2013年12月10日火曜日

ダニエル

 

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ダニエル

 



 
 ダニエルは、イスラエルの国のユダ部族出身であった。ユダ族とは、王の権威を持つ部族、つまり王族とも言える。
 ダニエルがまだ少年であった頃、イスラエルのエルサレムが、バビロンのネブカデネザル王に侵略・包囲され、イスラエルの民はバビロン捕囚となり、ダニエルもバビロンの地(現代のイラン)に連れて来られたのだった。
 ネブカデネザル王は、王に仕えさせる為にイスラエル人の王族や貴族を何人か連れて来させた。そして、王は、自分の食べるごちそうとぶどう酒から少年達に分け与え養育し自分に仕えさせようとした。
 その中に、ユダ部族のダニエルがいたのだった。
 ダニエルは、バビロンの王ネブカデネザルの食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、「水と野菜だけで十日間過ごさせて欲しい」と、ネブカデネザル王の宦官に願い出た。
 そして、主の力によって、野菜と水だけであっても、王の食べるごちそうを食べている他の少年達よりも健康で体重も勝っていることを証明してみせたのだ。
 
‘同じ釜の飯を食う’と日本では言う。食卓は、家族の交わりや親近感を表す。
“誰でも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは彼のところに入って、彼と共に食事をし、彼もわたしと共に食事をする”〈黙示録3:20〉とイエスは言っている。
 イスラエルでも、食事は心を開く事や家族の交わりを表している。
 ダニエルは、こうして自分のアィデンティティを守ったのだった。
 ネブカデネザル王に変わってダリヨス王が国を受け継いで後のことだった。
 大臣や太守達が、ダニエルを陥れようと、「王以外の者に祈願する者は獅子の穴に投げ込まれる」と禁令を出したのだ。
 それは、ダリヨス王がダニエルを気に入り、任命して全国を治めさせようとした事を妬んだからだった。
 それでもダニエルは、日に三度ひざまずいてエルサレムの方を向いてイスラエルの神に祈り、感謝をささげていた。
 ダニエルにとって、主との関係が何よりも大切だったのである。
 禁令どおりにダニエルは獅子の穴に投げ込まれる事になってしまった。
 しかし、真実な主・イスラエルの神を絶えず信頼し、王よりも神に仕えていたダニエルを、神は、獅子の口をふさいで何の害を加えず救い出され、ダニエルに何の罪も無いことを、神御自身が証明されたのだった。
 その後、ダリヨス王が命じたので、ダニエルを陥れようとした大臣達は獅子の穴に投げ込まれ、獅子によって骨まで噛み砕かれて終わりを遂げた。こうして神は、ダニエルに大逆転勝利を与え続けられたのである。〈ダニエル6:22.23より〉

 

【逆もまた真なりと、食におけるダニエルの正体】



 
 いかにも好青年のダニエルが、獅子の穴に投げ込まれたが、獅子たちは皆おとなしくしていた。
 ダニエルが、主に信頼していたので、神はダニエルを助け出されたのだ。
 これは、日曜学校でも習う有名な話ではあるが、なぜか最初から最後まで、ダニエルはいかにも好青年なのだ。
 だが、本当はどうだか怪しいもんだ。なぜなら、これは一方的にダニエル側から見た話だし、欠点の無い人間などいないからだ。
 
 そこで、今日のテーマを立証する為に仮定法(もし~だったなら…だったろう)を用いることにする。
 
 もし、ダニエルが、〈ダニエル9:3〉に書いてある‘主の前に断食している時’に、獅子の穴に投げ込まれていたなら、きっとこうなっていたのに違いない…。
 
ダニエル:「おまえらみーんな食べたろか」
獅子A:「ダニエルさん、私たちがおとなしいからといって、そんな焼き肉でも見るような目で見るのは止めてください。」
獅子B:「ダニエル書1章12節で、あなたは菜食主義者なのをお忘れですか?」
獅子C:「主の使いは、主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助け出される。おお、主よ信じます。」
 
〈ダニエル6:22.23〉の逆もまた真なり
 神は、ダニエルが断食中でない時を選び、ダニエルの口を防いでくださったので、ダニエルは獅子たちに何の害も加えませんでした…。獅子たちは穴から出されたが、獅子たちに何の傷も認められなかった。獅子たちか、神に信頼していたからである。
 ダニエルが、いかに空腹が苦手で食べることに意地汚かったかは、〈ダニエル書10章3節〉で、彼が喪に服し悲しんでいる時でさえ、ごちそう以外は食べた事で裏づけられる。
 〈ダニエル1:12〉で、主なる神が、ダニエルを菜食主義者にさせられていた理由がここにある。
 獅子たちをダニエルから守るために、ダニエルに決して肉の味を覚えさせてはならなかったのである。 
 だから何度も言うけど、こんなことメッゲナイト!.そんなことは絶対にないのだ!
 
