほどの愛をもって、私たちを救うために十字架にかかられた。
そのイエスの愛ほどに、パッション・情熱的なものは他に存在しない。
聖書では、イエスキリストは花婿、私たち人間は花嫁にたとえられている。
そのイエスキリストの愛に答えて、永遠の命を得るかどうかは、私たち人間のがわの選択にかかっている。
難しいことは何もいらない。ただ、教会に行って、「イエスキリストを信じたい」と言えばそれでいいのである。
そうすれば、天国に行けるための永遠の命を、確実に神は与えてくださるのである。
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