約束の子孫イエスキリスト
アブラハムとイサクは、父なる神とそのひとり子イエスキリストの型です。
“信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。”〈ヘブル11:17-19〉
型だという事は、後に、真の主の御心が、行われることを意味しています。
アブラハムとイサクは、モリヤの山(エルサレム)での出来事を通して、神が全焼のいけにえの羊として神ご自身のひとり子を備えられる時が来る事。
また、神ご自身のひとり子の血と死によって呪いと滅びから人類が贖い出される事。
そして、神がそのひとり子を死からよみがえらせることによって罪の赦しと永遠のいのちが人類に与えられる事。
それにより、自分達が復活し永遠に約束の地に住む日が来る事。 それらのことを啓示され、また信じたのです。
アブラハムはノアの直系
アブラハムは、ノアの直系の子孫でした。 ノアは、主のために祭壇を築き、祭壇の上で全焼のいけにえをささげ、主は、そのなだめのかおりをかがれたとあります。(最初の全焼のいけにえ)
また、神はノアに、“わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の値を要求する。”〈創世記9:5〉と言われています。
その事や、大洪水とノアの箱船の話しが代々語り継がれていたかもしれません。
アブラハムがモリヤの山での神の御心を、理解しやすい環境で育った可能性は高いのではないでしょうか。
また、アブラハムの体が死んだも同然であり、サラの胎が死んでいる状態の中で、神が約束の子イサクを彼らに与えらたという経験も、神は死人さえもよみがえらせることができるという信仰にアブラハムを至らせた要因だったでしょう。
なによりも、イエス御自身が、「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。」と言われています。〈ヨハネ8:56〉
真の御心・父なる神とひとり子イエス
“神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。”〈ローマ3:25〉
この御言葉によって、神がアブラハム契約の中で言われた子孫が、イエスキリストであることがわかります。 なぜなら、イエスキリストは、実際に、私たち人類の罪のなだめの供えものとして私たちの罪を負い、全焼のいけにえの子羊として、十字架の上で血を流され、ほふられたからです。
神が子羊キリストイエスを、なだめの供えものとして殺された時、神ご自身が、イエスこそ、神ご自身のひとり子であり、アブラハム契約の中で約束された子孫であることを、公に示されたのです。
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