 だから、真剣な話を書くけど、ダニエルは、獅子のように勇ましい人物だった。
“悪しき者は追う者もないに逃げる。しかし、正しい人は獅子のように勇ましい。”〈箴言28:1
 ダニエルは、獅子の穴に投げ込まれた時も、火の燃える炉の中にあっても、主を絶えず礼拝し、主に信頼してたがゆえに、百獣の王・ユダの獅子イエスキリストのように勇ましい人物だったのである。
 ダニエルが、預言者エレミヤの主からの預言の言葉によってエルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であることを悟った時、ダニエルは、顔を神である主に向けて祈り、断食をし、荒布を着て灰をかぶってり主に自らの罪と民の罪を悔い改め祈ったのだった。これは、神である主への最もへりくだった姿を表している。〈ダニエル9:3
 そして、〈ダニエル10:3〉では、ダニエルに一つのことばが啓示された。それは、終わりの時に起こる大きな戦のことだった。
 ダニエルが、その神の真実な言葉を理解し幻を悟っていた頃、ダニエルは喪に服し、肉もぶどう酒も口にせず身に油も塗らなかった。
 そして、ダニエルは終わりの日にユダヤ人イスラエルの民に起こること悟ったのだった。
〈ダニエル12:1-4〉は、いのち書に記されているものは、みな救われると預言する。
 すなわち、世界中のイエスを信じる異邦人の完成の後、ユダヤ人イスラエルの民が復活し、みな救われると聖書は預言している。
 
 ダニエルは、王の権威を持つユダ族として生まれた。そんな彼は、信仰によって獅子の口さえ防いだ。獅子よりも勇ましかったのだ。
 そして、聖書は語るのである。彼ダニエルが信じた神、すなわち主は、全ての獅子を制する百獣の王の中の王、ユダの獅子として再び来られ、全地の王として治められることを預言しているのである。
 

【黙示録の学びとダニエル書】



 〈ダニエル書9章24-27
 この預言は、エレミヤに告げられた主のことばを実現するために、イザヤ書にも登場するクロス王にエルサレムを再建せよと、主がクロス王の霊を奮い立たせた年に始まる。時は、約BC448年である。(エズラ記1章)
 クロス王への命令、すなわちエレミヤのバビロン捕囚からの解放、七十年の預言の実現、エルサレムの再建命令から城壁、門、神殿再建が7週。これらは、ネヘミヤ記、エズラ記、ハガイ書に書かれている。
 ネヘミヤはまず、門を調べた。ネヘミヤと民により、城壁は再建されたが、神殿再建は敵の妨害が強く途中で止まった。
 しかし、主は、総督ゼルバベル、律法学者エズラ、ハガイにより再び、イスラエルの民をの霊を奮い立たせた。主は共におられると励まされたのである。 そして、9月24日に…、
 
 第69周目にイエスキリストは十字架にかかられた。神殿再建からイエスキリストが十字架にかかるまでが62週
 ヘブル歴では、一週を七年と換算する。つまり、この命令が出たBC445年からイエスキリストの十字架AD32年までが483年間である。
 70周は490年、最後の7年は、大患難時代から始まるから、490年から7年を引くと483年となる。 これは、命令が出た時からキリストの十字架までが483年とぴったり一致する。
 
 第70周目は、黙示録の大患難時代に始まる。この預言は、イスラエルとエルサレム神殿に関わる預言であるから、教会の時代すなわち異邦人の恵みの時代には、時計はストップしている。
 黙示録で、ユダヤ人イスラエルの民十四万四千人が救われ、至聖所に荒らす憎むべき者が立った時から、第70周目が始まるわけである。
 
 イエスは、世の終わりの事をこのように言われた。
 終わりには、反キリストが現れる。イスラエルの周辺で戦争が起こり民は民に敵対し、方々、世界各地でききんと地震が起こる。
キリスト者は迫害される。
 しかし、御国の福音は全世界に宣べ伝えられる。
“それゆえ、預言者ダニエルによって語られた荒らすべき憎むべき者が聖なる所に立つのを見たならば…”〈マタイ24章〉
 苦難が、すなわち患難時代に続いて、天の万象が揺り動かされる。太陽は暗くなり月は光を放たず、星は天から落ちる。
 その時、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて再び雲に乗って来るのを見るのです。
 




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