続・約束の子イサクの誕生とこの地上のカナンの地
神は、カナンの地をアブラハムとアブラハムの子孫の所有とされました。
しかし、この地上では、足の踏み場となるだけのものさえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。
それでも、子どももなかった彼に対して、この地を彼とその子孫に財産として与えることを約束されたのです。
また神はアブラハムに割礼に契約をお与えになりました。こうして、彼にイサクが生まれました。彼は八日目にイサクに割礼を施しました。
それから、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブに十二人の族長が生まれました。
族長たちはヨセフを妬んで、彼をエジプトに売り飛ばしました。 しかし、神はヨセフと共におられ、あらゆる患難から彼を救い出し、エジプト王の前で、恵みと知恵をお与えになったので、ヨセフはエジプトと王の家を治める大臣になりました。
ところが、エジプト、カナンとの全地に飢饉が起こり、ヤコブと、ヨセフの兄弟たち家族に食物が無くなりました。
ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、ヨセフの兄弟、族長たちを遣わしました。
ヨセフは兄弟達に自分のことを打ち明け、ヨセフは人をやって父ヤコブと全親族を呼び寄せました。
神がアブラハムにお立てになった約束の時が近づくにしたがって、イスラエルの民はエジプトの中に増え広がりました。
そこで、エジプト王は策略を巡らし、イスラエルの民の幼子が死ぬようにしむけ、またイスラエルの民を奴隷にして苦しめました。 イスラエル人は奴隷の労役にうめき叫びました。
神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされました。
そして、モーセに、御使いが、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現れました。
その光景を見たモーセは驚いて、それをよく見ようと近寄ったとき、主の御声が聞こえました。
『わたしはあなたの父祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。』
神はこのモーセを、柴の中で彼に現れた御使いの手によって、支配者また解放者として、イスラエルの人々に、お遣わしになりました。
モーセが、エジプトから、イスラエル民族を導き出し、エジプトの地で、紅海で、また荒野で不思議なわざとしるしを行いました。 そして、モーセの指導者の権威を引き継いだヨシュア(イェシュア・イエスの意)によって、約束の地カナンに入って行きました。〈by使徒7:2-45〉
☆神は約束を果たされ、イスラエルはカナンの地を所有しました。“あなたこそ、神である主です。あなたはアブラムを選んでカルデヤ人のウルから連れ出し、彼にアブラハムという名を与えられました。あなたは彼の心が御前に真実なのを見て、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリシ人、エブス人、ギルガシ人の地を、彼と彼の子孫に与えるとの契約を彼と結び、あなたの約束を果たされました。”〈ネヘミヤ9:8~〉
この地上のカナン全土は、神がアブラハムとその子孫にの所有として与えると契約を結ばれた時から、今現在に至るまで、また、この世界が終わる時まで、イスラエル民族の所有地です。
神の御心は、イスラエルの民をモーセの律法の規定の中に置かれたままにする事ではありません。
そもそもイスラエルの民は、モーセの律法による行いの民ではなく、「信仰による義人」父アブラハムの子孫なのです。
主のことばがアブラハムに臨み、アブラハム自身から生まれる跡取りイサクによって、アブラハムの子孫が星のようになると仰せられた時、アブラハムがただ純粋に主を信じたことを、主は義と認めらました。
この神の約束のことばをアブラハムが信じた時こそが、イスラエル民族の始まりなのです。
なぜなら、主は、主のことばによって、無いものを有るものとされる方だからです。
“信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。”〈ヘブル11:3〉 神の御心は、アブラハムの子孫であるイスラエル民族が、アブラハムが信じた神、すなわち、「死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方」が、イエスを死者のからよみがえらせたこと、そして、ほふられた神の子羊として十字架で血を流し、罪のの赦しを与えられるイエスキリストこそ、救い主であること信じ、義と認められることです。
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